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らんきーブログ

世の中のおかしな事をあたりまえに考える。大事な事は情報を知ることだけじゃない。だからどうするのってことじゃない?


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【三行日記】    
ここ一週間、アクセス数やクリック数が減っています。私のブログだけではなく他の政治関連の方々のも減っているようだ。早くも福田総理になってからの効果か?面白みが無いから?
関心が無いというのが実は一番怖い現象だ。 気をつけないといけないですね。


自分の主義主張と違う人らとどう付き合うか?
これって、政治関連のブログを書いている人にとっては一種の試金石になる。
私がここ何日か書いていた「死刑制度」にしてもお付き合いのある方々の多くは「死刑制度廃止」を支持される方々が多いというのは知っていてあえて書いた部分もある。
世の中で当たり前のように生きていれば、日常的に考えの違う人にバンバン当たる(笑)
仕事関係で言えば、下げたくも無い頭を下げたり、こちらが悪くも無いのに、謝ってみたりと、ネットで騒ぐ若く社会経験も無い子たちにはわからないような理不尽な事は普通にある。

自民党打倒の反権力の俗にいうリベラルと呼ばれているようなブロガー側でも、皇室制度や、死刑制度等で、意見が分れてしまう事はよくあることだ。さぁ! あなたならどうする??
Myリンクも外して、一切付き合わないという方もいるだろう。それとも反論を引っさげて、なんとか考えを変えてもらうようにする方もいるだろう。その対応は人によって色々である。
私はどうだろうか? あまり気にしない  それが、「らんきー流」です。(笑)
と書くと無責任すぎるので言葉を足すと、人それぞれ違ってしょうがないと思うのである。

死刑制度で言えば「廃止」の意味づけはよくわかるし、その通りだと思う部分は、私の中の、薄く、か細い、知的部分でよくわかる。 そして「存続」の方々の感情的部分もわかる。
とはいえ、マスコミに流され被害者遺族に無責任に同調しバカ騒ぎするようなのは論外だ。
そして今現在は、法制度として、死刑制度はあるわけで、その意味合いで言えば双方、存在していいと思っています。煮詰めていく事でしかこの問題は解決しないと思っています。
死刑制度に付随する様々な諸問題をまずは片付けていかなくてはいけない。
必要なのは会話。 それは庶民同志ならば、もっとも大事な事 だと思う。
お互いの意見を尊重して意味のある、発展的な会話にしていかなくてはいけないという事。
だから縁は切らない。どちらの意見にも一理はあると思っているから。 100%は無い。

私得意の極論で言えば、
死刑存続派の方々は自分や身内の方々が冤罪や国のミス等で死刑宣告されたとしても。
死刑反対派の方々は、自分の身内が目の前で間違いなく無慈悲に殺されたとしても・・・。
というリスクをお互いが抱える立場にあるわけでもある。どちらも苦しい覚悟はいる。

死刑制度廃止のスタンスとして、TB頂いた信頼するブログからいくつか、ご紹介。
SIMANTO BBS:死刑制度について考える=その2(51)
夢想飛行-非連続線上の飛躍:死刑制度は廃止するべき
村野瀬玲奈の秘書課広報室:死刑廃止 カテゴリ

私の中での存続の理由のひとつとして、抑止力というよりも、教育みたいな意味合いがある。
愛する人が殺されたら相手を殺したくなるくらいに憎んでしまう感情が生まれるのだという、
人が人でない状態にさせられるのが殺人であり、死刑なのだという事を伝えるようなこと。
結果として、数字にはでない抑止力にも繋がるのだと思いたくなる部分がある。
将来的に日本でも諸外国のように死刑制度は廃止の方向へ向かう可能性は強いだろう。
それもいいと思う自分もいる。それで真面目に生きている人たちが幸せに生きられるのなら。
結果的に、その両論の行き着く先は、マジメに生きている人たちが平和に生きられる世の中になって欲しいという想いがあるのだと思いたい。
人は人を殺してはいけないという点は一致している筈  と、これもそう思いたい。

異論をお互いが双方の立場で決め付けて会話をしてしまえば、そこから会話は生まれない。
お玉さんのブログにもあったこの言葉。平和憲法に対しても同じように見かける言葉です。

百万回繰り返されているであろう言葉
じゃあお前の家族が殺されても、犯人を死刑にしなくていいんだな?
もしも私が被害者の家族だったら、犯人を私が殺すかも知れない
凶悪犯人を死刑にしないなんて、町中に極悪殺人鬼があふれかえるよ。
被害者の立場に立てないあなたって、なんて冷たい冷血漢。


お玉おばさんでもわかる 政治のお話:犯罪被害者の声が聞こえますか

これ以外にも、自分の家に強盗が入ってきて、家族が殺されようとしても闘わないで「平和」を訴えるだけでいいのか?というような意見も戦争したがっている勇ましい人たちからはよく出ますよね。 しかし、これは違うと思います。 
逆を考えれば意図的に悪人に強盗をさせれば戦争はすぐにヤラセのようにでも起こりうる。
それが今の世界で起こっている、いや古今からの戦争の理由ではないのか? 
だから法律が、そしてそれに通じる考え方が根本的な部分から必要になるだと思うのです。

未然に防ぐ事。 防ごうとしていく事。 そのためにはどうしたらいいか考える事。
これが今からの社会のあるべき姿だと私は思っています。
本来は未然に防ぐ意味での「死刑制度」、「平和憲法」だと、砂糖よりも甘く私は思います。
しかし、そのどちらもその抑止力や効果等には疑問をもたれていますし問題点も多い。
結果的には死刑は殺人ですから、法務大臣ではありませんが他人の生命の問題に命の消滅ボタンを押す事は私がその立場でも難しい。後で冤罪とわかったとしたら第二の殺人だ。
平和憲法と死刑制度は比較できません。 全く次元が違うものでしょう。
しかし、平和を願う心はお互いに同じ部分としてあります。死刑制度を支持する人の間では、抑止効果をあげます。そんなには無いという反論もあるでしょうが、私は抑止力が存在する世界に、もっともっとなって欲しいと考えますし、そうしなくてはいけないと思う。

超理想として考えるに、平和憲法を世界中の全ての人が守れれば戦争は起こらない。
死刑制度として、殺人を犯したら死刑になるかもしれない。それは嫌だと思える人ばかりだったらこの世から無益な残虐な殺人は起こらなくなるのではないでしょうか? 
そうはならないから、無益な殺人は減らず、戦争も止むことは無いのである。
「平和」「平和」と唱えても戦争は無くならない。 攻められたらどうするんだ? となる。
「死刑廃止」「死刑廃止」と唱えても、身内が殺されたらどうするんだ? という議論になる。

その根本は「教育」にあるのだと思います。そして大元は「政治」にあるのだと言う事です。
だから政治の事を知ろうと思う。もっと考えなくてはいけないな と思うのである。
全ての人々がこの問題をどちら側からでもいいから真剣に考えて、議論でもする機会がもっと増えて、実りのある会話が増えていく世の中になって行けば、実は戦争も殺人も激減するでしょうし、素晴らしい世界平和の効果が期待できると思いますけどね。
やはり会話が大事です。 そして、まずは知ることでしょう。 無知は世界を滅ぼします。
それは福田内閣の支持率(別名:無知率)が高いという事と無関係ではない(笑)危険です。

参照:自分の愛する人が殺されたら? 【山口母子殺人事件より】

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【一行日記】 
福岡もやっと涼しくなってきました。今日は久々の休みなので政治の話も休みにしました。


昨日、死刑制度の問題を書いたばかりに隠しコメントやメールで色々ご意見貰っています。
また、死刑制度賛成派にありがちな強引な論法コメントも削除させていただいています。
理性と感情。国と個人。色々な要素が絡み合った死刑制度。正解はわかりません。
冤罪の可能性を考えると確かに安易な死刑制度は危険です。鳩山法務大臣の意見もバカ。
それはよくわかります。しかし、私は自分の「愛するもの」がいなくなったらブログはもちろん書けないし、生きる気力もなくなるのは間違いない弱い男です。
だから私個人に関わる限り死刑制度はアリだとやはりシツコク思っています。
この話は続けましょう。 そのうち時間があれば、また記事を書かせていただきます^^;


今日はオフクロの誕生日でした。
ちょっとしたプレゼントを持って嫁さんと一緒にお祝いに行きました。 脳梗塞で数年前に倒れて、それ以来、多量の薬漬けの日々で食欲も無く、ガリガリになっています。
歩くのもしんどいらしく、会う度にやせ細っていって、声にもハリがないのがよくわかります。
帰る間際に、部屋に飾ってあった母親が作った花のジグゾーパズルを貰ってもいい?と聞くと快く了承してくれました。それからジグゾーパズルの話をしたらどんどん生き生きしてきたので、「仕事場に飾るモノが欲しかったので、ジグゾーパズル今から買ってくるけん、作ってくれる?」と聞くと、「いいよ!」と益々生き生きした返事をしてくれました。

それから2000ピースのジグゾーパズルを嫁さんと一緒に急いで買いに行って来ました。
「じゃぁ、出来上がったらメールで教えて!ゆっくりでいいけん」と言うと、嬉しそうな、元気な顔してそのパズルを手にして袋から早速出していました。 
玄関まで迎えに来たくらいだから余程嬉しかったんじゃないかな~?久々の親孝行?
出来上がったら事務所に飾ろう。
そして出来上がったのを受け取りに行く時はまた新しいジグゾーパズルを持っていこう。
母親との久々の絆が出来たような気がしました。 そんな休日の一日でした。

愛するものがいなくなったら、生きる価値は無い。
そして死刑制度を望んでいても、自分でその相手を殺せるかどうかはわかりません。
おそらく自分で手を下す事は出来ないでしょう。そこも弱い男です。
間違いないのは死刑制度とは、それを望む自分に対しても宣告されるものだという事。
その是非はともかくとして、少なくとも残された遺族よりも苦しく厳しい人生を送らせる事は不可欠です。そういう点でも現行の法制度は加害者に甘くおかしい。無期の次が死刑ではね。
残された遺族以上の苦しみ、刑罰を考える事もマジメに考えていいと思う。
おっと・・・また書いてしまった^^; またいつの日かゆっくり書きます。

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【一行日記】 
後半の記事では賛否両論あると思いますが、うまくまとまらないままに書いてみました。


世襲政治家の資質というのをちょっと考えてみる。
当然、二世、三世以降の政治家は選挙権を持ったその日から、親と自分にしか投票はした事がない(笑)それだけでも庶民とは大きくかけ離れた政治に対する意識の違いはある。「選挙は身内の為」それがまず基本理念であろうw 自分以外は入れた事がない一族なのです。
全てがそうではないが、基本的に世襲という事は親と同時には基本的に選挙に出ないってことですね。福田康夫にしても政治デビューが遅いですよね。福田は父赳夫氏の引退を機に1990年に53歳で政治家となっている。安倍晋三も同じである。父親の地盤(後援会)・看板(知名度)・鞄(資金)という財産を引き継いだ苦労知らずの2代目だ。
地盤があるという事はどういう事か。周囲に気を配るという気質が後天的に身につくだろう。
というよりも自分に利害関係のある人にだけは気を配るといった方がわかりやすいですね。

選挙権を持った日から、一度たりとも自分と身内以外には投票した事がない世襲政治屋。
こんな辺りからも一般庶民とは大きくかけ離れた政治に対する意識の違いはある。
独自の政策を考える閑がないのでは? 比較すべき政治を考えた事がないのである。
幕藩体制の昔を考えれば、「お家大事」しか頭にないのである。藩の利益しか頭に無い。
そんな政治家が多数を占めるこの国の政治に、真の民主主義国家は生まれない。
民主党にも世襲政治家はいるが、自民党のその比率は50%は超えるのではないか?
参照:世襲政治家一覧(ウィキペディア)
ざっと数えただけでジミングス(自民愚衆)の半数は世襲政治家になっているようですね。
当選させる選挙民が悪いのですよ、これは。ここら辺りから変えなくちゃ政治は変わらない。


さて、政治の話はちょっとお休みして今日はこの話を少しだけ書く。山口母子殺人事件だ。
私もこの記事は昨年、2回書いた。死刑制度の是非はともかく、この問題は大きくなった。
らんきーブログ:死刑制度とは -山口母子殺人事件より-
らんきーブログ:死刑制度とは2 -山口母子殺人事件より-
1年以上前の記事ですが、かなり偏った意見を私は書いています。一部で顰蹙もあるでしょう。今でも詳しい事は書けないが現行の日本の法律では死刑が存在する。法が変わらない限りその前提で被害者側の庶民は考えると思う。法律とはそんなものだ。極論例話を。

私の妻と子供が殺されたとします。その犯人は捕まり、100%冤罪ではないとします。
私は死刑制度に疑問を持っているので、哀しく辛いけれど死刑は望まないとします。
しかし私の両親と祖父母は死刑にして欲しいと裁判で激しく訴えていたとします。
しかし裁判の結果では無期懲役となった。
そして10数年後、犯人は出所し、そして年老いた祖父母と両親が、逆恨みされた犯人に殺された。しかし、私は死刑論者ではないので、それでも私はその犯人に死刑は望まない・・・。 
そして結局私は天涯孤独の独りぼっちになりました。
これは極論です。そんな事例は今まで一度も無いでしょう。
仮にこんな状態でも、許さなくちゃならないのかってことでしょうかね?出来ますか?

この問題は難しいです。これだ!という答えは無学な私にはわかりません。 しかし、殺した側、加害者側の家族の気持ちと、殺された側、被害者遺族の側の気持ちで考える事は庶民には出来ます。そうして考えた場合、冤罪で無いと断定できる場合はその犯人の生い立ちや事情がどうであれ、私はどちらの立場にいても現状では死刑はやむを得ないと思います。
現状で日本が死刑が無い国ならばちょっと違うと思います。逆の運動は起きるでしょうが。
自分の身内が明らかに冤罪の可能性の無い犯人に何人殺されても死刑廃止を支持できるかどうか?ですね。罪を憎んで人を憎まずで、自分で処理できるかどうか?
私は自分の中で処理できる自信がありません。皆さんはありますか?

死刑制度を廃止するかどうかというのは現行の事例に当てはめて考えてはいけないと思う。
被害者の家族も死刑を望む人もいれば、そうでない人もいると思います。
全ての被害者が死刑を望んでいるわけではない。そこも考えないといけない。
死刑が存在する国で、愛するものが意味無く殺された時。死刑を望むのは自然である。
また犯人に死刑を望まない被害者がいてもおかしくは無い。周囲が決め付ける事ではない。
本村さんは犯人の死刑を望んでいる。それは現法律下では自然な事なのである。
また弁護士が犯人を弁護するのも自然な事ではある。その人数の多さは別として。
惜しむらくは被害者側にも同じ数の弁護士が必要ではある。そこもおかしいところだ。

感情論を正論の拠り所にしたマスコミの一方的な偏向報道も加わるから、こういった問題もまた難しくなる。被害者側の心情をメインに流す報道はよくないと思う。誰もが安易に同じ方向へ行く。被害者感情と第三者である視聴者感情は別物として考えなくてはならないでしょう。
そして山口母子殺人事件を「死刑制度」問題に安易に結びつけてしまってはいけない。
犯人にどういう判決が下るかは、わかりません。被害者家族は結果を受け止めるしかない。
そしてどちらの結果になったとしても、楽しい事なんてこれっぽっちも無いのは間違いない。
誰が好き好んで「死刑」という殺人をしたいか!仮に死刑執行されても新たな苦しみは続く。

現行の法律下では「自分が死刑になるか、ならないか」を悩み苦しむ事が、犯罪者にとって一番の極刑かも知れない。 自殺願望の狂人・殺人者には効果は無いだろうが・・・。
そういった意味でも死刑制度は、深く広く考えていくべき余地があると思う。
愛する人が殺された時。 理屈ではなく感情が支配するのはしょうがないことではある。
愛する人が殺された時。 人生の価値が「愛するもの」だけの人もいる。
愛する人が殺された時。 そこから考えなくてはいけないと私は思う。綺麗事ではなく。

愛するものが殺されても、変わらない考えを持つ事は想像を絶する以上に苦しい事だ。
殺された側の被害者だけがそういった崇高な精神を持っていても・・・・・。
自分の愛する人が、意味も無く殺された時、あなたならどう思いますか? そして、
愛する人が誰かを理不尽に殺した時・・・・。こちら側からも考えなくてはいけないですね。
どちらにしてもどちらか一方を煽ったり、世論誘導する事はよくないと思います。
難しい問題です。 この世に悪人が存在する限り、善人の間で悩む問題です。
虚論ですが、死刑を望みたくなるような犯罪が起こらなければ問題ないのですけどね。

参照:庶民から見た 「死刑制度」と「平和憲法」


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今日は何かとワイドショーのネタが多い日のようである。
ニッポン放送株売買を巡る村上ファンドのインサイダー取引疑惑で、東京地検特捜部は5日、代表の村上世彰が、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で取り調べ、容疑が固まり次第逮捕する見通しだとか。 
誰が言ったか 「もの言う株主」の、村上ショージ・・・じゃなくって^^(この私の好きな村上ショージは「何を言う~!」だった(笑))
村上世彰は「この世界の憲法を破ってしまった。私は身を引きたい」と引退宣言で締めくくったという事だ。インサイダーねぇ・・・インサイダーとは!!??
ヒルズに住んでる連中がサイダーを飲みながら悪さやってるって事ではない(笑)

企業の役員・従業員・株主、および証券会社などの会社関係者が、その職務や地位によって得た未公開の情報を利用して行う自社株などの取引。証券取引法によって禁止され、種々の規制が行われ、罰則規定が設けられている。内部者取引。Yahoo!辞書

しかしヒルズ内では当たり前のように日常的にあってるのではないかと皆さん思っているんじゃないでしょうか?多分やってるよね。ヒルズに住んでる時点で「勝組」の特権くらいの感覚で、偉そうに、平気で情報は飛び交っている事でしょう。
不正は不正だし、元々村上は好きじゃないからこれ以上のことは今は書かない。
現時点ではこの事件はあまり興味ない。 でも阪神ファンの方はよかったネ^^

そして昨日から世間を騒がせているのが「秋田小1男児殺害事件」で逮捕された畠山彩香ちゃん(9)の母親 だ。もしかしたら「秋田小1男児殺害事件」の事件名も違うタイトルになる可能性もあるような不可解な事件だ。遺体に付着していた毛髪を鑑定した結果この母親のものと一致したそうだからまず間違いない。昔と違い、現代では都会だろうが田舎だろうが関係無しに頻繁に人情の欠片もない悲しい事件が起こるようになった。
最初はこの母親は被害者だったし、自分の娘は事故ではなく何かの事件に巻き込まれていたというような行動を取っていたはずなのに・・・不可解だ。

そしてこれが今日の本題の事件 奈良女児誘拐殺害事件

奈良市の小学1年の女児(当時7)が下校途中に誘拐、殺害された事件で、殺人やわいせつ目的誘拐など八つの罪に問われた元新聞販売所従業員、小林薫被告(37)の論告求刑公判が5日午前、奈良地裁(奥田哲也裁判長)であった。奈良地検は「犯行の隠蔽(いんぺい)とゆがんだ支配欲のため、純真で抵抗することを知らない女児の命を奪った犯行に人間性のひとかけらもない」として、死刑を求刑した。・・・中略・・・・
検察側は論告で、風呂から上がるしぐさをした時点で殺意を持ったとする被告の供述は唐突で不自然とし、「事前に殺害を計画し、女児を自分のものにしたいという支配欲を実現させた」と指摘。さらに「性格のゆがみを、学校でのいじめや父親の暴力などの成育環境のせいにしており更生、矯正は難しく、再犯の可能性が極めて高い」と述べた。小林被告に死刑求刑 奈良女児誘拐殺害事件

あの被害者の子の母親の携帯電話に女児の遺体画像を送信したあの男だ。
本人も死刑を希望してるかのようである。あのもう死刑執行された宅間と同じだ。
しかしここで思うのは死にたいと思っているものを死刑にする事は極刑になるのか?ということだ。

ならないだろう。 自殺願望が強い男の手助けをするようなものである。
死刑制度は私は必要だと思っている。しかし、この二人にしてもマンションから子供を放り投げたあの男も自殺願望が元々あったという事だった。 怖い時代になってきた。
ある意味死にたい人間が自殺の方法に「死刑」という手段を選ぶようになったのだ。
それも自分が死ぬ前に異常な体験をする事により己の快楽をむさぼった上で・・・だ。
そんな犯人らが自ら望む死刑という刑では生ぬるいというよりもう駄目だ。

自らが犯した罪の重さを認めさせる方法人並みに後悔・懺悔させる方法もう一度生きたいと思わせる方法・・・・・そういったものを与えて、そして人間に戻してからの死刑制度ではないかと思うのです。 現実的にその方法は難しいだろうが・・・。
しかし、死にたい人を死刑にする死刑制度というモノには矛盾を感じます。
残された道は、死しか残されていなくても人間として死に向かって行って欲しいものだと思う。
それが最低限の奪った命に対してのの代償ではないだろうか?
被害者の感情からしてみれば一刻も早く という気持ちもあるだろうが・・・。

現実的には、じゃぁ何をさせればいいのか?難しい面も多い。そんな人間でも税金で養われていくわけだから、お金もかかるし、人手もかかる。
まずは自給自足をさせる事とかかな?米を耕し、野菜を作って・・・自給自足・・・。
本音を言えば、死刑になるよりも過酷な労働なり、何らかの罰を与えるという方法もあるのだと思うが、それはそれで難しい。 死よりも辛いもの。極論を言えば死刑になる前には死ぬより辛い厳罰(昔で言えば拷問)が待っているぞというようなこと。
犯罪抑止としてはまだ、その方が有効だと思う。(人権派は反対だろうけど)
それを考える事はこれから必要かも知れない。
自殺願望の変態犯罪者に効く、抑止力のある法制度も必要な時代だと思う。

そしてもっと大事な事。 そういった人間が何故増えているのか?
人間の根本から、これからの人間が生きる道を考え直さなくちゃいけない。
家庭のあり方。教育のあり方。社会のあり方。政治のあり方。・・・・・・
人間としてのあり方を。

  最後まで読んでくださり有難うございました^^(現在4位:社会・経済ニュース部門)
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山口県光市で1999年に起きた母子殺人事件で殺人罪などに問われ、一、二審で無期懲役の判決を受けた当時18歳の被告(現在25歳)の上告審弁論が昨日18日最高裁第三小法廷で開かれた。
前回記事を書いてから早一ヶ月が過ぎていた。> 死刑制度とは-山口母子殺人事件より-
以下のような弁論が行なわれその結果は今年の夏頃になるそうだ。
山口県光市で99年、主婦(当時23)と長女(同11カ月)が殺害された事件の上告審弁論が18日、最高裁(浜田邦夫裁判長)であった。上告した検察側は「残虐な犯行で、死刑の適用を回避すべき特段の事情は認められず、無期懲役の二審判決を破棄しなければ著しく正義に反する」と主張。一方、弁護側は「一、二審が認定した殺害方法は、遺体の鑑定書からみて事実誤認があり、傷害致死罪などだけが成立する」と主張。審理続行を求めたが、法廷はこれを退けて結審した。
しかし加害者の弁護士(死刑制度廃止論者)らは前回は時間延ばしの為に法廷を欠席し、今回は「首を押さえていたら、死んでしまった」「子供については、泣き止ませるために首をヒモで蝶々結びにした。首を絞めたわけではない。したがって、殺意はなかった」等という殺害方法に事実誤認があるなどという幼稚な弁論だったり、あるいは加害者に反省の手紙を数十枚書かせて裁判所に送ったり、本村さん宛にも反省の手紙をはじめて送らせたらしい。
本村さんは死刑という決定が出るまでは開ける気はないと語っていた。当然だ。
何故今頃になって反省の手紙を書く?自分が助かりたいからという理由の手紙のどこに見る価値があるというのだ。そしてその反省の手紙は今後も送るのだという。

前回の記事にも書いたが犯人が獄中で知り合った友人に送った手紙はひどい内容のものだった。反省の欠片もない犯人の嘲笑うかのような文字の数々。あの当時でも反省は少しもしていないのに今になって反省するわけがない。死刑廃止を唱える弁護士たちの知恵で書かせていることは100%ミエミエで自分の命の為には嘘の文章まで平気で書かせるという行い。弁護士も犯人も最低の行為だ。

この犯人は奥さんを殺害した後に強姦しているのだ。そしてまだ11ヶ月の赤ちゃんまでをも殺している。弁護士が言うように殺害方法がどうであろうとこれは間違いない事実なのだ。
人間が赤ん坊を殺せますか?殺せるんですこの男は。異常体験をしてしまった男なのです、この男は。その後の友人に送った手紙でもわかるようにその事に関して何も思っていないのです。更生は出来るわけがない。

死刑廃止論の活動を行なう事はいいと思う。世の中二つ以上の意見や考えが無いと逆に恐ろしい。しかし冤罪の可能性の欠片もない間違いない今回のような極悪犯には死刑はやむをえない処置だ。国選弁護人でさえいらないくらいだ。
極論だが「今回の事件には弁護人は必要なし」という裁判があっていいくらいだ。
被害者の方にこそ、国選弁護士を何人もつけた方がよっぽどいい。

殺人事件が起こった瞬間から殺人者は「人権」という名の法で守られていく。
被害者の方には何もない。今回の山口母子殺人事件だって本村さんが行動しなければこれだけの展開には絶対ならなかった筈だ。あまりにも被害者は無力。
その点、本村さんは本当に立派だった。最後まで理路整然と戦っていった、正々堂々と。

仮にこの犯人が無期懲役などという生ぬるい刑であと数年で出所するような事があれば本村さんの命も危ないという事に一審、二審で無期懲役といった裁判官らは考えようともしなかったのだ。あれだけ人の心を持っていない人間ならばそういう可能性まであるのだと思う。
本村さんら被害者家族の命を守るためにも死刑しかないのだ。

自分が殺した女を犯す事が出来る、泣いている赤ん坊を叩きつけて殺す事が出来る人間とはいえない生きもののどこに更生の文字があるだろうか?
18歳だろうが未成年だろうがなんだろうが死刑しかない。
万が一、この裁判の結果が死刑では無く、無期懲役のまま終わったら、この国はもうなんでもアリだ。殺したもん勝ちの世に中にしてはいけない。
犯罪予備軍は腐るほどいるのだという事をよくよく考えて結果を出して欲しい。
判決は本村さんら被害者家族と共にまじめに生きている全国民への結果であって欲しい。

そして死刑廃止を唱える弁護士は真の活動をして欲しいものだ。
人権は人に対してあるもので、人以下の生き物には人権を利用して欲しくない。
私は赤ん坊を殺せる人間を人とは絶対に思えない。
死刑廃止をしたいのなら、死刑制度を無くすためにくだらない悪知恵を犯人に教えたり、庇ったりする事ではなく、死刑にさせられるような悪人をこの世から減らす為の活動をする事の方が遠回りで地味かもしれないけど必要だと思う。
こういう犯罪を犯すと死刑になりますよと1万回でも1億回でも言って回ればいい!
それがいつの日か本当の意味での死刑廃止の世の中になっていく活動だと思うのだ。

参照:
自分の愛する人が殺されたら? 【山口母子殺人事件より】

庶民から見た 「死刑制度」と「平和憲法」


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栃木リンチ・警察無視・無能殺人事件の判決が昨日くだった。
「捜査怠慢と長男の死亡の因果関係」が認められ須藤さんの訴えは認められた。
詳しい事はもうご存知の方も多いと思いますが事件の概略を簡単に記します。
(こういったニュースすら知らない人達がまた同じような犯罪を犯すのでしょうか)
1999年宇都宮市の日産自動車に勤務する須藤正和さん(当時19歳)が、2ヶ月間拉致監禁された上に首をしめられ殺害された。監禁から殺害されるまでの間に、被害者少年は700万円もの金を巻き上げられた挙句、毎日のように熱湯シャワー、リンチなどの拷問を行われていた。犯人の少年4人組は、被害者少年に「暴力団の車と事故を起こした」などと嘘をつかせ両親や友人から借金をさせ、その金を全て巻き上げていた。
被害者の両親は、息子の異変に気づき再三に渡って警察に相談を行ったが、全く警察は動こうとはせず、結局最悪の事態を招くことになる。少年4人組は栃木県内の山林に穴を掘り、正和さんの首をネクタイで絞めて殺害し、セメントを流して埋めた。
事件は、加害者少年の1名が自首した事から解決に向かってゆく。当初、事件は加害者の3人組みの少年の中に栃木県警の息子がいたことから、身内をかばっての隠蔽工作かとも思われたが、加害者の中に被害者と同僚の日産自動車社員がいた事から、地元の有力企業である日産自動車の強い意向により、栃木県警が隠蔽を行ったのではとの見方もある。
栃木リンチ殺人事件 詳しい事はこのサイトで読んで欲しい。
あまりにも痛ましく残虐非道な犯人たちの行いは書きたくも無い。

要するにこれは未成年の犯人4人と警察そしてTV等では流れませんでしたが日産という企業の歪んだ関係の中で起こった犯罪だと言う事だと思います。
もちろん一番の原因は主犯格を中心とした少年らなのは言うまでも無い。しかし栃木県警の対応は酷すぎる。須藤さんのお父さんの判断で電話に出た際の「石橋の警察だ」と名乗った刑事に至っては直接画面上で謝罪して欲しい。ここまで馬鹿な人がいるとは・・・。その処分はわずかばかり(17500円)の減給処分だけでいまだに現役警察官だという・・。いいのか?

その刑事は主任だったという。主犯格の少年の父親はその主任の上に当たる係長だということだ。まさに何かあったとしかいいようが無い。推測だがおそらくその少年はそれまでも父親の力で度々もみ消してもらったりしていたのではないだろうか?
そしてもう一人の少年の父親は日産に勤務していたという事や、日産の総務にも警察の元警視がいた事から、やはり何かあったとしかいいようが無いものを感じる。
ちなみに警視というと石場署の署長クラスの力があり、年功序列の縦社会のああいう組織では日産の総務の方が力関係では上なのだろう。
今回のニュースにしてもそうだが、昨夜のTVニュースで知った事では知りえない日産の情報などネット上には溢れている。TVは言うまでも無いが、いまだに真実をありのまま報道する事よりも、人の命の尊さよりもスポンサーが大事らしい。

この判決結果が「画期的」だったという。 何故? 当たり前の判決だろうに。
もっと厳しく他にも処分して欲しいくらいの当たり前の判決だ!!
栃木県警は控訴を検討うんぬんといっていたが、まだ気が付かないのだろうか?
亡くなられた須藤さんの最後の「生きたまま埋められるのかな。残酷だな」という言葉を須藤さんの父親は裁判で知ったそうだ。昨日のニュースで流れていた。そのうえ警察のウソの発言で傷つけられた奥さんまでもが脳出血で亡くなられ・・・。
父親や無念の思いのまま亡くなった母親の気持ちを察するにあまりにも可哀想である。
栃木県警は罪の意識すらもないのだろうか?全く人間の組織として不思議すぎる。
あれだけの嘘と怠慢とそしてある意味人殺しをした一員なのに・・・・。

警察にもセカンドオピニオンみたいなことが当たり前に出来るようになれば・・・と思う。
病気の際の医者だけではなく警察組織に対しても今後は必要なのではないでしょうか?
医者とは違い警察にはくだらない縦と横の繋がりがあるから難しい面もあるとは思うが・・。
今回の事件でいうと石橋署の刑事はとんでもないバカだったから違う署の心有る刑事に頼む というような事はやってみたのだろうか?
今調べてみたら、宇都宮東署等、他いくつかの栃木内の警察署ともコンタクトはしたようだ。

しかし今回の事件の発覚は犯行二日後に反対する母親を押しきり少年Dが警視庁三田警察署に自首し、この自首によって栃木県警と関係のない警視庁三田署が動いたことが事件発覚の端緒となったということらしい。このDが、メンバーの中で唯一人の栃木県警管轄外の住人だったことが事件発覚のための大きなポイントとなったという事からも、警察へのセカンドオピニオンは病気の時の医者選びと同様に頭に入れておいた方がいいかもしれない。
しかし他の都道府県に頼むというのも労力も必要だし大変なことではあるが・・・。

改めて故人に合掌。

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山口母子殺人事件の口頭弁論が昨日3月14日に行われる筈だった。
その前日のニュースでは妻(当時23歳)と長女(同11か月)を殺害された本村洋さんは最高裁での口頭弁論が出来る事に感謝し、その結果には責任を持って甘んじて受けるような事を語って覚悟を決めていた。それが・・・
山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われた当時18歳の元少年(24)の上告審弁論が14日、予定されていたが、「日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される」との理由で弁護人が欠席したため開かれなかった。元少年は1審と2審で無期懲役の判決を言い渡され、検察側が死刑を求め上告。口頭弁論が開かれることで結論見直しの可能性があった。検察側は「裁判を遅らせる目的なのは明らか」と弁護人不在のまま結審するよう求めたが最高裁は認めなかった。

このニュースを聞く度に、本村さんを見る度にホントに自分の事のように頭にきます。本村さんの人生も7年前から永遠に止まったままなのだ。本村さんは言ってる事が7年前の22歳の頃から非常に熱く正しい。立派だ。私が彼ならばあそこまでしっかりとした言葉が言えるか?と思うほどいつも共感して聞いている。
月間『正論』「だから私は少年の死刑を求める」(本村洋氏)

麻原などの担当もした有名な死刑廃止論の弁護士に替わったという事だが、一体ここまであからさまなやり方は・・。6月に最終弁論をしてくれと言っているらしいが、担当の最高裁判事が5月に退官予定で6月には裁判官の構成が替わるという事だ。この弁護士は現裁判官だと不利だと思い、遅延を狙っているようなのだ。
死刑廃止の考え方には別に異論は無い。冤罪などの問題とあわせて色々と議論して欲しいと思う。しかし現在日本には死刑制度があるわけで、ましてこの犯人に対しては死刑廃止論を論ずる価値はゴミほども無い。それは以下の手紙だけでも充分わかる。
奥さんを絞め殺した上に強姦。そしてハイハイで母親に縋り付く赤ん坊を床に叩きつけるという人間性の欠片もない少年が友人に出したという手紙の一部↓
「勝った!って言うべきか 負けたと言うべきか?何か心に残るこのモヤ付き…。いやねつい相手のこと考えてしまってね…昔から傷を付けては逃げ勝っている…」。殺された母子の遺族本村洋さんに関して,「ま,しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょうしづいているとボクもね,思うとりました。でも,記事にして,ちーとでも,気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」「知ある者,表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出過ぎてしまった。私よりかしこい。だが,もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ,馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ,私は環境のせいにして逃げるのだよ,アケチ君」。あるいは自分の犯行に関して「犬がある日かわいい犬と出会った。…『そのままやっちゃった』,…これは罪でしょうか」「俺はもう一度、外に出て芽を出すのだ」・・・以下人間以下の為 略

この世の中を舐めた手紙。本村さんに対しても微塵ほども反省や懺悔の心も無い、畜生道にどっぷり浸かっている男のどこに「矯正の余地はあるから無期懲役」という判決が出たのだろう。

被害者と加害者の人権。100:1 くらいの、イヤそれ以上の思慮・思考が必要だと思う。加害者はいくら反省しようが懺悔したとしてもそれ以降も本を読んだりして「生」を実感しながら生きていける。まして反省のカケラもない加害者の場合死刑判決は妥当だし、そうであらねばならん。
でないと一人でいる事が好きで本を読む事が好きで仕事する事がキライな人間で、たまに精神状態が乱れがちな人はすべて人殺しをする世界が来てもおかしくはない。死刑制度とはやはりその犯罪の重さによっては必要だ。人一人の命は犯人一人の命でさえ償えないものなのだから・・。
被害者の遺族からしてみれば死刑にしても元の生活に戻れることも無く、却って重いものを逆に背負う事にもなるわけだが、それでも被害者家族の意志を尊重する制度が望ましいと思う。

殺された奥さんの残人生は約60年。赤ちゃんが80年。残された本村さんのやり直せない人生が60年。その他親族・知人関係の苦痛を考えても年数だけども200年以上はある。それが無期懲役とはいえ18歳時の犯行の為、7~8年の刑で社会復帰できるのはおかしい。
直接的に本村さん家族、3人の人生を無くした罪が7,8年でどう計算が付くのか?3人の人生はもう二度と元には戻らないのに何故少年の矯正の可能性があればその人生を加護するのか?殺したもん勝ちと一緒である。

そして弁護士の存在って一体なんだ? 
本来の弁護士の仕事を考えるに弱者・あるいは冤罪などを助けるという発想から生まれたはずである。それが今では悪人や金持ちを助けるため、あるいは自分の名を売る為や金儲けの為だけの弁護士が後を絶たない世の中になっている。司法の世界の事はわからない私だがおかしいという事だけはわかる。特に今回の弁護士はもはや弁護士ではない。士という言葉をはずし、詭弁という言葉をつけて詭弁護野郎とでも名乗ればいい。

本村さんにとってはどんな形になっても勝利・あるいは達成感みたいなものは無いのだ。あるのは妻と子の為のせめてもの供養という名の正義・家族愛だけなのだ。
結果、死刑判決が出たとしても何ら変わらない満たされない気持ちは死ぬまで忘れられないものとして続くのである。

死刑制度は今回の場合のように誰が見ても残虐非道で人間に非ずという事件の場合は、加害者が苦しみ、後悔し、懺悔し、そして慟哭する意味でも必要な制度だと思う。
まじめに生きている人の「普通に生きる制度」を守る為にも、その相反するものとしての「死刑制度」はやはり必要なのだと思う。
正義や人権とは、まじめに生きている人のためだけにある言葉なのだ。

死刑制度とは2 -山口母子殺人事件より- へ続く

参照:
自分の愛する人が殺されたら? 【山口母子殺人事件より】

庶民から見た 「死刑制度」と「平和憲法」


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今回の三点セット問題の陰でちょっとばかり影が薄かった宮崎勤の最高裁での死刑判決。
約17年。長い・・・。長すぎる。無駄に長い。
もっと短く出来ただろうに。長いだけで今後に役立つような成果もない。
その時生まれてもいなかった子ども達がまた同じような事件で何人犠牲になった事か。
そんな長い時間かけて行なわれた裁判で結局何がわかったのか?そしてあの事件の後で何か変わったのか?幼児殺害事件のはじまりとでもいうようなあのショッキングな事件。
この頃でも幼児や子どもを狙った事件は後を絶たない。変な人種は逆に増えた。

あの頃オタクと呼ばれた人種は今ではアキハバラ系というなんか認知されたかのような名称に変わっているみたいだし、ロリコン・少女趣味な人らは逆に増えてきているしオープンな感じだ。自分はロリコンですと人前で言っても恥ずかしくないようになってしまった。
萌え産業なる市場までもが有望視されてるんだから不思議ではある。引きこもり・ニート・ロリコン趣味・アキハバラ系は私の中ではおおまかにイコールのような気がする。かといってもちろんその人らが犯罪を犯すといういう意味ではないが。ただちょっと気色悪いのは事実です(笑)

ニート問題に至っては国がどうにかするとかいう話もあるがほっときなさいって。
ほとんどのニートは親が食べ物や金を与えるから というのが一番の原因でしょう。親に問題ありが結論です。一人暮らしのニートなんているのかな?貯金や親の財産とかがあるなら出来るか。

結局親が食べ物運んだり、何かされては怖いからと必要な時に言われるままにお金を渡したりするからというのがニートの生活を支えているんでしょう。
本当に貧乏な家に育ったらニートは育つのか?
米を買えないくらい貧乏(昔は確かにいたんだよね)な家庭でニートは生まれるのだろうか?いたら逆にすごいニートだよ。バカニートだ。

そんな金持ちの子どもらを国がニート問題と位置付けて支援するよりもやる事はまだいっぱいあるだろう。親がそういった子にしない教育や社会を長期的に作った方がまだいい。

要するに精神の「子殺し」「親殺し」が親子間で出来ていないのが一番の要因だ。
一度子供は心の中で親を殺さなくてはいけないんです。親もそう。子殺しをするんです。心を鬼にして。心を鬼にする事ができない親が多いから子どもの心に鬼が棲むようになるんだと思う。

かわいい子には旅をさせろ 昔の人は偉かった。(笑)
高校出たら、あるいは大学出たら家から出て行きなさい、自活しなさいという親も多かった。
同居してると楽だから、家賃払わなくてすむから、食事の心配もしなくていいから・・・。こんな事ではいけません。20歳を過ぎた大人が同居しないで自分で家を借りて自活するだけでも日本の景気はもっとよくなるでしょう。結局は親が原因だと思うわけです。

話は元に戻り犯罪を犯す人々の場合も特に年齢が若いほど親の責任って重い筈です。
私は犯罪を犯した人の親も何らかの処罰を義務付けるべきだと思うのです。特に未成年の犯罪の場合は。そしたら少しは親も必死に教育するでしょう、命がけで。
処罰といっても例えばどんな育て方をしたのか出生から犯罪を犯すまでの記録を徹底調査して世間に公表する義務を持たせるとか、でもいいんです。
そうした方が犯罪者の精神分析なんかをするよりもよっぽどこれからの世の中に役立つのではないだろうか?

明らかな重大殺人などで間違いの無い罪の場合は加害者の人権よりも、被害者の残された悲しみの人生と併せて世の中を今後どうしたらいいか?という点を踏まえた素早い裁判制度が必要だと思う。

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