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らんきーブログ

世の中のおかしな事をあたりまえに考える。大事な事は情報を知ることだけじゃない。だからどうするのってことじゃない?


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言いたいこと、書きたいことはたくさんある。
108個くらいあるかな?(笑)  まさしく煩悩の数くらいはありそうです。
ちなみに108の煩悩の数は、四苦八苦(4×9+8×9=108)からという俗説が好きだ^^
※追記※↑これは昔、何かの漫画で読んだからいい加減な俗説だと思います。
煩悩の数 108 四苦八苦」 とでも検索すると結構、楽しい検索結果が出ます。


しかし、書く自由もあれば、書かない自由もある。
自己弁護が好きな方もいれば、そうでない方もいる。 それでいいと思う。

NewsOLさんが昨日TB下さった記事を読んで、様々なブログを読んでみました。
といっても時間も限られているので、ごく一部だけですが^^;
とてもじゃないけど、全ての全貌はわかりません。(ある意味当事者なのに(笑))
また、私がこんな事を書くと不謹慎かもしれないが、少しだけ書いておきたい。
私は正月以来、ほとんどのブログは読んでいません。(好きなブログ以外)
だから他の方々より、色々と詳しくないような状態に今はなっています。

ですから、私のブログ上の記事は、誰かの記事で影響を受けたものは、ほぼありません。
誰かがこう言ったから、私がそれを受けて、こう書いた というような事はほぼ無い。
基本的に自分のブログでもらうコメントやTB記事程度の情報しか知らないということ。
わざわざこんなことを書く必要も無いんだけど、それが普通だと思っています。
一日の限られた時間で、好きでもないブログは見ないですよ、普通(笑)。 だけど、色々なブログを読む機会が、今日あったので読んでみた。色々と学ばせて頂く事は多かった。 
他は知らず。  ちなみに、それが、このブログの今です。(好きなものは知っているが^^)

感想としては、一派だとか、一味だとか、そういったものも元々存在しないということです。
誰とも連帯していないのに、そのような括り方をする事自体、事実誤認だったと思う。
例えば、「ニケさん」はニケさんというHNがあり、ブログも持ってらっしゃる。
私とは全く別の人格であり、考え方を持っている「個」の人である。
それが「らんきー側」一言で括られているような雰囲気を感じたのも少し異様だったかな。
そもそも、私側なんて、損するだけじゃないっすか(笑) 誰にとっても損な役回り。
それが申し訳なかったですね。 らんきー側と勝手に誤解された皆様にお詫びしますね。
最早、この話はある意味、私を離れたようにも思うので書く必要も無いだろうが・・・。

しかし「一派」扱いは読んでいて???だった。 何もそんな一派はないんだから。
「個」を無視して「◇◇側」では、実りある議論になりにくいと思いますし・・・。 
そんな括り方に、妙な違和感はありましたね。「私とセット」みたいな批判というか。
そこらへんが勿体無かったかな?と、様々なブログを読んで、勝手に思っています。
そんな事も学ばせて頂きました。奇しくも「私発」ではありましたが、様々な切り口の素晴らしい記事に出会えた事に、やはり「世の中に無駄なものは無い」と言いたくなります^^
「言葉」シリーズ(そんなものあったのか?(笑))もこれで終わりです。もう書かない。

人生には、色々な事がある。
誤解を生じたまま、永遠に「サヨナラ」になってしまう方もいる。 残念でしょうがない。
考え方は違うけど、「友」であり「ライバル」だと思っていた人との別れも非常に辛い。
でも、またどこかですれ違うこともあるでしょう。 それが実りある〇〇の結末だとも思う。
私には実りある〇〇、例えば、議論は出来なかったけど、そう思いたいのです。

考え方は100通り。 人の数だけ、様々な自分なりの答えを探している方は多いようです。
しかし、全てが違うGOAL(行き先)に行くわけでもないでしょう。 
いつの日か、同じGOAL(目的地)でまた会うこともあるでしょう。 その日まで・・・。

もしかしたら、全く間の悪い、場違いのトンチンカンな記事になったかもしれない(笑)
それくらいあっという間に時代遅れになってしまうのが、ブログの世界ですね。
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闘う人 と 闘わない人

例えば、3年近く前の911郵政選挙の結果で考えてみる。
というよりも、今までの日本の選挙結果で考えてみてもいいけど^^;

選挙に行く、俗に言う無党派層の方々の大半って「普通の人」だろう。
その時点での自分の考えや、TV新聞の雰囲気、イメージで、党や人を選び、選挙に行く。
なんだかんだ言っても、日本ではそんな方々の流されやすい1票の集積で結果が出る。
もちろん、選挙に足を運ぶ意識のある方々であるから、それなりの意思のある1票ではある。
片や、無党派層では無い方々の1票は、断固とした意思がある1票に近いでしょう。

これを無理やりこう考える。
闘う人 = 断固とした信念を持って、己が信じる党や人に1票を投じる人。
闘わない人 = そうでも無い人の1票。(でも国民の義務はしっかりと果たす人)

当たり前であるが、どちらの1票も重みは一緒である。
闘う人の1票も、闘わない人の1票も同じ1票である。
どちらがいいとか、悪いとかの話では無い。
私は闘わない人の1票の有効活用を考えたいと言っているだけである。

闘いを好む人もいれば、好まない人もいる。
しかし、世の中は、闘わない人らの1票の動向に影響を受けることが多いようである。
無党派層を握ったものが勝ちやすくはなる。 そこを逃さない手は無い。
闘う人らをただ眺めている人々・・・・。そこに、闘わない人はいる。そんなものである。
だから闘い方は大事なのであろう。 勝てばいいものでは無いのである。

闘わない人、「闘い」を好まない人もたくさんいる。
喧嘩でも野次馬の方が多いのは当たり前だ。 野次馬たちが歴史を作る(笑)
闘いには審判もいるが、結局、正しいジャッジをするのは観客だったりする。
勝ち負けは審判が決めても、観客の心までは、誰も決められないわけである。
闘いを見ている人の中に、闘わない人は、たくさんいる。
闘わないという、闘い方もあるということか。これを卑怯と取るかどう取るかは自由である。

自分では闘わない人の1票で、案外、選挙結果は大きく左右される事は多い。
ならば、「闘わない人」を味方につける方法を考える事は非常に大事な事である。
闘う人だけが、世の中を決めているのではない。 そこには観客(闘わない人)がいる。
闘う人 闘わない人 双方合わせたものが、選挙結果を決めていくのだ。
闘わない人=見ているだけの人 を侮ってはいけない。 そこに見えない力は存在している。
闘う人らの、それぞれの闘い方、勝ち方、負け方、そのプロセスをしっかりと見ている人、
それが闘わない人の、選挙でのそれぞれの闘い方の戦略の一部なのだから。
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6月中旬ですね、今日は晴天です。 梅雨は終ったか?数日で(笑)

まさしく仕事日和だにゃぁ~。
今日も、よー仕事した!

しかし・・・・


自己弁護やら・・・自己満足やら・・・・なんやかんやと・・・・
我がの行為は、無視して、何やってるんだか・・・・
何がしたいか、いいたいのか、全くわからん・・・
もっと世の中は賢い人や、頭のいい人が多いと思っていたけれど・・・
影でコソコソ偉そうに・・・


バカバッカ


と、思うのは私だけでしょうか?


福田首相に対する問責決議案は参議院で可決     で、

福田内閣に対する信任決議案は衆議院で可決    げな
 (愛知方面は「ずら」かな?)  


バカバッカ


ばかばっか・・・・文字で打つと意外にいい感じ(笑)

パカパッカ とお馬の親子のような感じですなw


あ、タイトルの「あいうえお」は 愛飢え男(アイウエオボーイ) って漫画のタイトル(笑)
かなり昔の漫画だけど、連載当時は、数字ではなく、「ア」巻からはじまって 「オ」巻で終る?と思ってたら、確か、「カ」巻もあったような・・・そんな素敵な愛に飢えた男の漫画(笑)
「愛」て、知るものじゃなくって、感じるものじゃないのかね? 感じて知るっつーか。
ま、そんな事はどうでもいいけど(笑)>常套文句(笑) 


この国の政治もマスコミもそして、おまけにネットの世界も「愛」は少ないようだね。
政治茶番で煽ったふりして、マスコミで鎮火のマッチポンプみたいなもん、もう飽きた。
そして、ついでに言うと、読まない・・・いや、読めないモノが増えすぎた今日この頃だ。
ランキングには、今は私は参加してないけど、らんきー馴染みのブログを応援しましょーね^^
PCの世界は、一歩離れてみると、かなり景色が変わってくるものですね~。

と、別に冷めてるわけではありません。

解散総選挙で、リスタートしないことにゃ、どうにもならんと思うだけです。
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こんな昭和の名曲もあるのですね~。 いやぁ、感動しました。
何十年ぶりかに聞いたです。 南沙織さんの、ひとかけらの純情。
何故か思い入れのある曲のひとつだという事を、久々に思い出しました。
あの頃はよかった。 ずっと未来は輝いていると思ってましたね~。単純に。
幼かったということもあわせて、いい時代だったように思いますね、私の世代は。
(とりあえず、自分が聞くために貼っておこう)
http://www.youtube.com/watch?v=f-hPVcF9o4M

そう思うと、バブル崩壊後というか、今の若い世代の方々達との時代とは違うねぇ。
私のような「いい加減(いい湯加減程度ネ」なタイプなんて、許されないかもねぇ、今は。

昨日、広告関係の若い営業マン(秋葉原事件の犯人と同世代の子)と、事件の話や、派遣の話から色々と発展して最後には「衆議院選挙の大切さ」を切々と語ってしまった^^
関心の無い人に、わかりやすく伝える事って、やはり楽しいですね。
世代は違っても、育った時代や環境は違っても、わかりあえる話はまだまだたくさんある。
また、別の意味での「いい時代」を、今の若い子達にも体感して欲しいですね~。
決して、金とかモノが全てでは無い、「人として楽しい時代」っちゅーか^^;
もっと、もっと、ネットだけじゃなくって、世代を超えて繋がって行きたいもんですね。

ひとかけら でいいと思うんですよね。繋がっているものは・・・。
それでわかりあえる と思いたいもんです。 どんな世代の方々とも繋がる事は大事。
全てがわかりあえなくとも、「ひとかけら」だけでも繋がっていればいいんじゃない?
そうして、繋げて、伝えていく事が、今の時代の大人全体の責任なんだと実感します。
そういう意味で、昨日はいい仕事をしたなぁ(笑) わかりあえました♪

潔癖すぎたり、拒否反応が強すぎたり、理想を追い求めるだけでは難しい。
白黒ハッキリし過ぎてしまうと、どうにもこうにも少し、息苦しくないですか?
どこかに「ゆるさ」も必要なんじゃないかなぁ・・・。
ひとつひとつは「ゆるく」ても、それが集まれば、結構「頑丈」なものに変わるのでは?
昭和の隠れた名曲を聞いて、なんとなくだけど、感じたことを書いてみました。
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私には愛があったのだ・・・・といっても
それを受け取る相手が「愛はなかった」といえば・・・・ どっちが正解?
第三者に判定して貰ったほうが、まだいいかな? あるいは大岡裁きでも?(笑)

愛があったのだと思ってたけど、伝えたい相手には伝わらず死んじゃった・・・。
その時も、やはり愛はあったのでしょうか?その愛の行方は、何処(いずこ)へ・・・?

どうでもいいですね。哲学者ではありませんでした、私は^^; 

陰口ってのは、通常の世界では、こっそりと行う。 陰という字の如し。
ネットの世界で言えば、メールや、パスワード(会員制)制などで、密かにやるのがそう。
そんなのだったら、今現在でもアチコチでバンバン飛び交っている事でしょう(笑)
ある意味、健全な「陰口の世界」は、ネット上でも存在するわけだ。
陰口は、コソコソと人目につかずやる事が、正々堂々としたやり方なのだろう(笑)
当事者以外には、迷惑をかけない、やや??ではあるが、ま、ありがちな世界である。

しかし、公開で堂々と陰口もどきを見かけることもある。 これは何と呼ぶべきか?
少なくとも陰口ではない。 反対語の陽口?表口?言論?なんなんだろう?
ネット上のそれは、本人含めた、たくさんの目の前で行われているわけで、陰口では無い。
で、その狙いは一体何なのだろう? 「公開する陰口もどき」の目的とは???
その陰口さえ、不特定多数の誰かに見てほしいという気持ちがあるからだろうか?
ここ最近、「常識」というのが微妙に変わってきているようで、私には理解できない事がある。
これも、そういう一種なのだろうか? 陰口って、やはり陰で言って欲しいと思う(笑)
ここらあたりは「美学」の問題かも知れないが、私はどうにも理解不能だ。自重もしたい。

その陰口は今後何年もネット上に残っていくのだろうが、それでいいのだろうか?
陰口が原因で、何か不幸があった場合にでも、そのまま残すことができるのだろうか?
心は痛まないのだろうか?それも自己責任なのだろうか?例えば、死ぬ人が悪い??
リアルの陰口の場合でも、直接関係がなくとも、その陰口の当事者に、もし何かあれば、陰口を言ってた人らは、一生目覚めは悪い事だろう。他者にはわからなくても・・・。
人に言えない、悪行を背負うようなものか。本人たちだけがそれぞれに背負うだろう。
これが、公開ならば・・・・その人たちだけではなく、もっと不特定多数が知っているわけだ。
ネットで、公開で陰口みたいな事を書くって、結構怖い事だと思います。

ま、基本的に、あくまで公人ではなく、普通の私人に対しての話ですけどね。 
公人に対してはまたいつか、暇があったら、書くかもしれない。
怖いのは、無意識のうちに、やっていることですねー。 自分にはその気がなくても、相手にそう取られたら、その通りだし^^; 私も今まであっただろうと思うと、恐ろしいですね。
やはり、常に反省の日々なのは、間違いないですね。 
今までの全ての記事内で「陰口」みたいにとられた部分がありましたら申し訳ないです。

かげ‐ぐち【陰口】
その人のいない所で、悪口を言うこと。また、その悪口。かげごと。「―をたたく」
yahoo!辞書


うん。やはり、陰口はメールのやり取りがいいですね(笑) >そんなオチかぃ!!
あ、↑はもちろん冗談ですよ。 洒落くらいは通じる世の中であって欲しいと切に願う^^
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お湯伝
2008.06.21 16:38 | 日々雑感


AさんとBさんという友人関係の方がいます。
そして仮に私は、Aさんとは親しいが、Bさんからはかなり嫌われている。
さて、Aさんはどんな対応をするか、また私は?そしてBさんは?
仮に、私とBさんが争う事で、Aさんはどんな思いを抱くだろうか?
こんな事で悩むのが、通常の世界の私たちの姿の一部でありますよね。
私は理由がどうあれ、AさんとBさん、二人の関係は壊したくは無いと思うタイプです。
私と切れても、Aさん、Bさんが良好関係なら、それでいいかと思うようです。
だから、案外、私は「人」に対して冷たい人間なのかもしれませんね。
と、独り言です。 そして独り言はまだ続きます。 

2年前の私がいます。
半年前の私がいます。
そして、その過去の自分を、少しは冷静に見られる現在の私がいます。
全て、同じ私だけど、過去から現在に至るまで、微妙に成長はしています。
2年前の私も今の私も、私に変わりはないけれど、考え方はかなり違います。
たった、半年前の自分でもそうです。私は人は変われると思っているのです。

2年前にあの記事を書いた、あの瞬間は正直言って「水の結晶」の話は知りませんでした。
同じくらいのレベルの人がいたのは、コメント欄での、数人のやり取りの一部でもわかる。
しかし、書いた後暫くしてから、念のために調べているうちに色々と知った。 それで、
追記もした。コメント欄で「水の話」は???というような話が書いてあるリンク先も貼った。
私の中では、それでOKだったのだよね。それで読む人は誤解しないだろうと思ってた。
人はそんなに馬鹿じゃない。あれを読んで「水の話」を信じましょうにはなるまいと。

そして半年前に何故か指摘された。 確か「ズバリ・信じて・・」と認定されてしまった。
いや、だから私は信じていないし、興味も無いと書いても信用されないスパイラル・・・。
そうか、書いてる人が「そんなつもりはない」と書いても意味は無いのかと落胆した。
わかりにくいブログを書くと、こんな困った事になってしまうのかと。
半年前の私はそう思った。一体何なんだこれは?と。何故私のブログが???
もっと、わかりやすい水伝肯定のブログは、今でも結構あるようだけど、何故??
そんな理由で、半年前の私は何だか理不尽な気持ち一杯で、つまらない意地も張った。

削除しておけばよかったのだろう。誤解されやすい該当部分を。
しかし、意地があった。削除したら、やっぱり私は信じてると認定されているようで。
小さいもんですね。私も。でも信じていなんだからしょうがない。
結果論だが「信じて・・」と指摘されなかったら、素直にわかりやすく訂正しただろう。
思えばくだらない話ではある。 私の意地がほとんどではあるが。

実際、現実の私は、例えば血液型の話ですら、馬鹿にするタイプだ。
そんなの信じてたら、ろくな事はないぞ~、気をつけろ~と言ってるのである。(笑)
ただ「洒落」として話す分には、とことんネタとして楽しみますけどね。
そういったネタは大人同士では結構面白かったりする。カラカイ材料にはもってこいだし。
しかしそういう書き方をブログでしてしまった事も、わかりにくくしてしまった一因だ。
ブログとリアルでは、やはり表現の仕方、遊び方って、色々と誤解の温床だらけにもなる。
そういった意味でも、あの2年前のやっつけ記事は、面倒で、恥ずかしい記録です。
「書かなくていい例え話を、そのまま下手に使った恥ずかしいブログであった」

2年前のブログの書き方は下手だった。と、今の私は素直に反省できる。
そして半年前の、私の対応も大人気なく子供だったと素直に反省できる。
それだけ、今の私は過去の自分より、少しは成長できたと言う事だろう。
間違っていたら、勘違いしたら直す。その姿勢を忘れないでいたいと思う。
リアルでは、ちゃんとやってるんだけどねぇ~・・・。毎日反省の日々。
結構、知らない事が世の中には多いから色々と大変です^^;

2年前のあの記事を残すも残さないもそれは私の自由でしょう。
今まで残していたのは、騒動に気を使っていたからだ。自分の為ではない。
あの恥記事が無いと、騒動の最初がわからない?とか勝手に気を使っていました(笑)
色々な視点で、ご自分の納得したい答えを探している方々も多かったし。
ただ、そこに名指しで「バカ扱い」されてしまうオマケ言葉を見ると
正直言いまして、結構キツイ待ち時間ではありました。自業自得なのでしょうがね。

もういいでしょう。 あの記事の該当部分は近々、管理者の判断で削除します。
頂いたコメントも、書き込んでくれた皆さんには申し訳ないですが見えないようにします。
実際、あの文章を見て、これ以上、勘違いされる方が増えたらよくありませんからね。
私にはその気が無かったけど、一部の方々には「水伝を信じてる、広めてる」と
取られてしまうことは、本意では無いし、いい事ではない。バカ扱いもツライし。
魚拓っていうんですか?そういうので保存する方々もそこらはご注意くださいね。
本末転倒になりますので。削除した時点で私からある意味離れると思いますので。

とまぁ、久々に結構長い独り言を書いてみました。最早どうでもいい事でしたかね。
私のブログは私の遊びの延長なのだ。人生という遊びのね。洒落ですよ、洒落。
時には真剣に、そして時には不真面目に、そして間違えたら直してゆく・・・。
らんきーブログの、ブログの定義は私が決める!(笑)>オオゲサか?
あ、ここから先の文も洒落ですよ。お間違いなく^^ あー気ぃ使う。

水は沸騰すると、蒸発していきます。 そう・・・お湯になって蒸発してゆく・・・。
そろそろ蒸発して消えていい頃でしょう。 この記事も蒸発するかもね?

お湯伝 【完】  

※楽しそうなので、しばらく、拍手ボタンをつけてみます^^ (追記6/23/13:00)
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この頃の記事はこの下にあります。

6/25 共笑から共生へ 

6/21 お湯伝

6/19 愛と、陰口と、洒落と・・・



※よろしかったら、下記アンケートにご協力を^^
ネット世論調査問責決議への首相の対応は?
6月11日に参議院で可決された内閣総理大臣への問責決議にたいする、福田首相の対応はどうあるべきでしょうか?


解散総選挙をすべきだ
内閣総辞職すべきだ
総理大臣を辞任すべきだ
今のまま決議を無視すべきだ





この記事はしばらくの間、トップページに置いておく予定です。

【追記】 記事日付を6月24日にしました。
【追記】 右サイドTOPに移行します。

※楽しそうなので、しばらく、拍手ボタンをつけてみます^^ (追記6/23/13:00)
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天木直人さんの6月20日のブログでこんな記事があった。

これでは日本はだめだ
「閉塞感のある今の日本経済を元気にしてくれそうな人は誰だと思うか」
そんなアンケートを、フジサンケイビジネスアイが首都圏在住のビジネスパーソン1500人にアンケートしたという。
その結果を20日の産経新聞が報じていた。
トップが東国原宮崎県知事だったという。2位に小泉純一郎元首相、と続く。
麻生太郎(5位)、島耕作(漫画の主人公-8位)、石原慎太郎(10位)などが10位以内の揃いぶみだ。
冗談ではないかと思う。ビジネスパーソンがこれでは日本経済がよくなるはずはない。


こういったアンケートを見ると、ネットでいくら書いても、なかなか変わらないと思ってしまう。
これに、そのうち、橋下知事とかもランクインしてくるのでしょうね・・・。
で、ビジネスパーソンとは以下のような方々の事を言うらしい。

ビジネスパーソン【businessperson】
ビジネスマン・ビジネスウーマンに代えていう語。実業家。経営者。また、会社員。事務員。


俗に言う、「小泉ー竹中政権時命名B層」と呼ばれている方々というか、TVをよく見るであろう主婦とか、高齢者の方々は除いてのアンケートでこれですか・・・。
TVだけじゃないんですよね、雰囲気やイメージなんかで流されるのは。
TVを見ている時間が長かろうが、短かろうが、マスメディア全体の影響は大きいと言う事か。
ワンフレーズTV、あるいは偏ったワンフレーズ報道がうまいんだろうなぁ、メディアは。
「ほっとけねぇ!」とか、「おどろおどろしたBGM」や「いいとこ撮りの映像」とか。 また、上記のビジネスパーソンってのは、いわゆる「勝ち組」の人らが多いのも理由だろうけどね。
自称、他称の勝ち組の人は、今の社会構造が気に入ってる方々が多いのでしょうし・・・。

何かいい方法はないものでしょうかねぇ~? 
そんな「勝ち組」の意見を参考にしてはいけないってことでしょ、やっぱ!
一部の裕福な人たちと、ワーキングプア等と呼ばれている方々との落差は開くばかりだ。
TVにしても、金持ちの派手な生活や、豪華で贅沢な暮らしぶりを、あるいは高級食材の大食いでもいいが、時折、面白おかしく放送しているのを見るたびに、一体、こんな番組を誰が見て喜ぶんだろうと思う事がある。高度成長期時代なら「頑張れば自分もいつかは・・・」的な発想も大いにあっただろうが、今は「頑張っても報われない時代」になってきた。
そう考えると、TVって・・・自称中流以上の人らのモノになってしまった感がある。
TVメディア自体が社会的弱者というか、そういった人々を切り捨てているような気がします。

今よりも上を目指すのはいい事だ。しかし、それは全ての人が上を目指せるような平等な条件があってこそだろう。たまにいい訳程度に「ワーキングプア特集」等の番組をするくらいで、その10分後には「贅沢なムダ番組」が、ダラダラと流される現状は茶番である。
メディアが、社会的弱者の方を向いていない事にまず、気づくべきでしょう。自称勝ち組の方々の作る番組に真の報道は生まれないと思う。そう思って見て、まず間違いはないかな?
もちろん、たまにいい番組もあるので、そういった時は素直に誉めたり広める事も大事。

そういったTVの見方を変えていくヒントを多くの人に気づいて貰う事も大事かもしれない。
そこを考えていく事は、政治の事を書くこととはまた違った意味で大事な事だね~。
そういう事を考えていくブログの方が楽しいかなぁ~。やっぱ楽しくないとね、ブログは。
結局、ネットの力はまだまだそんなもん と切り捨てればそれまでなんだけど、何か少しでも良い影響を伝播していく方法はあるのだと思う。 ブログを3年近くやって、なんとなくだけど、そんな限界を感じたり、いや、なにかある筈だと、もがいてみたりと色々体験してそう思う。

ああだこうだとブログ上で議論するのも、それが飯よりも楽しい方々にはいいだろう。
もちろんムダだとは思わないし、そこで生まれるもののあるだろうし、好きな人もいる。
しかし私は3年間ブログやってて、ブログ上の議論にはあまり価値を感じなくなってきた。
好きな人同士でやればいいのである。 それがお互いに楽しいのだろうし(笑)
ネット上には頭のいい人が多々いるのだが、議論だけを見てるとそうでもない事もある。
結構頭がいいんじゃないかと思ってた人が案外そうでもなくてガックリくる事も多い。

何か書きたい人、何か伝えたい人が増えない事にはネットの力は十分に生かされない。
TVの世界は「自称勝ち組」の世界。ブログの世界は「自称知識人」の世界ではなぁ・・・。
これでは、どちらも「普通の庶民」を置き去りにした世界ではないだろうか?
わからない人、知らない人、この頃何かがオカシイと気づいた人・・・・
そういった方々がもっと気軽に参加できるコミニュティこそブログの力の醍醐味だと思う。
天木氏も書いてたけど、投票率が数%UPするだけでも大きな変動の可能性がある。

もちろん、これは今現在の私見である。正解でもなんでもない、ただの思い付きだ(笑)
しかし、ただの思い付きの積み重ねから、人類は大いなる発展を遂げてきたというのを、私たちは忘れてはならない。 と、いつものようにオオゲサ満開で書いてみる(笑)
共闘とか、競闘とか、協闘とか色々書いたことはあるけど、まずは「共笑」目指して。
共に笑える時代が一番では?ギャハハでもワハハでもブヒヒでもオホホでもいい^^
大人も子供も、若者も老人も共に笑いながら共に生きていく。 共笑から共生へ。

※↓の拍手が一定数になったらパワー満タンで次の記事への意欲が湧きます(笑)
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Don't Think. Feel
かの有名なブルース・リーが、燃えよドラゴンで少年に言った有名な言葉だ。
考えるな! 感じろ ってな、哲学的な言葉ですね。


私はブログをやっててこう思う。どうでしょうか?(半分洒落ですよ、真剣にならんように)
Don't Read. Feel!
おそらく、私のブログって、こんな感じでは無いかと思うからだ^^;
読むな!感じるのだ!(しかも好意的に^^)  これだと有難い。何より私が楽だし。(笑)
とはいえ、もちろん素直に文面どおり読むことが望ましいのは言うまでも無いですよ。

リアルでの会話自体が、そのようなもんだとも思う。 Readではなくhear(聞く)だけど。
相手に難しい単語で喋られる事もあれば、今流行の単語が混ざる会話もあるわけで、
それをいちいち、「何それ?」と聞いていく事も大事ではあるが、普通あまりしない。
私は結構、何でも聞く方だけど、TPOに応じて聞き流して返事する事もある。
そういった「感じる」会話が世間一般の会話には多いのでは無いかと思うわけだ。
まして、変な人の話し方ってのも、また「感じる」ものである。 関わるなって感じ(笑)

話は飛ぶけど、ブログ人格とリアル人格は違うか、同じか? どっちがいいだろうか。
私はねぇ・・・もちろん全然違う部分もあるけれど(ネットじゃ八方美人タイプだし) ただ、
基本的には、リアルで言わない、しないような様な事はブログでもしないと決めている。
そうでないと、やはり無責任っちゅうか、面白くないと思うのですよね。

特に「政治」の話等は周囲には色々な人がいるので、自分と違う〇〇を支持しているからといって喧嘩腰に話したりはしないし、穏やかに話すようにリアルではしているわけだ。
どこまで知っている人か?ってのも、リアルの方がなかなかわからないもの。
ブログでは気になる人がいれば、過去ログ読めばあらかたわかるが、リアルではそんなものはない。リアルでもその相手の過去ログをボタン一つで呼び出せれば楽なんだけどね(笑)
相手の事がわからないから用心深く、当たり障りの無い話をしながら探っていくわけですね。
そして例え、考えが違っても「即ケンカ」状態にはならないし、バカにもしないだろう。

話が逸れましたが、ブログ人格とリアル人格って、違う方がいいか悪いか?
リアルで言えない、言わないようなことをブログで書くことに重みはあるのかないのか?
リアルで喧嘩しないような内容で、ブログ(ネット上)で喧嘩するかしないか?
リアルではどうでもいいような内容なのに、ブログでは何故「争い」が起こるのか?
特に「政治」絡みのことに関しては、気のせいかもしれないが多いように思う。
活動家の方々は別かな? 私のように一般ピープルとは腹の据わりも信念も違うだろうし。

皆さん真剣だからしょうがない部分もあるのだけれど、そこにリアルの言葉はあるか?
こういった事って、私の中では結構、ポイントだったりするのですよね。
リアルでも自分と意見が違う方々に対して、毎回毎回、文句を言うのか?ってな事です。
会社の仲間や、友人知人全てに対して、いつもそういう事をしているのか?というような事。
ブログだからって感じで。 それはリアルとは程遠い言葉なのでは? とか思う事がある。
明日もまた、会うような方々と思うからこそ、「言葉」ってリアルでは気を遣う事もある。

人は、そんなに「敵」を作らないでしょう。そんな事リアルでしてたら1人ぼっちになる。
分かり合えない方とはどこかで無視したり距離を置いたり妥協したりするのでは?
リアルではわかりあえない方とは距離を置くか、その話題に触れないという処世術がある。
ネット上の文字だけ というコミニケーションツールでは、余計に気を遣う部分も必要では?
・・・・と、私は考える。 だからこそ、リアルとブログは出来るだけ近い方がいい様に思う。
リアルでしないような事は、ブログでもしない。  あくまで私はそう思うって事です。

で、そんな気持ちで政治関連のブログを眺めると、人気ブログランキング参加時のお知り合いでいうと、日本がアブナイ!のmewさん、喜八ログの喜八さん、お玉おばさんでもわかる 政治のお話のお玉さん、あるいはとむ丸の夢のとむ丸さん、わんばらんすのココロさんなんかは、ブログでもリアルでも同じような言葉で、同じような気持ちで接していけるような方々だと私は感じます。 (勝手にお名前を出して申し訳ないです^^;この頃は気を遣うぜ!)

mewさんとだったら、ず~っと政治について、あれこれ質問しながらお茶を飲めそうだし。
喜八さんとだったら、スケベな話から、政治の話まで、居酒屋あたりでグィグィいけそう。
お玉さんとでは、仮に私がキツイ説教を受けても(笑)素直な気持ちで色々話せそうだ。
とむ丸さんや、ココロさんともブログ上の雰囲気のままで気楽に話せそうな生活感がある^^

そんなのが私は好きですね  てな、話でした。
ちなみにリアルよりも、上品で、人にやさしそうってのが「HNぶいっちゃん」キャラかな?
そして、ネット上のHNぶいっちゃんには迷惑かけてしまったなぁと思うリアル私もいる(笑)
もっと真の意味で、ノビノビとした、キャラにしてやればよかったw  反省。

※↓の拍手がパワー満タンになると(100パワーくらい?)次の記事の意欲が湧く?(笑)
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