らんきーブログ

世の中のおかしな事をあたりまえに考える。大事な事は情報を知ることだけじゃない。だからどうするのってことじゃない?


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紀子さまが今日6日午前無事男児をご出産されましたね。よかった、よかった^^
41年ぶりの皇位継承資格者の男子皇族誕生ですね。おめでとうございます。
帝王切開という事だったが無事にそれも男児という事でほっとされた方々は多い事だろう。
順位は皇太子殿下、秋篠宮殿下に次ぎ第3位になるわけですね。
もちろん私が生きている間には今日生まれた親王の時代は来ないだろう。三時代も先の話ですからね。なんだか、ちょびっつ哀しい気持ちにもなりますね^^;そしてKOIZUMIが先の国会審議中に懐妊の知らせを聞いて鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた皇室典範問題。

皇室典範改正案提出、次期通常国会も見送り
 政府は6日、先の通常国会で提出を見送った女性・女系天皇を認める皇室典範改正案を2007年の通常国会にも提出しない方針を固めた。
 秋篠宮さま以来、41年ぶりに皇室に男子が誕生したことで、女性・女系天皇容認に慎重論が強まることも予想され、改正作業の着手の有無を含めて世論の動向をしばらく見極める必要があると判断した。
 皇室典範改正問題は小泉政権から次期政権に委ねられる。

 皇室典範改正問題について、安倍官房長官は6日午前、首相官邸で「皇室典範の議論は皇位の継承の安定という極めて重大な問題だ。慎重、冷静に議論を進めなければいけない。国民的な理解も必要だ」と述べ、時間をかけて議論する必要があるとの考えを強調した。 (読売新聞) - 9月6日16時6分更新

何を今更って気がしますね、安倍晋三官房長官!略してアカンボウ。
ま、あまりABEは皇室典範問題は難しくてわかってないだろうし、やる気も無かったとは思うけど(笑)郵政問題にしてもこの問題にしてもあっさりと方向転換する姿勢もどうかと思う。
あの時期に雅子さまも紀子さまももう産めないだろうと高をくくった考えがあったのだとも思う。あまりにも早急なKOIZUMIサイドの皇室典範問題の本質は皇室の弱体化狙いにあったようにも思う。いずれ皇室典範問題はじっくりと時間をかけて行う必要はあるだろうが今回はKOIZUMI悪政の中で決まらなくて何よりだった。天皇制の是非は色々な意見があるだろう。

いろいろな考えの人がいるのだろうが個人的には、皇室のあり方は今の平和外交主義を踏襲してくれるのであれば、"日本人の心の拠り所"のひとつとしてあってもいいと思う
日本の中の"一本杉"みたいなものか
自由と平和の心の象徴のような
バランス欠いた小泉やその取り巻き、「内心の自由」を束縛し全体主義に邁進しようとする石原都知事と米長邦夫ほかその他雑兵(土屋たかゆき都議みたいな連中)を、"諌める存在"であって欲しい
ぬぬぬ?:皇室典範、小泉敗走! @目先の功名心と心の問題、国のあり方

私も天皇制に関しては ぬぬぬ?のインターセプターさんと同じような気持ちだ。
とにかく男系だ女系だ女性天皇だ・・・といろいろな問題を時間をかけて国民にもわかりやすく、じっくりと議論して良い方向にいって欲しいと思う。

ところで速攻で買うと言ってた『小沢主義 志を持て、日本人:小沢一郎著』なんだけど
そこそこ大きな本屋さん3件を回ったがどこも売り切れ中でまだ手元に無い^^;
あちこちのブログ見ても売り切れって書いてる人多いし・・。
何で売り切れ? わざと? 戦略? それともすっごい売れてるの!!??
ABEの美しい国へは嫌がらせのようにあちこちにあったのに・・・・。
何か読みたかったからアメリカに食い尽くされる日本:森田 実 副島 隆彦 を買った。
うん、面白い。早速読んでみます♪

 あと60票くらいで1位になれそうです(笑) まだ押して欲しいの?て方はクリック♪
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戦争は世界のどこかで起こっています。
もちろん私も戦争は嫌いですし、日本では二度と起こって欲しくもないし、また関わってほしくも無いと思っている平和を愛する一人です。
しかし過去の日本の戦争・あるいはそれに付随するすべてが100%「悪」だったのか?というと???な面も少なからず持っています。もちろん戦争を美化するつもりは全くありません。戦争という行為自体はやはり悪です。人が人を合法的に殺す事が許される行為は悪です。

個人個人の立場から見た過去の日本の戦争観は人それぞれ微妙に違うと思います。
命令する側とされる側でも180度違う。体験者とそうでない人も違うだろう。
しかし誰が好き好んで家族や故郷から離れて、戦争に喜んでいくでしょうか?そこは人として今も昔もそんなには変わらないと思います。中には確かに虐殺あるいは侵略という面も過去の戦争の中にはあったと思います。だからといって過去の戦争・あるいはそれに付随する行為のすべてを「悪」の一言で片付けていいのか?という気持ちもあります。
非常に複雑ですね。だからといって過去の戦争を肯定しろという事ではない。

もし私があの時代に生まれていたらと考えると・・・・。
否応無く戦争に行った事でしょう。そこに何がしかの自分なりの大義をつけて。
家族の為・生きてもう一度愛する者達と平和に暮らす為にと。
そして戦争ですから生きる為に敵兵を殺したかもしれません。それは一生の傷跡になったかもしれません。しかしそれは悪なのでしょうか?それではその状況下でどうすればよかったのでしょうか?殺される方を選べばよかったのでしょうか?それも不自然です。それが戦争。
善悪を超えたもののようになってしまうその瞬間瞬間。
そしてその私が無事戦争を生き延びて、年老いた戦争体験者として今いたら何を言いたいだろうか?「戦争は悪」という言葉だけだろうか?
愛する者を守る為に亡くなった戦友に対しての言葉は?よくはわからない。

国の命令で戦地へ向かった人々全ての行為を戦争は悪だから、やはりそれに携わった人々すべてを「悪」の一言で済ませるのは酷だとも思います。もし勝っていれば現在の歴史観はすべて変わっているのですから・・アメリカのように。原爆の悲惨ささえ正義に変わる。
敗戦国の戦争と勝戦国の戦争の認識は180度違うのですから。

戦争という行為自体は国レベルで考えるに悪です。戦争は外交の延長という小理屈はあっても責任は全てここにある。それぞれの指導者・責任者という立場で考えても悪だと思います。やはり責任は大いにありです。
しかし従わざるを得ない国民レベルで考えるとすべてを悪だとは言い切れません。生き抜く道がそれしかないのですから。そして中には戦争の名を借りて残虐な行為をした者もいたことでしょう。しかし全てではない。歴史的にも悪いことばかりではなかった面もあったのではとも思う?しかし悪が仮にひとつでもあればそれはすべてが悪になるのだろうか?

自虐史観・教科書問題・侵略戦争か否か・東京裁判とは?・靖国問題・・・
すべて100%を右だ左だだけでは分け切れないものがいまだに日本人の中に人それぞれにあると思う。だからこそ様々な論議が起こっているのだと思う。
立場や歴史観で人それぞれに様々な考えはあるものだと思う。
国の立場の歴史認識もあれば、個人レベルでの歴史認識もある。
個人間で考えるに、その根底にあるものが戦争を美化するのではなく、反戦平和であれば議論する余地は十分にあると思うし、どちらの意見にも一利はあるとも思う。
どちらかが絶対に100正しくて、絶対に100間違いだという論法にはならないように思う。
国の立場としてはそうはいかないだろうが。

それでも反戦平和という信念は一緒でありたいと思う。国も個人も。
戦争の話をすれば「戦争好き」という単純なものでは無いと思う。
時代の流れに逆らえず、戦争に携わった方々全てが「悪」で片付けてはいけないと思う。
よその国で今現在起きている戦争を見てもわかる。
市民レベルでの正義や悪はそこにあるのか?という感すらする・・・。

戦争という行為自体は絶対に悪 であると私は思う。
そして世界中で戦争は永遠になくなって欲しいとも強く思う。未来永劫・・・・。
人類がいる限り難しい事ではあるけれど、いつの日かそうなる日が来ることを信じたい。
しかし過去の戦争・それに付随するモノ=すべてを悪 というだけではいけないとも思う。
歴史を正しく認識するという事は、いい事も悪い事も事実は事実として捉えて判断していくことなのだと思う。その上でやはり戦争は今後二度と起こしてはいけないと考える事が大事だ。

明日は終戦記念日。戦争のことについて一年で一番考えやすい日でもある。
戦争は反対だ、悪だというだけでは無く歴史としての戦争を知ることも無駄な事ではないように思います。もちろんその際に必要な根底に流れるものは二度と戦争は起こさないという反戦平和の心だと思います。 歴史の両面あるいは裏表を勉強する事は大事なことですよね^^

Let's Blow! 毒吐き@てっく:東京裁判の記録から削除された発言(動画)

Nippon1フラッシュ  Nippon2フラッシュ  Nippon3フラッシュ

下の3つは以前にどこかから見つけた各10分位のFlashです。音量を小さめがいいかも?
感想については各自の判断でよいかと思います。
ひとつの側面での見方としての資料としてみるといいのではないでしょうか?

 戦争は絶対に世界中で無くなって欲しいボタン♪
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明々後日の8月15日に最早、日本国の恥ずかしい象徴的な代表となった小泉は自分の公約通りにして何が悪いと鼻息を荒くし、靖国参拝を実施し自分なりの有終の美を飾る雰囲気だ。他の公約に関してもこれくらいの断固たる決意があればまだいいんだけど、そこは彼一流の「終わりさえよければすべて良し」的な美学であろう。
しかし誰もあなたが靖国参拝という公約を守ることに、注目していないんですけど^^;
あなた終わった人ですから~(笑)残念!!古っ

日本語を使用しての議論が成り立たない論理破綻型の総理をメディアは持ち上げてきた。過去の談話と矛盾しないのかと聞かれて、この程度の「逆襲」しかしない総理に外交戦略上の「百年の計」どころか「百日の計」も存在しない。8月15日、靖国参拝を終えて「公約は守りました。いかなる圧力にも屈しません」とタンカを切ることで、スッキリするのは本人だけである。
保坂展人のどこどこ日記 :前言を翻し、自らの「談話」を投げ捨てる小泉総理

見事です。保坂さんもいいこと言ってます。「百日の計」も存在しないと。その通り!
靖国問題。 何故こうも政治利用されるのか?何故毎年問題になるのか?
そして安倍官房長官 略してアカンボウは4月に官房長官として参拝しているにも関わらず知らん顔して靖国問題は争点にはしない等というような振りをするのか?
そもそも靖国問題がこうも国論を二分するほどの元はといえばA級戦犯の合祀をある意味勝手にした人達が靖国神社周辺にいたみたいですね。

意気込んで七月に就任した自称「無免許宮司」の松平は、五十三年十月の例大祭に際し、宮司預かりになっていたA級(戦犯)合祀をやろうと決意した。 問題は、事前に天皇および宮内庁と、A級遺族の了解をとりつけられるかどうかだった。  反対ないし辞退が出たらどうするか。さすがの松平も迷ったにちがいない。(略) (松平からの上奏簿を)受け取った方の徳川侍従次長は回想録で次のように回想した。
 『合祀者名簿は、いつも十月に神社が出して来たものを陛下のお手元に上げることになっていたのですが、昭和五十三年は遅れて十一月に出して来た。「A級戦犯 十四人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句 を言ったが、先方は 「遺族にしか知らせない」 「外には公にしませんから」と言っていた。やはり何かやましいところがあったのでしょう。そうしたら翌年四月に新聞に大きく出て騒ぎになった。そりゃあ、わかってしまいますよね』
  この記述には徳川の記憶違いかと思われる部分がある。「遅れて十一月に出して来た」のくだりは、十月十七日に予定されていた例大祭への勅使参拝に間に合わなかったかに読めるが、十月七日に池田権宮司が宮内庁侍従職と掌典職へ合祀者名簿を届けていることが靖国神社の社務日誌で確認されている。  それにしても、松平宮司がA級合祀という重要事について、事前に昭和天皇の「内意」を確かめず、また徳川から文句を言われると、木で鼻をくくったような返事をしたのは事実のようだ。
※ 月刊文芸春秋からの抜粋

結局この松平という人が宮司の時にA級戦犯合祀が行われた事は事実としてあるようです。
当時の厚生省から回ってきた名簿が長年「宮司預かり」となっていたものをこの、東京裁判否定派の松平という宮司がある意味独断でA級戦犯合祀の歴史を人為的に作ったようなものではないのか?もちろん松平宮司が全く単独で行ったのかあるいは国の関与(厚生省?)もあったのかはいまだにはっきりはしていない様であるが。

厚生省が名簿
 靖国神社の合祀は、戦前は陸・海軍省から天皇に名簿が「上奏」され「裁可」を受けてからおこなわれていました。同神社は陸・海軍省の共管から戦後、一宗教法人になりましたが、戦後も、厚生省援護局(当時)が名簿を靖国神社に渡し、神社側が「祭神名票(さいしんめいひょう)」をつくって合祀しています。
 A級戦犯も、六六年に厚生省から太平洋戦争開戦時の東条英機元首相ら十二人(のちに二人追加されて十四人)の名簿が靖国神社に送られ、七〇年の崇敬者総代会で合祀が了承されましたが、「宮司預かり」となり、当時の筑波藤麿宮司の在職中は実施されませんでした。
 厚生省から名簿が送られてきたことは、“靖国”派が「A級戦犯合祀は、靖国神社が勝手にやったのではない。国が関与している」と主張する根拠にもなっています。
A級戦犯の合祀は東京裁判否定が動機

ここでしょう?すべての根源は??違うの?
国側と靖国側がこの当時の問題をはっきりさせない事が問題では?
その厚生省から渡ってきた名簿をA級戦犯の遺族にも内緒で合否した事実にこそメスを入れて考えていく事がこの国論を二分するという靖国論争の元なんじゃないの?
どこか人為的に作られた論争じゃないかと思えます。合祀ありきで考えるので無く合祀は正当な手続きがあって行われたのかどうかが先に解決すべき問題なのではないでしょうか? 

松平宮司は、そのときの事情を次のようにのべています。
 「私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べて見ますと…合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。…それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです」(『諸君』九二年十二月号)
 つまり、日本の侵略戦争を連合国が裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)を否定するために合祀したというのです。 (『正論』二〇〇五年八月号)
A級戦犯の合祀は東京裁判否定が動機

もしこの松平宮司の合祀行動が無ければと仮定すると・・・今の靖国問題は全く意味合いが変わってくるものと思われます。合祀されない前の時点では靖国問題というのは無かったようなものだったのだから。そこら辺りからもうおかしな方向なんだけどね。片やアメリカを中心に行われた東京裁判に異議を唱え、片や日中共同声明を無視し中国を刺激し、結果として揉め事が増えただけで何もいい事はない合祀問題。わざわざ揉め事を作ったA級戦犯合祀

厚生省から渡された名簿が1978年、松平宮司によってA級戦犯合祀となり今日に至るわけだ。多分松平宮司が単独で動いたわけではないだろうとは思う。 
そして昨年9月から靖国神社の宮司に就任したのは、ななななんと電通に23年も勤めていた人が宮司になっているという今なお、おかしな靖国神社。まるで今の日本のミニマスメディア?それもやはり無免許宮司なのか?いいのかそんなんで? 

「中国が8月近くになると『靖国、靖国』と言い出す。靖国報道を広告費に換算すると1日1億円になる」。積算根拠も示しながらの説明に、別の宮司が「さすが元電通マン」と持ち上げた。 南部宮司は大手広告代理店、電通出身の異色の経歴を持つ。小泉純一郎首相が「8月15日参拝」を公約した01年以来、メディアでは賛否両論が渦巻き、メディアでの露出に比例して参拝客も増えた。昨年の8月15日の参拝客は、過去最高の20万5000人。靖国神社はこの5年半、「小泉バブル」の波に乗り、活況を呈しているが、その分、静ひつな祈りをささげる場とは程遠くなった。
元華族、電通出身--異色の宮司

靖国神社は今後電通の息がかかっていくということですか?政争の道具だけではなく商売の道具としても靖国神社は電通流のやり方で儲かっていくのでしょうか?
日本のマスコミを牛耳る電通が靖国を守っていくわけですか?よくは知りませんが・・・。
A級戦犯合祀の問題はほったらかしたままで靖国神社をこういった方向付けで向かわせていいのだろうか?何を考えているのでしょう?靖国神社?

結局、靖国問題というのはA級戦犯合祀ありきで考えることからしてどこかおかしくなっているのではないかと思う。分祀するとかどうこうするとかではなくまず1978年の松平宮司が行った合祀は妥当なことだったのかどうかを深く議論すべきだ。
そこをはっきりと決着をつけた上での靖国問題ではないのだろうか?
時の厚生省の名簿がどのような形で靖国神社に渡り、そして松平宮司が独断で?
あるいはどこかからの圧力もあってA級戦犯合祀に踏み切ったのかをはっきりさせてからの問題では無いのだろうか?
もし独断でやっていたとしたら国の取る態度はいち宗教法人に対して決まっているであろう。

A級戦犯の合祀がスムーズに国家を挙げて決まった事ではない、こんなうやむやな形での合祀であるのならば、そういった前提で靖国問題は考えていかなければならないのではないだろうか?
そこをまずはっきりとさせた上で、何か明らかな何者かの画策があった合祀であればそもそもA級戦犯合祀は白紙撤回しなくていけないものだと思う。そこから考えていくべきだと思う。合祀そのものを過去に戻って無効としたうえで考えるべきだ。

そんな複雑な国論を二分する程の問題を「心の問題だから」で一度も守ったことの無い公約の為にカッコつけの為だけに15日に参拝しようとする事に意欲を持つコイズミン。
中国には屈しないぞ!!見てくれたかアメリカ様って気分なのだろうか? 
本来、日中共同声明を考えれば首相は公式参拝しないのが国家として当たり前のことなのだ。そして参拝を拒否したら中韓の圧力に屈したとかいう発想もおかしなことなのだ。
A級戦犯が何故誰の考えで合祀されたのかが一番の問題だと思う。

靖国の何が問題なのか?これは決して宗教だけの問題ではなく、まして政教分離とか言うものでもなく、時の厚生省という国家側と靖国神社の松平宮司に絡む何か?みたいなものによって人為的に国論を二分されているものになっているだけだと思う。まずそこをはっきりとさせて1978年以前の形からもう一度再考していくべき問題ではないのでしょうか?
東京裁判を否定したい為に、靖国神社という宗教法人がA級戦犯を合祀したというのならば、それは自然の流れではないし、何が問題点かをはっきりとさせるべきでは無いのか?

こういった単純なことが放置されているという事は結局、A級戦犯を合祀させたかった人・あるいはモノは一体誰だったのか?そこがポイントなのではないか?
どちらにしてもこういったハッキリしない状況下の中で公約だからといって
自分の自己満足の為に参拝するコイズミン(小泉純一郎)や4月に勝手に参拝して知らん顔しているアカンボウ(安倍官房長官)の二人はアメリカの踏み絵なのか?とも思えるような靖国参拝を甘んじて行っているのだと思う。
アメリカにも中国に何かと使われる「靖国カード」。
もしも人為的な何かがあるのならばそこから手をつけて欲しいものだと思う。

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靖国問題 天皇メモで得するのは?

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歴史認識を回避せずにちゃんと公表する人でないと人を批判してはいけないか?
>歴史認識を回避してしまうと、他者を批判は出来ないものだと思う。
先日のブログ記事で頂いたコメント↑をもらってちょっと考えさせられた。
例えば天皇制の是非や南京問題や靖国問題や侵略戦争か否かや東京裁判・・・その他意見が分かれやすい問題などについてはっきりとした自分なりの意思表示をしないと他者を批判あるいは批評してはいけないのだろうか?実はちょっとどころか色々考えてみた^^

歴史認識(れきしにんしき)とは、歴史に関する認識、歴史観のこと。狭義では、ある歴史観を持つものが、歴史上のある事象をその歴史観で理解・解釈することであり、広義には歴史そのものに対する認識を指す。広義の歴史認識は歴史観とほぼ同義であり、また現在では前者の意味で使われることが多いため、この項では特に歴史上の事象に対する理解・解釈としての歴史認識を解説する。 ≪中略≫ 歴史上の事象を理解・解釈するに際は、個人や国家スタンスとしての歴史観が不可欠であり、全て歴史認識と呼ばれるものは各々の歴史観の元に認識されると言える。従って、どのような歴史観を持って事象を見るかによって解釈は大きく異なり、これら歴史認識の相違は時に軋轢を生む。  ※参照 ウィキペディア

どれくらいの資料を読んで調べて比較研究して歴史認識をすればいいのだろうか?
学者の間でも政治家の間でも国民間でもそれぞれの立場や思想で意見が微妙に分かれる問題について自分の意思表示をする事に意味はどれほどあるのか?
確かに『この歴史問題はこう思う』という態度はわかりやすいという感はある。
学者や研究者であればこういった意見は非常に有りがたく今後の参考にもなる。

しかし歴史認識についてどれほどの事を知った上で一般の人々は語っているのだろうか?
例えば本を読む際だけでもこの作家は好きだからこの人の意見は正しいとか思う事もあるし、また自分の尊敬する人の考えだからというような事も有ると思う。
しかしある意味、我々一般市民がリアル世界で歴史認識を語れば語るほど交友関係はある意味減るような気もする。あるいは片寄る?
この人は天皇制は否定派で南京問題は認めるべきだ派で靖国問題は参拝しない派で侵略戦争だった派で東京裁判はあれでいいのだ派だからいい、とか?
もちろん細部に至っては微妙なバランスがあるので一概に賛成派か否定派で分ける事は難しいだろうが大まかに言うとどちらかに決められるのであろう。

ではそれは各々どうやって決めているのか?である。
世に有る全ての資料や生き証人や情報を網羅した上で決めている人の数はそうは多くは無いだろう。どこかの部分で、例えば侵略戦争か否かで「先の大戦は侵略戦争だったのだ」という考えから入り、それを肯定していくための資料漁りをしていくうちに「侵略戦争ありき」の論法でそれぞれの問題が確信になっていったというような事もあるだろうと思う。
あるいは「南京問題は中国側の捏造だった」という情報から入りそれを中心に調べていくうちにやはりそれぞれの問題が確信に変わり歴史認識が出来上がる。

そしてそれぞれの認識が出来上がる過程で「反対意見の資料」等ももちろん調べている事とは思うが、それでもやはり最初に思った思想を中心に考えるからどうしても、どこかで猜疑心という色眼鏡で見てしまう事もあるかと思う。人間って最初に直感的に感じた事や自分の人生観から入ってきたものにはどうしても影響はされやすいものだと思う(私の例だけど^^)
学者や専門家ほどの勉強量が無い上での歴史認識はそんな事も多いと思う。
まして専門家だって片寄った考えの方はそれぞれの立場で多い。

それ以上に大きいのが歴史認識には個人個人の立場というものがあるであろう。
例えば祖父母や父母あるいはご自身が戦争にどんな形で関わったのかというだけでも、それぞれに揺ぎ無い歴史認識は出来ると思う。これは理論だけではなく自然な流れだとも思う。 
そして同じように戦争に関わったもの全ての人が、全く同じ思想を持っているかというと、これまたその立場や環境によってそうではないというような事もあるわけだ。

日本という国の歴史認識。アジアの中での歴史認識。世界の中での歴史認識。
他国の日本に対しての歴史認識はすべて正しいのであろうか?
国から見た国への歴史認識はまた大きく違う事も多い。 
しかし他の先進国には日本ほどこういった自国への歴史認識のあいまいさは少ないように思う。 良し悪しは別として国としての誇りを持った歴史認識があるように思う。
では何故日本はこうなのか?? ひとつには「敗戦国」という事実があるためだと思う。
ドイツもそうだ。同じ敗戦国でも多々違う面も多いのでここではその問題には触れない。
そう考えると敗戦国であるがゆえに、他国のようには単純に「国としての誇り」中心の歴史認識を肯定できない点もあるのだと思う。
戦後60年を過ぎた今、国としての態度をはっきりとさせる時期には、そろそろきていると思う。中国や韓国への対応がネックにはなるのであろうが現実問題として教科書問題も含めてはっきりとさせて頂きたいものだと思う。
そのうえで私は再度歴史認識について自分なりに深く考えていきたいと思っている。

>歴史認識を回避してしまうと、他者を批判は出来ないものだと思う。
この他者を批判は出来ないという事なのであるが、これは可能だと思っている。
極論ではあるが、例えばこれから明らかに犯罪を犯しそうな人間がいるのに、それを止める為に、いちいちその人の歴史背景は知る必要はないからだ。
どんな歴史背景があろうと因縁や怨恨があろうと目の前で行なわれそうな犯行を止めるのに理由は要らないと思うからだ。極論ではあるが^^;
逆を言えば同じ思想を持つ人でも変節はあります。ですから他者を批判するという意味においては「歴史認識」よりも今現在の 「人認識」 でいいと思います。

正直に言うと私の中にもある程度の考えはある。しかし賛否を出すには割り切れないものが多いためにあえてブログ上では書かない事が多い。
歴史認識を回避はしていないが、ブログ上で賛否はあまり言わない。
仮に賛否を言って得する事といえば、似たような感じ方をされる方々からの温かいコメント^^損する事は批判コメントみたいなのが増える事か?^^;

一般市民の間でそれぞれが「あった・なかった」「賛成・反対」と言うだけの議論をしても実りは少ないように思うからだ・・・特にネット上では。
その人個人個人の歴史を知らない・わからないではないか?
例えば戦争で悲惨な思いをした家族の人に対して、これから徴兵制は日本に絶対必要だという議論をして勝てる?あるいは理解を得られるでしょうか?
無理だと思います。そういった不特定多数の個人個人の歴史を知らない人が多数いるのがネットの世界だと思います。 強い感情は議論だけでは解決されません。

私はどんな賛成意見でも反対意見でも一理有ると思っている。100:0は無い。
歴史認識はそれぞれにあることだと思うし、はっきりしている人の方が読みやすいし、理解しやすいし、読んでて自分と同じ場合は嬉しいような事もある。
しかし私は、自分がどちらかの意見をいう時にいつも思うのはその相手が自分の親や肉親や恋人や友人や恩師等の大事な人々や、あるいは取引先の仕事関係の人に対しても言えるかどうかというような点を考える。不自由なもんだ^^
それでも言える方はそれは確固たる歴史認識を持った人であると思うし尊重もする。

しかし私はリアル上でそれぞれお互いの個人間の歴史をある程度知っている人間には自分の歴史認識を持って語っている。日本人には日本人に向いた言い回しで、あるいは在日の友人には在日の方にあった言い回しで^^内容は同じでも言い回しは違う。
私の場合は相手の人生観や歴史背景が見えてこそ言えるレベルの歴史認識という事なのかもしれないが^^; リアルとネットではやはり微妙に違うようではある。 しかし、リアルにしてもネットにしても、言葉の向うには「人」がいるのは間違いないとは認識している。

※ 関連 ※
私の歴史観 その1 5/5
私の歴史観 その2 5/6
私の歴史観 番外編-間主体性より- 5/7

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今現在の日本国が好きな人・そうでもない人がいる。
今現在の日本人が好きな人・そうでもない人がいる。
当然、今現在の日本国を嫌いな人がすべて日本人も嫌いだ というようにイコールにはならないわけですね。それは当たり前の話。
今の日本国のあり方は嫌いだけど日本人は好きな人って方は多いでしょうし。
日本人から見た場合でも外国人から見た場合でもそれぞれ色々あるわけだと思います。
国と人の好き嫌いは別ものであるという事の例なわけです。

多分,大多数の人がそう思っているように「人」だけで考えるとどの国の人でもいい人はいるし、悪い人もいる。だいたい比率もそう大きくは変わらない事だと思う。
宇宙の法則みたいなもの「いい人:悪い人」の比率があるように思う。
悪い人ばかりであれば国は滅びてるだろうし(笑)
中国にしても韓国にしてもアメリカでもそれはどこの国でもそう変わらないだろう。

それな~の~~に~~~ である。

ブログやどっかの掲示板とか見ると「中国人」や「韓国人」に対しての誹謗中傷や変な書き込みは相変わらず多いようですよね。
中国や韓国の政策や反日教育などの国側への問題に対してならわかるのですが(私だって今の日本の政策には毎日のように批判してるし)だからといって中国人や韓国人という「人」をそれをもって非難する事とはまた別だと思うわけですね。
例えば中華思想によって元々属国意識扱いである黄色人種同士の日本を責める事によって国をまとめる為の手段として未だに「反日教育」を取っている国側に批判する事はわかるわけです。しかしどこの国も日本同様、権力側から、正しいであろう情報が国民にはちゃんと伝わっていない訳だからそれをもって「国」と「人」をごっちゃにするのはおかしいわけですね。

要するに○○人を誹謗中傷等をするおかしな理屈としてあるのは例えば数人の中国人の犯罪で10億人すべてを語ってたりしているようなことだから笑えます。
わかりやすく言うと仮に宇宙人がダーツの旅で地球に来て、たまたま見つけた第一村人を捕まえて地球人60億人のすべてをわかったように語っていることと一緒なのですね。その理屈で言えば日本人なんて極悪人ばっかりでしょう。あちら側の国から見たら。

結局、国を批判する事と人を批判する事は別箇だという事ですね。当たり前だね(笑)
百歩譲ったとしてその国の政官財暴マスメディアに携わる方々への批判などは理解できるとしても「人」は批判するべきではないと思うのが普通の感覚ではなかろうか? 現在の世界では力関係は違っても「政官財暴マスメディア」の5つの権力の癒着によってだいたい国家というものは運営されているようなものであろう。
その5つの権力に携わるものは、まぁ誹謗中傷は「国家的有名税」としてしょうが無い部分もあるように思う。 がそれぞれの国民に対しての批判・誹謗中傷は国がそうだからといってイコールでそこの一般国民もすべてそうだと決め付けるのはおかしい。

ということで、ネット上で見かける「○○人はどうたらこうたら」などの発言コメント等は何がしかの権力に携わる人間たちの陰謀の匂いがプンプンするわけである。要するに煽りヤラセなのだ。もしくはよくわかっていない子供の落書きでしかないと思う。
普通の感覚の大人ならば「国」と「人」は別々に考える力くらいは持っていると思うからだ。
これは日本だけの事ではなくオリンピックや野球・サッカーなどで異国で何か騒ぎが起こる時もそうである。プンプン臭うのだ。結局「人」という個人が騒いでいるのでは無く、「国」側がさせているようなものだ。それぞれの国のある権力を持つ者たちの煽動なのである。

という事で今後はそういった書き込みを見つけたらそう思ってください。
ネットウニョ? ネットニョロ?(笑)っていうんですか?なんて言うかは知りませんが、ああいったのもその類だと思った方がいいですね。
言葉面だけ見て流されないように・・・。権力の手先サンたちがノルマを持って一所懸命書かされているんだなぁと思ってみると楽しいネット生活が送れるかと思います。

※今日はジックリと書いた別の記事を投稿する寸前まで行ったのですがアップの途中でサーバーダウンしてすべて消えてしまい、残ったわずかな気力でこの記事をアップしました。疲れました^^一度消えた文章って逃がした魚のように大きく感じますね。いい記事だったけど、しばらくは書けないなぁ・・--; 

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ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

占領下の日本では、GHQ当局による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画、WGIP)」が展開され、日本人の歴史観、道徳観を悉く否定し、徹底的に破壊しようとする試みがなされた。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が再びアメリカ及び連合国の脅威とならないよう、徹底的に無力化、弱体化させることが目的であった。民間検閲支隊による検閲と民間情報教育局による宣伝は相乗効果をなし、日本人の精神的武装解除、「去勢」のプログラムは動き始めたのだった。
上記のWGIPや自虐史観や歴史問題などの関係のよく出来たフラッシュをたまたま見つけましたので参考までに下記にリンク先を載せておきます。
Nippon1  Nippon2  Nippon3


各10分程度のFlashです。音量を小さめにしてみた方がいいかも?
よく出来てると思います。その感想については各自の判断でよいかと思います。


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GW中に訪れられなかった方の為に・・・
長いお休みご苦労様です。(皮肉ではないっす(笑))
通常のアクセス数よりもGW中は半分近く少なかったので多分職場などで閲覧されて下さってる方が多いんじゃないかと勝手に思っております(それとも人気下降気味なのか?)
GW中の記事を下記にまとめましたので興味のあるものだけでもご覧になってください。

WGIPシリーズ3部作
戦後GHQによる洗脳プログラム「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画、WGIP)」について思う事を書いております。

人生に影響を与えるもの1 ーWGIPよりー 4/30
人生に影響を与えるもの2 ーWGIPよりー 5/1
人生に影響を与えるもの3 ーWGIPよりー 5/2

歴史観シリーズ3部作
私の歴史観を書いております。今後末永くお読み頂く為にも是非ご覧下さい。

私の歴史観 その1 5/5
私の歴史観 その2 5/6
私の歴史観 番外編-間主体性より- 5/7

共謀罪パロディです
今週大きな動きが予想される共謀罪についてわかりやすく物語化して書きました。
愛国心+共謀罪=三猿国家 5/4

その他
ナビゲートのOJTコーナー 教えること、教わること~に掲載された仕事の話と、私の人生を作った?漫画人生の2つです。
許すということ 5/3
漫画人生 4/29

そんなにリンクを貼らなくてもちゃんと見なかった分は最初から読むっ!て素敵な方は
こちらの(4月29日分) らんきーブログ:漫画人生 からごゆっくりとご覧下さいませ。

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「相手の立場になって考えてみる」=「間主観性」をお持ちの方々に限りますが・・・。
という言葉で昨日の記事 「私の歴史観 その2」 は終わった。
こんな当たり前の事が出来ないばかりに世の中で人と人の間で揉め事が多いわけだ。
あるいは国と国の間でもそうだ。「オレがオレが!」「オラがオラが」と我の主張だけを唯一無比の真実だ正義だと一方的に攻め立ててしまう。要するに話しにならんってことだ。
話にならん人にいくら話しても話にならんわけでこれほどの人生の無駄は無い。

普通の感覚の人なら、現実社会でこんな人がいたら、まず付き合わないし二人きりで会うことなんてまずしない。 ましてこちらが仮に100正しいとしよう。100:0だ。
それでも全く無理なのが話しにならんって状態の事をいうわけだ。
人の生き方を変えたり考え方を変えたりさせる事はこの点を認識する事から始まる。
まず相手に0.01%でもいいからその「間主観性」の「氣づき」がない事に始まらないからだ。いくら素晴らしい事をこちらが言っても相手に氣づきがない事には馬の耳に念仏、鹿の耳にお陀仏で全く意味がない。 とここまで書いていたら猫だぬきさんから有り難いTBを頂いた。
ぶいっちゃんさんの、ここ数日の人生観と歴史観の考査は、とても興味深いものでした。特に『人生に影響を与えるもの2 ーWGIPよりー』での日本論
・日本人は物まねがうまく、良いとこ取りの加工上手だったのが、敗戦とWGIPによる自信喪失で、「ただ受け入れるだけ」の国になってしまった。
・日本が国際社会の中で生きていく上での必然として、「第二次大戦」「敗戦」WGIP」があった。今後は「脱WGIP」を目指すべき
勝手に要約しちゃいましたが、この点についてはパソコンの前で大きくうんうんと頷き、一方で、私とは違う考えに、うーん?と考え込んでみたり…。
 過去を知って未来を見る。温故知新の心か…
思わず私もパソコンの前で大きくうんうんと頷きました。そして私の考えに現実性という名の肉を(狂牛ではない安全な^^)付け加えていただきました。こういったことが私の歴史観や人間関係の理想に近いものです。私は自分の意見が100正しいなんて思った事も無いし、これからも状況に応じて自分の人生感において変貌していくものだと思っている。
そういった意味で【私とは違う考えに、うーん?と考え込んでみたり】してくださると逆に嬉しいわけです。そしてその意見によってまた私の考えもわかりやすくまとまってくる。

誰かの意見によって自分の意見を言う。言葉や文字にして発言する事によって普段自分が思っている事が形となって現れる。これは意外に大事な事です。
思っているだけでは弱いんですね。ちょっと前に「言葉の結晶」という記事でも書いたのですが「ありがとう」という言葉でさえ口に出さないと相手には伝わらないし、そして口に出した瞬間から自分や相手もそこから何かが変わることもあるからだ。
本は読むだけではいけないんです。(ブログやHPにしても読むだけでは勿体無い)読んだら誰かに話すとかあるいはブログでも何でもいいから文字にしたりしてまとめてみるとか、そうやって得た知識を自分の内から発するという行動によって初めて自分の中で上手に消化・吸収されていくものだと思います。そしていずれはそれが自分自身の言葉にもなっていく。

世の中100%同じ事を言う人がいる方がおかしいんですから。0.01%でも相手の立場になって考えてみる事が出来れば会話は成立するもんだと思うのです。と書いているとまた昨日の記事にまましえさんから嬉しいコメントを頂きました。
ぶいっちゃんの書いてる事の意味って本当に本当は皆そうだよね~って感じで、殆どの人が共感できるっていうか、共感すると思うのです。
でも、実行する段階になると。。。なかなかってとこでしょうか?(苦笑)
そうなんですねぇ。私は当たり前の事を書いてるだけなんです(笑)結局実行するかどうか、だからどーすんの?と私のブログの主旨にもあるようにわかっちゃいるけどどうしたら?という事が一番大事なことだと思うんです。
情報はもう昔に比べたら格段に溢れています。今からはその情報をどう吸収してどう実際に生かしていくか、行動するかという事がポイントになる時代だと思うんですよね。

私のブログの場合で言うと、私の記事(情報)だけではなく、そのコメント欄やTB先で様々な方から補足をして頂いてやっと完結していくみたいな事だと思います。
そしてその上でご自分の考えを何らかの形で発するのがベストだという事だと思います。
それが昨日書いた記事の「間主観性」のブログ上での正しい応用活用だと思うのです。

関連記事
私の歴史観 その1
私の歴史観 その2

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昨日に引き続いて 歴史観シリーズです。

例えば織田信長
信長といえば比叡山焼き討ちで女子供も含め数千人を虐殺した史実があります。これを時代背景を考えて「腐りきった中世的権威の打破」と評価するか、「狂人的な残虐行為」と捉えるかは意見が分かれる事でしょう。当時、叡山の僧兵たちは魚肉を喰らい酒色に溺れては女を抱き、浅井・朝倉連合軍を匿って公然と信長に叛旗を翻す武装勢力でもあったという事ですから新しい秩序を創造する信長にとってはまさしく天下布武の邪魔な存在として徹底的に叩き潰すということだったのでしょうが・・・。

もちろん今の世の常識から行ったら許されるものではないのは当たり前だのクラッカーです。と、話にあわせて古いギャグを入れてみました。
ちなみにコイズミンは信長好きという事ですが特に上記の行為が特に好きらしいですね。
いやはやなんともです。そんな人が世の中にいるとはとんでもハップンです。

日本の歴史上、ジェノサイドを派手に行なったのは信長だけではないかと言われています。
しかしもし信長が本能寺で殺されずにそのまま天下を取り織田時代をその後築き上げたとしたらその後の歴史はどうなったか?って事。当然、比叡山焼き討ちの際には宣教師なども見聞し、記録にも残したりしていますから動かせない史実としては残っても信長の子孫によってかなり後世の人が今よりも納得しやすいような記述に歴史は書き換えられていた可能性も多いにあったのではないかということを思います。

あるいはこういう例はどうでしょうか?
今から数百年後になると現在起こっている出来事は歴史となります。
その未来の世に歴史研究家が、偶然、数百年前のブログを二つだけ見つけたとする。
ひとつは「きっこのブログ」もうひとつは「政治家○○さん」のブログ。
どちらに書いてある資料をまともだと思うかってくだらない例え話です。
「‥‥そんなワケで」「マヌケなのはジンジャエール」「・・・と思う今日この頃なのだ(笑)」みたいな文体と官僚上がりの「ですます調」の文体のどちらを参考資料として使うだろうかというような事です。もちろんその研究家の器量次第なのですが書いてある事が全く正反対の内容だったら多分・・・・の方を資料として選択すると思います。それが普通だと思います。

私は資料とか記録みたいなものを100%信じる事はありません。何がしかの作為は必ず働くと思っていますから。私のブログでさえ作為がアリアリですし(笑)
書いた人の思想や立場。そしてその資料を読んだ人の思想や立場。そしてそれを公表した時代背景等で天動説か地動説か?ってくらい変わってしまうものだと思うのです。
もっとわかりやすい例は個人の日記の類です。(日記ですら資料になる事ありますよね) 私も子供の頃書いていた事がありますが私が主人公の日記ですから、他人から見たら正確な自分史にはなっていません(笑)他人が読んでも私の数分の一の真実もわからないことでしょう(笑)

昨日の亀田兄弟の試合やその活躍ぶりにしても早くも賛否両論です。
iFinder 雑読乱文 : 世界王者になったら納得します。 >デスノートは必見(笑)
同じものを見た人でも、その情報や考えから必ず分かれる意見が出てくるものです。
私の中での亀田クンの評価は「親孝行」という言葉を世間の人達の耳にたくさん届けたという事が一番です^^ 賛否両論は別としてそこは評価しています。
亀田兄弟のような現在進行形の話でも、受け取り方はまったく正反対になる。
もちろん亀田兄弟たちは過去の歴史ではなく今から自分達で歴史を作っていけるのですから、そういった意味で頑張って欲しいものです。

例えば共謀罪みたいな今問題になっている問題も現在進行形です。これはまだまだ情報は少ないですが過去の歴史とは違い、今現在「誰が言った」「こう書いてある」といったような事がリアルでわかるし、何らかの形で参加も出来るだけに議論のし甲斐もあります。まだ終わった歴史とはなっていない、今からいかようにも変わる歴史の始まりの段階だと思います。成り行き次第では国側の歴史と国民側の歴史と別れてはいくことでしょうが・・・。

歴史とは資料の積み重ねをどう解釈(これも人なり)していくかによって大きく変わる。
司馬遼太郎の司馬史観にしてもそうですし、吉川英治が戦時中に書いた宮本武蔵にしてもそうです。(戦後、訂正・加筆されてる事でも時代背景というのはあると思う。)
ガリレオが地動説を唱えた時には誰もそれを信じようとせず、いや天動説が正しいのだと疑わなかったようにそれぞれの思い込みという名の常識はいつの世もあるのだと思う。

今回「私の歴史観」というシリーズを作った一つの理由
世の中には人生の大きな価値観は一緒でも、様々な問題の中で意見の相違や衝突は誰にでもある事かと思う。それでも現実社会では余程の事が無い限り縁を切るような事は少ないと思います。しかしネット上では自分の考えに合わないものを斬捨てて自分の考えと同じ人だけを集めようとすることもあろうかと思います。
同人系の趣味やファンサイトならばそれでもいいのだと思います。

しかし人の歴史観は人の数だけあると私は思います。「右」だ「左」だ、だけでは人の思想は分けられないとも思うからです。それらを少しでも知ってもらった上で友好的にそしてお互い有効的にお付き合いが出来たらいいなぁと思いこのシリーズを簡潔に書いています。その為にはやはり会話しかないのです。ネットの場合は文字による会話だけにちょびっと難しい^^
会話が出来る相手とだったらいつの日かもっと分かり合える共通の歴史が出来るのではないでしょうか?もちろん会話が出来る相手とは昨日の記事で書いた通り「相手の立場になって考えてみる」=「間主観性」をお持ちの方々に限りますが・・・。

≪まだ続くか?(笑)≫

関連記事
私の歴史観 その1
私の歴史観 【番外編】 -間主観性より-

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人にとって多感な時期に何と出会ったか?何を知ったか?誰と出会ったか?などで人生は変わるし、またその影響も大きいものだと思うという事で連日書いている。
その影響とは、最初に出会う親であったり兄弟であったり、あるいは一冊の本と出会う事で、例えそれが漫画であってたとしても大きく人生が変わる事もあれば、あるいは信頼していた最愛の人から裏切られたりした事で人間不信に陥ったり、またはたった一人の悪人と出会った為に大きく人生を狂わせられたり、人の人生とは偶然あるいは必然の中で常にたゆっているように思える。  「人生に影響を与えるものーWGIPよりー」第3弾です。

情けない例だけど、私の妹なんて大人になって、自分に常識がないのは(例えば冠婚葬祭のしきたりとかね)親のせいだといって親を非難する事があった。兄弟ですからもちろん私も妹以上に常識知らずに育った事は大いに認める(笑)。しかし私はそれは決して親だけのせいではないと思っている。自分がどこかで恥をかいたのなら、その後、自分で調べるなり、聞いたりして、そこから覚えていけばいい事だからだ。親がこうだったから、先生がこう言ったからとその時々の人の所為にして自分を省みない事の方が恥ずべき事だと思う。要は自分がそのことに『氣づく』かどうかの事だと思うのだ。

しかし純粋無垢な子供から10代の多感な時代に受けた影響というのは大きいものだ。
素直な人、あるいは物事を真正面からしか見ない真っ直ぐな人、俗に言ういい人ほど、知らず知らずのうちに自分でも意識してないうちに身についた生き方・考え方を変えることは難しいのかも知れない。そう猫だぬきさんの記事を見て思った。
私は小学校時代の数年間、校区に被差別部落地域がある特殊な学校で過ごしたことがあって、そこですごく変な教育を受けた。具体的な内容はいつかちゃんと書いてみたいと思ってるのだけど、(ちなみに以前の記事は 2004.12.17 と、2005.8.8)部落の人や朝鮮人、身体障害者を差別してはいけません、という人権教育とセットで、大変な反日教育を受けた。  猫だぬきのこだわり :いま話題の「愛国心」について

幸い猫だぬきさんは聡明な方でよかったが、こういった教育を学校やあるいは家庭で朝から晩まで受けてきた人と私のように同和の集会があるって聞いて、「何?童話の集会とかお前んとこじゃあってんの?」と聞いてるような子供時代を送ってきたノーテンキな子供とはその思想や根っこの部分がこの時点から、もう大きくかけ離れている。
目や耳から入ってくる教育や、知り合う人達が私らとは違う世界にいるわけだからその後の人生観も大きく変わっていく事は間違いないだろう。

結局、立場や思想が違えば、同じ情報・あるいは事実を見聞しても全く逆の受け取り方をしてしまうという事になるわけだ。例えば「愛国心は必要か」という諸外国では当たり前のような設問にしても日本の場合ではそれぞれの立場で全く違った受け取り方になるように。
教育というものはある面では恐ろしいし、また非常に大事なことなのである。大人や家庭や親たちからの教育もそうだが、特に公の場で受ける教育は尚更大事な事だと思う。
人生に影響を与えるもの の大きなものの一つとして「教育」は絶対に外せない。

その教育の根本は国の姿勢にあるのだと思う。日本に今現在ある全ての問題を一致させる事は難しいにしても「日本とはこうなのだ」という強い意志を持って国内外に示さなくては行けない時期に来ているのではないか? と思うのだ。
日本とはこうなのだという姿勢において内政干渉されるいわれは無いように私は思うのだ。
日本とはこうなのだ の中には歴史問題も含め様々なものが含まれる。(いつか書こう)
それをうやむやにしたまま「愛国心」の強制的なことをしても揺れるだけだと思う。本末転倒なのである。まず国の姿勢有りき だ。そこが難しいんだろうけどね、今の政治家では(笑) 
そういう意味で猫だぬきさんの上記引用のような事がある現状では以下の意見が現実的だ
教師たちを縛るため、教育基本法に「愛国心」の精神を盛り込むことは賛成。
これは絶対に必要だと思ってる。 猫だぬきのこだわり :「愛国心」昨日の続き

しかし、その『日本とはこうなのだ』という姿勢がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)や反日教育などの戦後60年以上も経っているのにいまだに日本にかけられたままの呪縛に対してのひとつの答えになっていくのではないだろうか?
その為にも日本の政治家はいつまでも内向きのペコペコお辞儀と金を貢ぐだけのお子様政治ではなく、毅然とした大人の政治を行なって欲しいものだ。
いつまでもWGIPが日本人の人生に影響を与えたものであってはならない筈だ。

 【関連記事】
人生に影響を与えるもの1 ーWGIPよりー
人生に影響を与えるもの2 ーWGIPよりー
人生に影響を与えるもの 外伝 ーWGIPよりー

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いい悪いは別にして日本人は物まねがうまい。異文化を吸収しながらオリジナルなものにしていくという意味でですね。外国のいいところを取り入れて自分流にアレンジする。
それは遣唐使の時代から今日に至るまで料理や音楽、アニメ、あるいは産業技術さえも、物まねで始まり、そしてその勤勉さで吸収し似て非なるものを作り上げていく。
私が好きな点で言えば、カタカナやひらがなもそうですね。中国から伝わってきた漢字を自分のものにしていく点で、日本人が画期的だったのは、カタカナの発明によって日本人は大和言葉を漢字で表現することを容易にし、それから発展的に平仮名も発明していったわけだ。
まさしく日本オリジナルの、世界に二つとない発明だと思う。

それはやはり島国ニッポンの特徴かも知れない。日本人は元来好奇心は旺盛なのだろう。
喜んで相手国の影響を受けるという無節操さ、柔軟性こそ、日本の進歩の源泉であると言える。そこまで熱心に外国の知識や考え方を取り入れることで、それが結果的には日本社会に大きな刺激を与えるからである。また、これほどまでに積極的に外国の影響を甘んじて受けるというのは、実は、日本人が自国の文化のしたたかさに対して自信を持っているからなのである。自信がなければ、つまり、圧倒的な外国の影響下に入ったが最後、自国のアイデンティティが喪失するという危惧があるなら、フランスのように、外国文化の影響を遮断しようとするはずである(日本も江戸時代はそうしたが)。あるいは、イスラム諸国のように、宗教教義を守る必要から外国の制度や習慣を取り入れることを抑制したはずである。しかし、日本はよいと思ったところからはとことん吸収することを躊躇しなかった。これは世界的にみても希有なことであると言わなければならない。  中谷巌のページ:日本はなぜ成功したのか~文明論からのアプローチ」
確かにそうだと思う。鎖国前の中国と交流が深かった時代や幕末の頃の欧米文化の対応にしても一時的には無節操と言ってもいいくらいにかぶれていくのだが、ある時期を過ぎると日本のオリジナルなものに変わっていく繰り返しが日本の独自性だったのかもしれない。

日本文化を大事にしつつ、異文化のいいとこ取りをするしたたかな誇りある国民性だったように思う。 天才アインシュタインが1922年(大正11年)に来日した際の言葉で
「予が1ヶ月に余る日本滞在中、とくに感じた点は、地球上にも、また日本国民の如く爾(しか)く謙譲にして且つ篤実の国民が存在してゐたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、予にとつてまた斯くの如き純真な心持のよい国民に出会つたことはない。又予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然にかなひ、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。又福岡では畳の上に坐つて見、味噌汁も啜つてみたが、其の一寸の経験からみて、予は日本国民の日本生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した。」
アルベルト・アインシュタインと日本
とこの時点でも強く日本の色合いを残している点を言い残してるし、アインシュタインも日本に対して強い感銘を受けたのだとも思う。もちろんアインシュタイン自身も「日本の風習の中で、保存すべきものまで破壊しようとする気風には感心しません。」と警鐘はしている。
もしかしたら微妙なバランスの中で欧米文化を吸収しようとしていた日本人の中に西欧への憧れや羨望の気持ちが強くなりかけていた時期を見聞していたのかも知れない。

そして昨日書いたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)。
国民全体が色々な手段により今まで信じて疑わなかったものを否定されてしまった。
それまで正しいと習っていた教科書を塗りつぶす当時の子供達の心境は計り知れない。
すべてにおいて昨日まで信じていたものを否定される事の衝撃の大きさ。
それぞれの人の内なる中で自分と国家との戦いがそこから起こったかも知れない。

確かにアメリカ等から吸収すべきものをとことん吸収し奇跡的な経済発展は成し遂げた。
しかし戦後の敗北感の隙を突かれたWGIPは日本古来の優れた文化や精神性をも破戒し、日本人が元来持っていた自国の文化のしたたかさに対しての自信までをも無くさせてしまい、すっかりと欧米かぶれしたままで今日を迎えたように思う。

そこには漢字から「カタカナやひらがな」を発明していったような自国の気高い民族性は無く、いいも悪いも一緒くたに吸収してしまった(特に負の部分や心の部分まで)
外国のいいところを取り入れて自分流にアレンジする事が充分に出来なかったのである。
その時から、現在の誇り薄き国家と国民の姿が始まったように思えるのだ。
与えられるモノ、押し着せられるモノだけに喜びを感じる画一的な、とにかくそこにいれば、
ホっとするという感のあるコンビニ国家が完成しつつあるように思う。

戦争は歴史的に必然だった部分が多いと私は思う。そしてWGIPも必然だったとしよう。
それぐらいサムライの国、日本は他国から見れば脅威の国だったのであろう・・・。
そしてもうひとつある、いまだ成し遂げられていない必然。それはWGIPだ。
WGIPの呪縛からの脱出は日本が日本と足らんとする為にも必然の筈だと思う。
戦後60年も過ぎて、まだその必然は完全には発生していないように思う。

勝ち組、負け組の格差社会のような理屈で、勝ち国・負け国の格差は永遠にあっていいものなのか?WGIPからの呪縛を解き放つことすら負け国には出来ないものか?
ましてWGIPの直撃世代以降の人々の中にも呪縛の中にいる人が多いように思う。

愛国心もいいけれど、そのWGIPの呪縛を完全に解き放つことを抜きにしては、
真の愛国心は生まれてこないし、育たないようにも思う。

【関連記事】
人生に影響を与えるもの1 ーWGIPよりー
人生に影響を与えるもの3 ーWGIPよりー
人生に影響を与えるもの 外伝 ーWGIPよりー

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昨日は私の人生がいかに漫画によって影響を受けてきたかという事について書いた。
人にとって人生に影響を与える年代というものがそれぞれにあると思う。私の場合はいくつになっても中学生前後の影響というのは恥ずかしながら人生の根幹にあるようだ。
漫画のように面白おかしく正義は勝つのだ~っ!僕朕も勝つのだ~♪て感覚で人生を謳歌したいといまだに思っている自分がいる(笑)
いい意味でも悪い意味でも、人にとって多感な時期に何と出会ったか?何を知ったか?誰と出会ったか?などで人生は変わるし、またその影響も大きいものだと思う。

そこで今日の話題はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)です。
占領下の日本では、民間情報教育局(CI&E)による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画、WGIP)」が展開され、日本人の歴史観、道徳観を悉く否定し、徹底的に破壊しようとする試みがなされた。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が再びアメリカ及び連合国の脅威とならないよう、徹底的に無力化、弱体化させることが目的であった。民間検閲支隊による検閲と民間情報教育局による宣伝は相乗効果をなし、日本人の精神的武装解除、「去勢」のプログラムは動き始めたのだった。 Yahoo!ブログ - teikokubungaku
そしてそのWGIPというGHQによる洗脳プログラムの影響は’52年4月28日のサンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復した後も、色々な形でなにかといまだに作用しているように思う。
戦後1945年から1952年までの期間のこのWGIPを直接的に受けてきた方々の年代は今現在60代~70代以上の方々になる。7年間もの洗脳教育を受けてきた結果が今の日本の政官財の主導者たちの年代とほぼ同じである。もちろんその年代の方でも全てがそうだというわけではないのは言うまでも無い。しかしその7年間だけではなく講和条約でGHQの占領が解除された後もその影響は大きく戦後の日本を蝕んでいると思う。

物事に対して疑いを知らず信じ込みやすい人、あるいは人の言う事に対して疑いを持たない人、お国から流される情報はすべて間違いないと思ってる人等など(今でもいっぱいいるよね、そんな人)そんな方々がこのWGIPの呪縛に掛かりやすのではないかなとか思う。
ましてや真実の話の中にWGIPの戦略が散りばめられていれば尚更であろう。
それが正しいと教われば信じる方が普通の事だ。日本人は元来素直なのだから。
という事はその後の年代でも親や教師や周囲の人達の影響でこのプログラムの影響を少なからず受けている人は占領されていた7年間以降もずっといたというわけであろう。
日本は、建国以来この6年7ヶ月のGHQによる占領統治期を除いて外国に占領されたことがない。これは世界史上ほとんど例がない(地理的条件も大きいが)2000年以上の歴史を築いてきた世界史上稀な国家なのである。
そういった日本においてこのWGIPは前例の無い事だけに、戦後間もない混乱の時期、今とは比較ならないほど素直に受け入れられたのではないかとも思う。そしてそのWGIPの影響は他の中国や韓国等の国にも少なからずあるように思う。利用されたとでも言おうか。
戦争は勝ったものがその国の歴史を変える事ができる。負けた者の声は封殺されるのが世の常である。「勝てば官軍」と昔から日本でもいうようにこの点では日本人はある意味潔いのかもしれない。しかし国内だけではそれでもいいだろうが今の時代、世界の中の日本という事を忘れてはいけないだろう。

教育というのは難しく、自分が影響を受けたものを簡単に捨て去る事は中々出来ない。
それが人生の中で根幹に関わる時期に受けたものであれば尚更だ。
まして昔は今とは違い情報は皆無に近い時代だ。周囲に余程しっかりとした考えを持っている人がいなければまず流されるのが普通だ。現代でもそういう事は多いし。
逆にこれだけ情報が進んだ現代でも、情報が多すぎて今度は何を信じたらいいのか何が正しくて何が悪いとかの判断が難しいという弊害もあるが・・・。
個人的には自虐史観には反対だ。真実は真実としてもちろんそれぞれが論じても構わないとは思うが、日本人としての誇りは誇りとして持つべきだと思うからだ。
少なくとも私が子供の頃の周囲の爺さん、婆さんは人として素晴らしかったように思う。

今よりももう少し日本人は誇りを持ってもいいのでないかと私は思う。
WGIPがどれだけの影響があったのか?なんことは別としても少なくともそれ以前の古い日本人像の方が私は好きだ。

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