らんきーブログ

世の中のおかしな事をあたりまえに考える。大事な事は情報を知ることだけじゃない。だからどうするのってことじゃない?


闘う人 と 闘わない人

例えば、3年近く前の911郵政選挙の結果で考えてみる。
というよりも、今までの日本の選挙結果で考えてみてもいいけど^^;

選挙に行く、俗に言う無党派層の方々の大半って「普通の人」だろう。
その時点での自分の考えや、TV新聞の雰囲気、イメージで、党や人を選び、選挙に行く。
なんだかんだ言っても、日本ではそんな方々の流されやすい1票の集積で結果が出る。
もちろん、選挙に足を運ぶ意識のある方々であるから、それなりの意思のある1票ではある。
片や、無党派層では無い方々の1票は、断固とした意思がある1票に近いでしょう。

これを無理やりこう考える。
闘う人 = 断固とした信念を持って、己が信じる党や人に1票を投じる人。
闘わない人 = そうでも無い人の1票。(でも国民の義務はしっかりと果たす人)

当たり前であるが、どちらの1票も重みは一緒である。
闘う人の1票も、闘わない人の1票も同じ1票である。
どちらがいいとか、悪いとかの話では無い。
私は闘わない人の1票の有効活用を考えたいと言っているだけである。

闘いを好む人もいれば、好まない人もいる。
しかし、世の中は、闘わない人らの1票の動向に影響を受けることが多いようである。
無党派層を握ったものが勝ちやすくはなる。 そこを逃さない手は無い。
闘う人らをただ眺めている人々・・・・。そこに、闘わない人はいる。そんなものである。
だから闘い方は大事なのであろう。 勝てばいいものでは無いのである。

闘わない人、「闘い」を好まない人もたくさんいる。
喧嘩でも野次馬の方が多いのは当たり前だ。 野次馬たちが歴史を作る(笑)
闘いには審判もいるが、結局、正しいジャッジをするのは観客だったりする。
勝ち負けは審判が決めても、観客の心までは、誰も決められないわけである。
闘いを見ている人の中に、闘わない人は、たくさんいる。
闘わないという、闘い方もあるということか。これを卑怯と取るかどう取るかは自由である。

自分では闘わない人の1票で、案外、選挙結果は大きく左右される事は多い。
ならば、「闘わない人」を味方につける方法を考える事は非常に大事な事である。
闘う人だけが、世の中を決めているのではない。 そこには観客(闘わない人)がいる。
闘う人 闘わない人 双方合わせたものが、選挙結果を決めていくのだ。
闘わない人=見ているだけの人 を侮ってはいけない。 そこに見えない力は存在している。
闘う人らの、それぞれの闘い方、勝ち方、負け方、そのプロセスをしっかりと見ている人、
それが闘わない人の、選挙でのそれぞれの闘い方の戦略の一部なのだから。