らんきーブログ

世の中のおかしな事をあたりまえに考える。大事な事は情報を知ることだけじゃない。だからどうするのってことじゃない?


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昨年末は親友3人で酒を飲んだ。うち1人は東京から帰郷してきていたので久々だった。
学生時代だからもう30年以上の付き合いになる間柄である。家族だね、最早。
その中の一人がこのブログでも書いた事があるが、脳出血で4年前に倒れて死に掛けた親友Kだ。あの当時はもう終ったと思うくらいの状態だった。幸い体の障害は奇跡的に残らず、今では私より体力もある。ただ高次脳機能障害の弊害で記憶を司る脳のある部分で大量に血管が破れて大出血したので、今でも記憶は万全に元の状態に戻ったわけではない。
そして、その失われた脳細胞が再生する事は無いと言う事らしい。 病気で倒れてから2~3ヶ月は私の名前はもちろん家族の名前すら口からは出なかったもんなぁ~。
こういうこともあった。 「親友が復活するまで:2003年08月25日(月) Xデー」より

泣けてくるのだが笑ってしまったりする時もある
「オレは?オレの名前は?言える?」と先週行った時に聞いたら
「20万円」と答えた時は思わず我慢できず笑った
その時一緒にいた親友の嫁さんはちなみに「5万5千円」と言われてた


「なんで私の方が、ぶいっちゃんより安いと~~!」と親友の嫁さんは怒っていたねw 繋がらない脳細胞が再生の途中で言わせた言葉なのだろう。体の方も最初は右半身に後遺症が残るだろうと言われていたが、生来から逞しい食欲のお陰なのか、比較的早い段階でモリモリ食事は取っていたので体のリハビリの方は予想以上に順調に行ったのかもしれない。
そんな家族や私らの名前すら出ない、満足に言葉も喋れない、ちょっと前の記憶も覚えていない頃から食欲だけは旺盛だった親友Kを見て親友の嫁さんがポツリと言ったもんだ。
「よかった・・・。食欲の方ががしっかり残っていて・・・。これが性欲だったら・・・@@」と。
確かに病院には若くきれいな看護婦さんがいっぱいだ(笑) 5分前の記憶すらまともに残っていない状態で、旺盛だったのが食欲じゃなく、性欲だったら大変だったかもしれないw
と、今なら笑い話になるほど、この頃では日常の生活ではほとんど問題はない。

しかし、今でも記憶に障害は残っている。例えば本を読んでも内容が覚えられない。何回読んでも新しい本を読むようなものだと言っていた。あれだけ経済関連の本等は好きでよく読んでいたのに。それは漫画の本でもそうだ。 昨日も電話で話したが、「レンタルしたDVDが面白かったのは覚えているけど、昨日と今日と2回見たけど、2回目も1回目と同じ気持ちで見れたよ」と笑っていた。「でタイトルは何よ?」と聞いても「なんやったかいな?」だ。
仕事も以前の会社で働かせて貰っているが、そんな状態なので以前ほどの仕事は出来ずに、比較的単純な仕事をさせてもらっているようだ。しかし彼は明るい。それが救いである。
食欲が旺盛だったのに加えて、料理を作るのも非常に好きだった。しかし、今では全く料理を作れないとも言っていた。ダンドリが難しいのかもしれない。複雑な作業は記憶障害にとっては結構厄介なものの様だ。 日常の私らと遊んだりする分にはほとんど問題は無いのだが。

そんな彼ともう一人と3人で酒を飲んだ。いい年末だった。
美食家であり、酒好き、そして遺伝が多いのだろうが血圧も高い人は気をつけましょうね。
この頃では20代30代の方々でも脳出血になる方は多いと聞きます。
高次脳機能障害というものもまだ、これといった治療方法も確立されていないようで、Kが入院していたリハビリ病院では手探りの状態の部分もあった。私がネットなどで調べて参考になる色々なHPから印刷した文書が100枚くらいあったが、それをKの担当の言語療法士の方が「私にもください」と言ってたくらいだ。今はもっと進歩しているだろうが、脳は複雑だ。
色々なリハビリを素人療法士の私も当時は彼にやったものだ。「ホモ」かと思うくらい、男の為に一生懸命になったのはあの時が初めてだ(笑) 何といっても治って欲しかった。私にとっても老後になっても遊んでくれる一番の友達だと思っていたから、自分の為でもあった。

外見では全く以前と変わらないくらいに戻ったK。昔の遊びの記憶ならほぼ問題ナシである。
しかし、100%完全に昔のように戻ったわけではない。 それは取り戻せない。
政治の話をしても、彼が好きだった経済の話をしても昔のようには出来ないのだ。
新聞を読むことも、彼の今でも続く毎日のリハビリの一部である。
読んだ端から記憶がこぼれていく状態を、少しでも回復できるように何回も繰り返して、脳細胞を活性化させてつなぎ合わせていくかのような、地味なリハビリだと思う。高次脳機能障害は病後ずっと時間をかけて、ゆるやかに、ゆるやかに、回復していくと言うことらしい。
そのリハビリの一環も兼ねてこの頃では朝刊の新聞配達もしている。 
100件の配達する家を通常の人の何倍もかけて覚えたようだ。自分でも自信は無かったようだが、時間はかかったが出来た事でかなりの自信にも繋がったようである。

外側から見たら、なんでもないような人でも実は内面ではわからない事は無数にある。
それぞれの立場で一生懸命に今を生きている人はたくさんいるということだ。
親友Kには、色々な知識を蓄えていく事は今までのようには容易ではないだろう。
しかし、人と人が触れ合う中で生まれる「やさしさ」や「温かさ」は今でも私以上にある。
話がたまにトンチンカンになっても楽しい事にはかわりはないw
モノの名前や内容を思い出せなくても、一緒にいて話してて楽しいのは昔と一緒だw
大丈夫!! そのうちオレも自然老化で少しずつ呆けていくやろうけん(笑)
数十年後には逆転しとーかもしれんばい(笑) ま、気長に付き合おうや!

※この記事を親友Kにメールで教えて読んで貰おうかなw リハビリになるかも^^

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3年程前に一番仲のよい友人が出張先の広島で脳内出血で倒れた。
意識不明の状態で救急車で運ばれて今手術中という知らせを聞いた時は血の気が引いたのを覚えている。術後入院先の広島にお見舞いに行った時も目は焦点が合わず、私の名前も呼べず、会話も出来ず、大好きな食事も半分残している状態で私らが往復8時間くらいかけて車で行ったけど面会できたのはわずか10分足らずでほとんど会話らしい会話も出来ない状態であった。脳内出血による高次脳機能障害。 CTで見ると記憶を司る部分が見事にやられているという事であった。私も見させてもらった。
右半身のマヒ・障害も残るかも知れないという状態だった・・当初は。

幸い体の方は徐々によくなり、後遺症はほとんど残らなかった。
ただ記憶の回復はかなり時間がかかった。記憶障害については100%元通りにというのは無理だというような事も聞いていた。確かにリハビリに付き合っても「時計」とか「携帯」あるいは自分の家族や友人の名前すら出てこない時期も長かった。言葉で出ない失語症や見通しをうまく立てられない遂行機能障害等、様々な障害があるようでした。

あれから3年、今では元いた会社にも復帰できて日常生活に大きな問題もないようだ。私をジムに誘ってくれたのも彼だし、週に2回は会っている。
しかし、新聞を読んでも記憶にはあまり残らず、好きだった読書も今は出来ない状態だ。新しい記憶を保持・再生するのがどうにも難しいらしい。古い記憶の方がまだいいようだ。

モノの名前も相変わらず出にくい事もあるようだが本来の明るいいい加減な性格(笑)が幸いしてか本人はいたって前向きに気長に自分流リハビリをしているようだ。この頃はなんだか朝読んだ新聞の記憶も少しだけど残るようになったような気がすると言っていたし・・。
ただ、会社でもちょっと複雑な仕事になると充分には出来ないようだ。
料理は食べるのも作るのも大好きだったが・・病気後は料理の作り方、段取りもうまくいかずに今ではレパートリーもかなり少なくなったようだ。

そんな彼が自分で料理の準備を自分でやって土曜日の夜は友人9名で宴会をやった。魚のイッサキ(いさきとも言う)のオリジナル刺身や煮物や鍋といった昔の彼から比べたらそんなに手の込んだ料理ではないが、上手に段取りよく出来て、彼も満足気であった。本人曰くまだまだという事だが自分なりにリハビリを楽しんでいるようだった。今も電話してみたが本人の中ではまだまだ満足行くレベルではないようだが、自分の状態は遅いスピードやけど日に日に良くなっていってるよと信じた明るい声で話していた。
やっぱり前向きに明るくというのは大事な事のようですね^^

高次脳機能障害 脳内出血 といったキーワードで度々検索される方がこのブログにもいらっしゃる。メールを頂いた事も何度かある。昨日も頂いた。有り難い事です。
友人が家族が同じような症状で倒れてネットで調べているうちに辿り着かれ、
長文だけど「親友が復活するまで」という私の応援日記を最後まで読んでくださっているようだ。素人リハビリ日記なのであまりたいした役には立てないかもしれないけれど・・。
私も病院の対応だけでは心配な部分もあったりして自分なりにかなり勉強はした。そういった点でインターネットはかなり役に立った。しかし調べるのも大変な作業ではあった。必要なところだけプリントアウトしたりしているとかなりの量だったもんだ。その時間の手助けにでもなればと思いまた以下に参考HPを列記しておきます。


-以下 参考HP-
高次脳機能障害の実態 
脳梗塞そして脳卒中へ 
脳血管障害者のための暮らしのハンドブック
脳出血との闘い 
失語症 
勝手で気ままな独り言 
園田のリハビリテーションの広場
生活習慣病 闘病記 
釧路労災病院 リハビリテーション科
脳出血のリハビリ 
全国10万件以上のお医者さんガイド


高次脳機能障害という病気は、脳卒中や交通事故などの後遺症として非常に今増えているらしいです。昔では助からなかったケースでも医療の進歩により一命を取り留める事が出来ても、その後の後遺症として脳に後遺症が残る・・。少し皮肉です。
そして目に見えない(見た目は健常者と全く変わらない)記憶障害や、失語症といった外部からは気付かれにくい症状で社会復帰にしてもその後の人生において、また障害者認定の申請も難しい部分もあり、何かと大変なようです。

記憶の線は一本でも切れたり、遮断されたりするだけでも大変なようです。
一度出血などで壊れた脳細胞は元には戻らないそうです。そして脳の場合まだまだわからないところも多く、言語療法士さんなんて色々調べていた私の資料をコピーさせてくださいというような方もいらっしゃったくらいだ。
まだまだ治療法も手探りの状態の部分も多いようだ。

血圧が高い方は特に過信せずに早めに病院の指示を仰ぐ事は大事ですよね。
自分もそうですが・・周囲の家族や知人にも迷惑がかかりますからね^^

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親友が復活するまで -脳卒中で倒れた親友のリハビリ応援日記ー

2003年07月17日(木) 祈る

一番の親友が出張先の広島で脳卒中で倒れた
血管が破れてたらしく、今手術中らしい
無事を祈るだけだ

2003年07月18日(金) 祈り2

親友はとりあえず一命は取り留めたようだ
詳しい事はまだよくわからんけどまだ意識が回復はしていないらしい
今回は複雑というか大変な時に友人は倒れた
というのもその友人の嫁さんもメニエール病で入院中だったのだ
結構ひどい状態なので身動きが出来ない
だから今回は親友の弟が広島の病院まで行っていたらしい

血管が破れていたらしく血と水が脳内に溜まったらしい
水の方は取り出せたらしいが血液の方は2週間くらいかけて抜くとか・・
それで駄目なら開頭手術とか・・・
今後どういう展開になるかはわからんけど
こういう時はただ祈るしかないなぁ
なんらかの後遺症は残るかも知れんけど復活してほしい
友人の中でも一番、運の強い奴だっただけにショックだ
早く元気になってまた遊ぼうぜ!!
お前なら元々スゴイ奴だったからもし、後遺症が残っても
それでちょうどいいくらいの、全然ハンデなしだよ
今日も祈ろう

2003年07月19日(土) 友人夫婦

入院してる親友の嫁さんと昨日連絡が取れた
嫁さんの方もメニエールという病気で面会謝絶の状態なのだ
個室だけどTVもダメ、本も読んではダメという
何もしない考えない事が治療のひとつらしい
ただ個室だから携帯電話くらいは大目に見てもらってるらしい
タダでさえそんな状態の時に今回のような事があって心労は計り知れない
こういう時って励ます言葉も見つからないってのが本音だ
旦那の大変な時に全く身動きできないもどかしさは相当なもんだろう

この夫婦とはもう一番付き合いが長い
元々、血圧は高かったらしい
この頃行った人間ドックでも血圧が高いので再検査のハガキが来てたらしいが
「大丈夫大丈夫♪」と言ってたとか
スポーツジムに行った時も血圧が高かったのでやるのを断られたとか・・・
友人の嫁さんがいくら薦めても「よかよか」と言ってたらしい
そんな話を聞いた
やはり前兆はあったのだ

過信したんだろうなぁ・・・・オレもそういうとこあるからなぁ
あれだけ運の強い男なのに過信はやはりダメだ
電話で友人の嫁さんを一生懸命励ましては見たものの先行きは全くわからない
私の嫁さんともその話をしてると嫁さんは涙ぐみ
「あなたが頑張って何か新しい仕事をしてそこでK君が働けるように出来ない?」
と私が考えてたのと同じような事を言う

何か手助けはしてやりたい・・・なにか
医者の話では何らかの後遺症は残るという事だ
願わくば、リハビリである程度回復できるくらいのものであって欲しい

2003年07月25日(金) 復活

今日やっと親友の意識が戻ったらしい
親友の弟から元気な声で安堵の電話があった
先週の木曜日に倒れたから約10日ぶりだ
戻ったといっても話を少し認識できる程度らしいが、それでもよかった
本当によかった
まずは意識が戻る事が復活への第一歩だ

これからリハビリもあるだろうが生きるという道に向かって頑張って欲しい
手助けできることは出来るだけしてやりたい
もうちょっと具合がよくなったら精神面で悔しい思いをさせに行こうかな?
元気になると楽しいぜぇ、とでも毒づいてこよう

昔からライバルとして張り合ってきた仲だ
負けず嫌い魂を出してもらおう
来週の休みには見舞いに行こう

2003年07月31日(木) 広島へ

昨日広島まで親友Kの見舞いに行ってきた
高速を使っても片道4時間ほどかかった
身内しか面会できないという事だったが、親友の弟に連絡して入れてもらった
私と嫁さんともう一人の友人と3人で行った
部屋に入ったら丁度食事が終わる頃だった
入ってきた私らに戸惑ったような顔をしてた
まだ上手には話が出来ない模様だ

しかし私らの話にはうなずいたりもしてたし
意味はちょっとわかりにくいが話もはっきりといくつかしてた
まだ目に力が入らないのだろう・・焦点がよくあってない
左脳の方に血が溜まってたらしく右半身側と言葉が不自由のようだ
話はだいぶ理解できるようだがまだまだ本来の彼自身の姿からは程遠かった
17日に倒れて25日に目覚めてそして昨日の段階を思えば徐々にでは
あるがいい方向に向かっていると思う

半分くらい食事を残したらしく看護婦が片付けてる時に私が
「Kは今まで贅沢な食事ばっかりしてたから
こういった質素な食事は食べないかも知れませんねぇ」
と言った時Kが声を出して笑っていた
話を理解は出来るのだろうがうまく体が動かないのと言葉に繋がらないもどかしさがあるようだ
10分もすると疲れたようで看護婦がベッドを倒したらすぐ寝息を立てて寝た
顔を見られるのが嫌なのか左手で顔を隠すように寝てたのが印象的だった

私とはもう付き合いが古い
カッコイイ男だ
そんな彼のポリシーとして今の状態の姿を私らに見られる事が辛いのだろう・・
「お前、今の自分がかっこ悪いけん、見られたくないっちゃろ?」
「そんな事は全然ないよ、お前はいつでもカッコイイって」
「そして今から頑張って復活する姿はもっとかっこいいっちゃけん気にせんでいいぜ」
「みんなお前が元気に復活するのを楽しみに待っとぅけん、ガンバりやぃ」
かすかに頷いたような感じだった

往復8時間くらいかけて会えたのはわずか10分程度だったが・・・よかった
今日はようやく退院でき、なんとか動けるようになった親友Kの嫁さんが初めて広島まで面会に行く
親友Kの嫁さんの病状も決して、まだよくはなっていないが頑張って新幹線で行く
昨日電話で色々励ましたりしたが・・元気はなかったなぁ
ガンバレK夫妻!!
これからだ

2003年08月14日(木) リハビリ

今週始めにやっと福岡の病院に親友が帰ってきた
意識が戻ったり戻らなかったりの状態だ
左脳をやられてるから右半身と併せて、言語にも障害が残ることがあるらしい
こっちの言ってる意味はわかるようだが会話にはなかなかならない
昨日昼間、見舞いに行った時は、シャワーを浴びたばかりだったので血色もよく
私の事も名前で呼んでくれたりしてだいぶいい状態だった
それから歩くためのリハビリしたりレントゲン取ったりとしてた
疲れたのだろうか、夕方には私の名前は口からは出なかった
まだまだ波があるようだ

夕方過ぎ家族の人らも帰り、私と1時間くらい二人きりで会ってた
最初は寝てたが途中から自力で起きてあぐらをかいて話を聞いてくれてた
右手や指は動くようだったのでジャンケンのグーチョキパーをやったりして
指先は動かした方がいいぞって語りかけたりしてた
私に合わせてちゃんとグーチョキパーは出来てたので安心した
そこにリハビリの先生がやってきて「手を握ってみて」と言ってたが
聞こえないのか、無視したのか握らない(笑)

私が「今やってたやん、ほら、こういう風に」と言ったら握ってた
リハビリの先生もちょっと驚いてた
リハビリの先生より私の方がホントの意味のリハビリはうまいんじゃないか?と思ったよ
機械的にリハビリやるよりも心を込めたリハビリに優るものはない
看護婦やリハビリの人らの声やトーンはどうも心を伝えるようにはなってないような気がする
大きな声で耳元で話すような話し方っていいのか?
気が入ってないような声で・・・・そんな気がする

忙しい中の仕事だからしょうがないかもしれないが・・・
技術も大事だけど、もっと大事なのは心のような気がする
また行こう・・・復活するまで


2003年08月23日(土) 運

今回の親友Kの病気にはホント参った
仲間内では一番運が強いと思ってただけに今でもなんだかよくは信じられない
昔、皆で飲んでる時に「もし今、災害とかになったらどうする?」って話題の時に
私は迷わず「親友Kの後をついていくよ」と答えたものだ
Kの運と私の判断があれば絶対の自信があったような気がしてたもんだ

健康管理も仕事の内といってしまえばそれまでだし、自業自得の部分もある
私もそうだが彼もまた「オレだけは!」という甘い楽観的な考えでいたんだろう
何故甘いのだと考えると今までが病気らしい病気の経験が少なかったってのある
健康面での苦労が人よりも少なかったってのもそうだ
本人も人間ドックで、血圧が高いってのは知ってたし、再検査のハガキも着てたらしいし・・・

しかし後悔先に立たずだ
倒れてしまってからは何を言っても虚しい
そして出張中の事故とはいえ、脳卒中の場合は労災がおりるのも難しいようだ
現在は体の方はだいぶ回復に向かっているが
言語障害、記憶障害などの意識障害がまだあるようで会話もちぐはぐだ
この間の休みの水曜日も見舞いに行ってきたがまだまだ私の事がよくはわかってないようだ
リハビリは早めがいいとの事でその時は一日中側にいて話し掛けていた

そこの病院は言語療法士の医者がいないので身内でやるしかない
来週中には言語療法士がいるリハビリ専門のリハビリ病院に移れるようだが・・
昨日、親友の嫁さんからの報告で「あれ?今日はぶいっちゃんは?」と
私の名前を呼んで聞いてたと電話をもらった
やはり私の名を覚えててくれたってのは嬉しいもんだ
少しずつ神経が回復、再生して意識が戻ってきているのかもしれない

ここ1ヶ月で脳卒中やリハビリに関する色んな資料を読み漁って私もだいぶ詳しくなった
後は本人の努力と運次第か? そして周囲の応援か
いい先生に当たるのも運だろう
そして何より彼の強運がまだ続いてると信じて応援していこう
倒れて死ななかっただけでもまだまだ運はいい筈だ
何ヶ月か・・そして何年か後には笑って話せるようになる日まで

2003年08月25日(月) Xデー

昨日の朝も友人のお見舞いに行って来た
私が少し支えてるくらいで、だいぶしっかりと歩けるようになってきた
心配されていた右半身の障害は手や足にはあまり残らないようだ
左脳をやられると右半身と言語などに障害が出るという事らしいが人間はホントよく出来ている
右脳の方はある程度大丈夫だから調子のいい時はモノや人の名前が出たりするのだろう
右脳は感覚というか感性だ

文字の判別にしても、言語障害の場合はひらがなよりも漢字の方が理解しやすいらしい
「き」や「ち」というひらがなだけでは意味はないからだ
「木」や「血」になると意味があり読める事が多いらしい
言語障害は「話す」「聞く」「読む」「書く」「計算」等に障害が出るらしい
脳の中のほんの一部が破壊された事により数十年間生きて築いてきたものがバラバラになる
そしてそれは100%は元通りに直る事はないという
普段は無意識に考えたり話したりしてる事が全く出来なくなる
それだけで健康に生きているって事は実はやはり幸せな事だったのだ

親友はまだまだの状態だ
記憶容量も小さくなってるようなのでちょっと前の事も覚えてない事も多い
話す たまに会話が合う事はあるがモノの名前が出てこないし言えない事が多い
聞く 話には頷いたり返事してくれたりしてくれるが理解は難しいようだ
読む 昨日、あいだみつをの本を持っていったが読めないうようだ 
書く 紙に友人の名を書いて「書いてみて」とボールペンを渡したがまだ書けない
何か書いているのだが字のようで字ではないものを書いては自分で消したり・・・

そして彼が言った
「こりゃぁ大変やねぇっ!うはぁ!大変ばい」
どこまで理解して言ったのかはわからないが・・・
ひとつひとつをこうやって思い出して書くと泣けてくる
泣けてくるのだが笑ってしまったりする時もある
「オレは?オレの名前は?言える?」と先週行った時に聞いたら
「20万円」と答えた時は思わず我慢できず笑った
その時一緒にいた親友の嫁さんはちなみに「5万5千円」と言われてた

私は脳がフルスピードで再生しようとして思考と言葉が追いつかないのだからだと思ってる
時折だが、スラっと言える時もあるのだ
まだ脳に血腫が少し残ってるからかも知れない(そのうち無くなるらしいが・・)
しかし以前に比べるとだいぶ会話もスムーズに出来る事が多くなってきた
昨日は話が合う度に「おぉ~!♪」と言って握手した・・4~5回はしたな
親友の嫁さんに
「もうXデーは近いかもね、その時の準備しときぃ」と話した
私の言う「Xデー」とは意識がホントにはっきりと戻った時の事だ

人間の自然治癒力はすごいのだ!
ある朝突然、戻るような気もする
自分の置かれてる状態がはっきりとわかった時親友の本当の戦いが始まる
彼は愕然とするだろうが、陽気でポジティブな彼ならきっと大丈夫だろう
そしてその時は近いような気がする

2003年08月28日(木) 千里の道も一歩から

昨日も嫁さんと一緒に親友のお見舞いに行って来た
昨日リハビリ専門の新しい病院に移った
病室は親友の嫁さんに聞いてたので、早速行って見たら彼は部屋にはいなかった
あれ?もうリハビリしてるのかな?と思いリハビリの部屋に行って見たがいない
何十人もリハビリ受けてる方がいたが・・彼の姿は無いようだ
病院内は結構広いのだ
個室に入って何かリハビリでもしてるのかなと思いもう一度エレベーターの所に
戻ったらエレベーターから彼が出てきた・・・それも一人で(笑)
ビックリした
「おぉ!」と言うと彼も「おぉ」と言いニッコリ笑ってた
もう一人で歩けるようになってた

日曜日行った時もしっかり歩いてたが、まさか一人で勝手に歩けるまでとは(笑)
「どこ行きよ~と?」と言うと「ちょっとね」とか言ってる
目的はないようなのだが好奇心旺盛な性格だから新しい場所を散策してるのだろう
それから腰掛けて色々話してるうちに親友の嫁さんも見舞いに来た
まだ自分の病状や置かれている状況がいまいち理解できないらしく話が適当な所で終わると
「さ、帰ろうか」と言ったりする
後遺症で記憶する容量が少なくなった為だろうが、ちょっと前の事も忘れやすいようだ

そうこうするうちにリハビリの先生がやってきてリハビリに向かった
リハビリは大きく分けると3つあるようだ
理学療法 主に歩く練習
作業療法 主に手作業などの練習
言語療法 これが彼の場合一番厄介なようだが・・話す、聞く、読む、書く、等だ
歩いたり、モノを扱ったりする動きはもうかなりなものだ
ほとんど後遺症は残らないんじゃないか?と思うくらいよく動ける

問題は言語障害だけだと思う 特に記憶などの意識障害というのだろうか
時間はかかるだろうが、それが回復に向かいさえすればいいのだが・・・・・ 
昨日はノートに自分の住所を漢字で書いていた ちゃんと覚えてるようだ
子供の名前も書いていた(こちらはカタカナだった)
少しずつだが色々と思い出してはきてるようだ

理学療法(歩行訓練)のリハビリの終わりごろ、私ら夫婦が見学してると
先生が「お友達のところに戻りましょうか」と言っていた
友人はキョロキョロ探してたので私らが手を振った・・・そしたら彼も手を振った
そしてまた何かを探してた(笑)
「友達」という名の意味がわからないのだろう
私らを通り越して受付の方に行ってたなぁ・・・
千里の道も一歩から だ
彼の場合、最初の一歩が見えた時は千里への道は近い と私は思ってる

2003年08月31日(日) オレが直す

29日、30日、と今日の31日の3日間連続で見舞いに行ってきた
それぞれ仕事を抜けて2時間ほど会って来た
最早、私の場合は見舞いではなく親友のリハビリに行ってるという感じだ
「オレが直す!」という信念を持って接している

もちろん今度の病院はリハビリの専門の先生は
理学療法、作業療法、言語療法それぞれいるからいいのだが、私もやっている
親友の嫁さんの了解も取っているというよりも期待されている(笑)
親友の場合、一番厄介なのが言語だ
失語症と呼ばれている後遺症が出ているのだ
相手の話の理解がよく出来ない意味がよくわからない話をする、モノの名前が出てこない、記憶を保持する事が難しい、読み書き、計算が難しいなどの症状だ
深刻と言えば、深刻だ

パッと見ただけではもう昔と変わらない様子だが、それぞれの症状は確かにある
そこの言語療法士の担当の方はまだ20歳台の女性という事だ
もちろん、その先生がどうこうというわけではない
ただ、世代間のギャップや人生経験の不足といった点で
コミュニケーション不足や様々な点ではうまくいかない事もあるだろうとも思う
マニュアルに添ったリハビリは先生方にお任せでいいと思う

私が手助けしたいのは親友の人生の歴史をよく知るものの一人と言う形で
親友の興味のある話題を中心に心を込めて失語症を治すという事だ
もちろん専門外だから無茶な事はしないし、いいかげんな事はしない
本やインターネットでここ一ヶ月間、失語症のことはかなり勉強した
やってはいけない事や注意点は一通り理解しているつもりだ
30日は嫁さんと二人で夜遅くまで絵カードを作って持っていった
カラーの色々な写真(動物、食べ物、家族、友人の写真など・・色々150枚)を英語の単語帳のようにして表に写真、裏に文字と言うようなもの
モノの名前を思い出していく練習だ

今日はカレンダーを見る練習もした、今日が何日かの概念もないから・・・
掛け算の九九もやってみた これは90%以上口では言えてた・・
理解が出来てるかどうかは別として・・
私が持ってたリハビリの書類も読ませてみた
紙の左半分は誤読も多少あったが、たどたどしく読んでた
しかし、右側の分は飛ばしていた
多分右側は見えているが認識できないのだろう・・・・

そして彼の場合の一番の問題は自分が今どんな状態にあるのかを認識させる事だとも思う
今現在、彼は何で入院しているのかまだ、ピンと来てない
根気よく、彼にわかりやすく何回も話して理解してもらうつもりだ
自分の病気や現状を自覚してリハビリするのとしないとでは大きく違うからね

多分彼の失語症は「感覚性失語症」
(「言葉を聞いて理解する部分が」がおもに損傷されるというものです。話す言葉の数としては非常に多いのですが、聞いていて意味のある言葉というのは非常に少ない。流暢にたくさんのことを話すので、「なんだ、話せるじゃないか」という感じも受けるが、実は内容を聞いてみると、とてもわかりにくいという失語症でこのタイプは聞いて理解すること、読んで理解することというのがおもに障害される)
だと思うのでそのつもりで接していくつもりだ

それから階段の上り下りもちょっとやってみた  しっかり歩けていた
彼の家は中2階にトイレや風呂があるので階段練習は大事だ
今日は日曜なのでそれぞれのリハビリは休みなので勝手ながら私がやってきた
倒れてから3ヶ月くらいまでがリハビリは一番大事という事だ
3ヶ月くらいである程度の回復のレベルが見えてしまうという事らしい
言語の方はそれからも根気よくリハビリしていけばゆるやかには回復するらしい

しかしこの3ヶ月が彼の一生の中でとにかく一番大事なのは間違いない
7月17日に倒れたからもう1ヶ月は過ぎている
まだまだうまくは話はかみ合わないが絶対回復させるという信念を持って接していくつもりだ
親友の嫁さんがまだ自分自身の体のリハビリもあるから、そうそうは無理できない
オレが直す!!絶対に
奇跡的な回復が実現出来るまで、絶対諦めないで応援していく

2003年09月04日(木) 回復への扉

ホモなんじゃないか(笑)と思うくらい毎日入院中の親友に会いに行っている
あえて弁明するのもなんだけど、ホモではないっす(笑)
親友の状態は相変わらず一進一退の状態で1日のあいだでも波がある
スラっと私の名前が出ることもあれば全く見当違いな事を言ったりする
モノの名前はほとんど出ない
私の腕時計を見ても「トケイ」とは出ない
TVのリコモンを携帯と間違えたりの状態だ
あるいは自分の部屋にまだうまく帰れない

要するに記憶容量が狭い為に、覚えて、それをとどめて再び引き出す事が出来ない
ちょっと前に来てたお見舞いの客の事も忘れる
もちろん私がここ最近毎日来てる事も覚えていない
しかし、私が行って目が合うと「おぉ!」と笑って迎えてくれる
そして言う事が「暇なんやねぇ」(笑)
会話が通じ合う時もある
しかし、すぐ逸れてしまう
流暢に話すのだが会話が突飛だ
いきなり仕事の話をしたり、料理の話をしたりだ

先日持っていった「絵カード」を各療法士の先生達が喜んでくれて使ってくれている
彼の好きな料理の写真や友人家族の写真などが載っている絵カードなんだが、
それすらまだうまく識別して言えないようだ
まず大事な事は彼の場合、記憶を留め、そして引き出す事なのだ
それが回復への扉だと思う
字は少しずつだが書けるようになってきたので日記のように
彼に書いてもらったりして記憶させようとはしているのだがなかなかうまくはいかない
繰り返し繰り返し続けるしかないのだろう
それが言語障害・・というか失語症なのだ

しかし、彼が脳卒中になった時は今後の体の心配ばかりしてたんだけど
まさか頭脳明晰な彼に言語障害が残るとは思いもしなかった
彼の嫁さんのメニエール病の症状が思わしくないようで今週は見舞いに行けないようだ
私が付き添って彼の嫁さんに電話をさせてやるとよく喋る
喋りはホントに流暢なのだ
しかし自分が入院してる事がまだ自覚できていないから会話はちょっとおかしくなる
体の方はもう走ったりする練習もしてるくらい順調にいってる

来週には一度家に帰れるそうだ
それまでにちょっとでもいいから記憶が繋がればいいのだが・・
昨日は私も仕事が休みだったので7時間くらい病院にいた
さすがに私も疲れた
親友が何を言いたいのか集中して聞く作業もなかなか大変なものだ
おかげで昨日は親友もそうだったみたいだが、私もぐっすり寝れた(笑)
どうやったら記憶が戻るやろうか?あるいはくっつく?
もちろんそんなに簡単にはいかないのは百も承知だが・・・
また色々と調べてみよう

2003年09月05日(金) しりとり

今日も病院に行って来た
彼の部屋に行く途中、作業療法士の先生に会ったので色々と状況を聞いてみた
体のリハビリの方は順調に行ってるらしく細かい作業以外はあまり問題はないらしい
ただ、やはり記憶と言うか、色々な事を覚えていく作業に難があるらしい
話自体はゆっくり短めに話すとだいぶ理解するようになってきたという事だった
私は身内でもないのであまり詳しい事は聞けないのが残念だがそんな感じなのはわかる
ただ私が持っていった絵カードや失語症の資料などをその先生は評価してくれたらしく
また何かあったら色々とご報告しますとその美人先生が言ってくれたのは嬉しい
決してその先生が美人だったからではない(笑)

昼の2時くらいに着いたのだが彼は寝ていた
彼を起こして部屋を出てゆっくり出来るティールームみたいなところに行った
最初は寝起きで、ぼーっとしてた
何を言ってもうまく行かない感じで「今日は最悪の日かな?」とか思ってた
30分くらいしてだいぶ会話が合うようになってきたので
失語症のリハビリに効果があると書いてあったので「しりとり」をやってみた
最初は「いいよ、しりとりなんて・・」と断られたが
「あれ?もしかしたらしりとり忘れたっちゃない?」とからかったら乗ってきた
そしたら出来たヨ  何回か♪
受けたのは私が「かっぱ」と言った次に「おっぱい」と言った時(笑)
「え?おっぱい?・・「お」はいらんやらろ?」と言うと
「おっパイナップル」と言った
「あー、パイナップルね♪」
そういった感じで4~5回続いた
[これはいけるかも?] また今度もしよう

だんだん彼の調子が良くなったので親友Kに次はこんな話をしてみた
私の友人が脳卒中で倒れて入院していて、今リハビリ中だって話
毎日、お見舞いに行ってるんだけど困ったのはその友人がオレの事を覚えていない、
そして何で自分が入院しているのか、まだ気付いていないという話
全くそれは彼の事なのだが、第三者の様に話して、相談してみた

私「お前も顔見たら知ってる奴なんだけど、大変なんよ、そいつは」
彼「そりゃぁ大変やねぇ」
私「問題はそいつが自分の病気に気付いてないって事なんよ」
彼「それはいつくらいから入院しとうと?」
私「お前と一緒でもう1ヶ月以上になるよ」
彼「なんとか出来んかねぇ・・」

と言った感じで彼も他人事だから親身になって聞いてくれたし、話もよく噛みあった
[こういった話し方も意外と効果あるかも?]とか思った・・・またやってみよう
そして中庭に行って外の空気を浴びながら私の携帯で彼の嫁さんに電話かけた
電話では非常に上手に喋る
意味はちょっと繋がらない事もあるが、事情を知らない他人が見たら
全く普通の人が話してるような感じだ
電話切った後に「嫁さんは言う事きかんけん、疲れる」とか言ってた(笑)
まったくノンキなものだ(笑)

それから彼にノートとペンはいつも持ってなくちゃいかんよと言って
そのノートに今日の日付と私が来た事と今電話した事を書いてもらった
字はまだ間違えたり書けなかったりだが、これも根気よく慣れていくしかない
「忘れそうになったらこれを見ればいいけんね、いつも持ってるように」と言った
最初と違い帰りがけにはえらく元気になって部屋を出てまで私を見送ってくれた
帰りの車の中で、これもまた日課になってるのだが彼の嫁さんに電話して報告
今日はさきほどの彼の電話が元気だったので彼女の声も心なしか元気そうだった
彼の嫁さんも早く会いたかろう

よりによって夫婦揃って病気とは、なんとも大変ではある
明日と明後日はお見舞いは行かない予定だ
ちょっと間を空けるのも彼にとっていいことかもしれないから
それと病院の人にホモと間違えられても困るからネ(笑)


2003年09月06日(土) 無力

行く予定ではなかったけど、うっかり今日も病院に行ってきた
親友はやはり寝てて、起こしてからティールームで喋っていた
そこに親友の嫁さんの妹の旦那がやって来た
そして「今日、大変な事が今日起きたんよ~」と私を呼び出して言った
聞くとところによると午前中見舞い客が誰もいない時に親友が部屋を出ようとしたらしい
何せ体はもう元気なのだ

そしたら看護婦から止められたらしい「部屋を出てはダメですよ」と・・・
そこで言い合いになってなんと親友が手を出して叩いてしまったらしい
それも何発も叩いたとか・・
病院の先生によると今までも見舞い客がいない時に、度々そういう事があったとか・・
本当か? ちょっと信じられないが・・話半分としてもそうなんだろう
そこで担当の先生曰く
「今後もこういう事がある恐れは十分あるだろう」
「だからこれからやっていく為には3つの方法を選んで欲しい」
「ひとつはこの病院にいるが必ず誰かが付いていること(彼が起きてから寝るまで)
「あるいは自宅でリハビリ、それか精神病院を紹介する・・・」

精神病院・・・・ふざけろって!!
私の感では彼にも非はあるが看護婦側にも非は少なからずあったと思う
彼は痴呆ではない
脳出血の後遺症で言語障害と記憶障害と意識障害がある病人なのだ
それを呆け老人のような扱いをしたんじゃないか
右脳は正常だからプライドや感性みたいなものは正常なのだ
完全な子ども扱いをされたか、馬鹿にされた口調だったのでそうなったのだと思う
見舞いに行ってる時に傍で見てるとそんな雰囲気は確かに合った

もうちょっと看護婦やそこで働いてる人も病気の事を勉強した方がいいように思う
そこの人らが人間的に悪い人という事ではない
知らないで接するのと知ってて接するのとでは違うからね
善意でやってる事が悪影響の事もあるのだ>無知とは怖いもの
ま、今更そんな事を言ってもしょうがない
事実は事実なんだろう・・(彼が暴力をふるってしまったこと)

今後どうするか・・色々彼の嫁さんの妹やその旦那が話してた
結論としてはとりあえず誰かが必ずいるという事しかないようだった
私は昼の2時から4時までなら毎日いいよと言っておいた
リハビリ病院といってもこんなもんなのか・・・
評判のいい病院でもこんなレベルかと思うと暗い気持ちになる
それにしても精神病院とは・・・
そんなところに閉じ込め、面会も少なくなる事は彼にとってひとつもいい事は無い

ちゃんと彼の症状を把握しているのだろうか・・・担当医は!!
とりあえず今日明日は病院に近いKの嫁さんの実家に連れて帰るようになった
彼にとってもストレスが溜まってたろうから丁度いい気分転換になろう
その間私は彼に今日の朝、彼がした事を噛み砕いて話した
もちろん彼は覚えてないと言う
それでも私は30分くらいかけて根気よく彼に伝えた
その覚えていないというのが今のお前の病気だと
それを自覚しないとなかなか治らないぞと
いつになく真剣な顔をして聞いてくれたように思う

途中彼は言った
「さーけん、オレの事を詳しく書類かなんかで説明して欲しいんよ」と
正気に戻ったのか?とも思った
それくらい今日は真剣に話がかみ合って出来た
「今後イライラする事はあっても怒ったらいかんよ、特に暴力は」と念を押して言った
「わかった。これからは気をつけて頑張る」と言ってくれた
よくわかってるのではないか?と錯覚するくらい今日の彼はまともだった
しかしその記憶もまた忘れていくのが彼の今の弱点だ
とりあえずノートにその約束を書いてもらい
「忘れたらいかんよ!忘れたらそのノートを見るようにね!!」と言って私は帰った

親友の嫁さんにも帰りの車中で電話したが
彼女のメニエール病もそういったストレスのかかる話題自体、体によくない
とりあえず私は言った
「今後は自宅リハビリが一番かも?早めに考えておいた方がいいかもね」と
最早、今の病院では出来るリハビリがないからだ
今後長い闘いになるとしても自宅が彼にとっては一番の環境かもしれない
そして通院リハビリしていく方がいいのかもしれない
言語障害は時間をかければ必ず少しずつでも治るのだから・・・

無力
身内でもない私はこんな時あまりにも無力である
担当医に話を聞く権利もなければ意見を言う資格も無い
出来る範囲でしか応援は出来ないが、これからも応援していこう
しかし今日の事で改めてわかった
病院の人らよりも俺の方が彼の症状については詳しいんじゃないか・・と


2003年09月07日(日) 脳出血&失語症 参考HP

親友の病気の事を書き始めてまだ間もないがリンク先で
「脳出血」「失語症」などのキーワードでこのページに
たどり着いてこられる方が日に何名かいらっしゃる
日本中のあちこちで私の親友と同じような症状で苦しんでる家族、もしくは知人がいるのだろう
私の書いた文を見て、なんの役にも立たないのも申し訳ないかと思い
私が今までインターネットで見つけた、役に立ちそうなHPを
勝手にリンクさせていただくことにした

役に立つHPなので勝手にリンクという事で許してもらおう
まだまだあるのだがとりあえず下記の分だけ挙げてみた
探すのも意外と大変な事だと思うので少しでも時間の節約になれば幸いだ
世の中には知らないだけでたくさんの方が頑張ってらっしゃるのだ、とつくづく思う
今日は親友は嫁さんの実家でゆっくりしていることだろう
月曜には親友の嫁さんも久しぶりに病院に行けるようだから
色々と病状を詳しく聞き、今後の事も担当医と話し合った方がいいだろう
それと暴力をふるった看護婦さんへの謝罪もやはりキチっとしなくてはいけない

私はというと
昨日と今日で「失語症」や「高次脳機能障害」そして今後自宅に戻った際の
「高血圧の方の食事」等のいい情報をネットで見つけたのでじゃんじゃんコピーした
40枚くらいになった
多すぎて親友の嫁さん、見ないかな?
というよりメニエール病だからあんまり字を追ったりもよくないって言ってたからなぁ
親友の息子に読ませりゃいいか!
明日また病院に行って渡そう

-以下 参考HP-
高次脳機能障害の実態 
脳梗塞そして脳卒中へ 
脳血管障害者のための暮らしのハンドブック
脳出血との闘い 
失語症 
勝手で気ままな独り言 
園田のリハビリテーションの広場
生活習慣病 闘病記 
釧路労災病院 リハビリテーション科
脳出血のリハビリ 
全国10万件以上のお医者さんガイド


2003年09月09日(火) しかたなく退院

私が月曜日の2時過ぎに病院に着いた時には、親友は、強制退院みたいな形で落ち着いたらしい
担当医曰く、精神病院か、朝から晩まで誰かが付き添いか、通院リハビリかしか選択は無いという
朝といっても朝の6時から夜9時までは今の嫁さんの体力では付き添い無理やろうし
精神病院もとりあえず見学に行ったようだが、そこの風景を見て落ち込んだらしい
結局、担当医の思惑通り自宅から通院リハビリを受けるしかないとの事だ
しばらく親友と親友の嫁さんと話してたらリハビリの先生方が来て通院の日程を話していた

私も聞いてたが、月~金曜日の毎日来るような形だった
「言語療法」「作業療法」「理学療法」いずれかひとつを1日30分~1時間受けるらしい
毎日は嫁さんがきついだろうと週2~3回に出来ないかと言ってやった
後で嫁さんが感謝してた やはり毎日はきついと思ったのだろう
とりあえず役にたった
目に見えて私が役に立てたのは初めてかな?(笑)

担当医の話とは違い、親友が振るった暴力も実はそんなに大した事ないような話もしてくださった
もちろんそれぞれの療法の先生達には、何の迷惑もトラブルも無かったとのこと
その看護婦さんは今日も休まされてるようで今日の所は謝る機会は無かった
親友も側にいたのが、自分の話をされてるのにノンキな顔をしてた

何しろ記憶がほとんど出来ない状態だからどうしようもない
例えば、私の腕時計を見せる
名前は出ない
私が「腕時計よ」と言う
彼が「腕時計」と復唱する
私が「いい?腕時計って覚えときぃよ」と言っておいて5分後
腕時計を見せて「これは何?」と言っても、答えが出ない状態なのだ

しかし、話はよくする
その話の内容も徐々にまともな話にはなってきている
集中力はないから長時間は無理だが、ひとつの話題だと的を外さない会話になってきている
ただ記憶がうまく出来ないからちょっと前の話題は全然覚えていない
しかし、昨日何かの弾みで、自分でポツンと言ってた
「こう、なんでもすぐ忘れてちゃいかんねぇ」と
まともな瞬間の時がかなり増えては来ているのだ・・・・と思う

この瞬間を逃さずに、語りかけ理解させ、少しずつ覚えていく練習をしたらいいのではないか?
まずは口で言って親友にノートに書いてもらうという作業を習慣づけする事か?
断片的な記憶をくっつけていく作業
忘れたらノートを見て無理にでも覚えていくと言う作業・・・
多分、今現在、親友自身ほとんどなんの悩みも疑問も持たずに生きている
ある意味一瞬一瞬を楽しく生きているはずだ
記憶が繋がらないからだ

して、自分の記憶が繋がっていないという事も理解できていないからだ
だから、毎日を、今を懸命に、それも楽しく生きているという状態だろう
当面、私がやると決めている事
それは記憶をくっつける手助けだ
それと同時に、彼に今の自分の現実を知ってもらう事  
それも5分、10分、30分と自分の記憶を忘れない時間を増やしていくように・・
明日は私も仕事が休みなので、時間を気にせず会える

私の嫁さんも親友に会いたがってるので一緒に会いに行く
今は病院から近い、親友の嫁さんの実家に親友一家はいるのだが
明日は彼を彼の家に連れて帰る予定だ
私と嫁さんと彼と彼の嫁さんの4人で脳卒中後、はじめて彼を自分の家に帰らせる
なにか記憶を取り戻すきっかけが、少しでもあればいいけどなぁ・・
明日は「ぶいっちゃん流リハビリ」の時間だ
親友K!覚悟!!(笑)


2003年09月11日(木) 55日ぶり自宅へ

昨日は、親友Kと嫁さんとそして私ら夫婦と4人で昼過ぎから夜まで一緒にいた
まずKの嫁さんの実家に迎えに行って私の車で都市高速でKの自宅へ
Kにとっては7月17日に倒れて以来、約55日ぶりの我が家だ
助手席にKを乗せて都市高に入り、そしてKの自宅の近くのインターで降りてKに言った
「さて、ここからはオレわからんけん、道教えて?」と(本当は知ってるが)
「いいよ♪ えーっとね、左に曲がるけん、寄っといて」>当たってる!!
後部座席のKの嫁さんと私の嫁さんも息を殺して「お~ぉ♪」って感じ
まだまぐれかもしれない・・
しかし、親友Kはそれから15分くらいの道のりをすべて覚えてた
「右」「左」「直進」そして極めつけは自宅が見えた時
「Uターンして車止めようか」と来たもんだ
スゴイよ!!

それから家に入ってリビングで一休みした後Kに言ってみた
「トイレどこやったかな?」
「そこの階段上がって左にあるよ」と即答だ
よかった・・我が家の記憶はほとんど残っているようだった
病院では退院するまでトイレの場所と自分の部屋はよく覚えてなかったもんなぁ
それでも念のため、Kに先導してトイレまで連れていってもらった
教え終わるとKは勝手に階段をダダダっと下りていった>足腰もかなりいいようだ
私もそのまま降りたらKが「あれ?トイレせんと?」と言う
記憶も少しずつだがくっついてるようだ 以前はこんな会話は無かったから
ちょっと前の事を言えることは素晴らしい進歩だと思う
スゴイよ、スゴイよ!!

昨日は会話は今までで最高に出来た
しりとりも全員でまたやった  Kは一度も間違えずに出来た
途中しりとりの順番を替えたらKが「なんで急にオレの番なわけ?」と突っ込んでた(笑)>騙せなくなってきた(笑)

少しずつだが色んな面でよくなってきてるようだ
自分史も語らせたりもした
どこの学校を出てどんなバイトをして・・とか・・これも結構言えた
しかし、まだ計算やカレンダーは苦手のようだ
その代わり今日は時計に興味を覚えてよく説明を聞いてた>今度会う時期待大だ
夕方になりあたりが暗くなる頃、Kが言った
「そろそろ帰る?」
「えっどこに?」と言うと「○○」と嫁さんの実家の場所を答えた
「そうやね、帰ろうか、でも早くよくなって自分家に戻れるようにせないかんね」
「うん。やっぱ我が家がいいね」と言ってた

それから焼肉屋に行って4人で夕飯を食べた
食欲旺盛で私と同じく3杯おかわりしてた
他人が見たらまったく普通の雰囲気だろう
従業員も客も誰も気付かないだろう・・・
それくらい普通の状態だ
しかし、現実はまだまだ自分の記憶もよくわからないし目では見えない障害が残ってるのだ
計算や文字の読み書きはまだまだだし、自分の病気のこともイマイチ認識できてないし・・
それだけにこの後遺症というか病気は大変だと思う
Kの失語症、あるいは私が思うに高次脳機能障害はなかなか理解がされにくい病気ということだ

しかし少しずつ回復はしてきている
帰りの車中でKの嫁さんから聞いた所では退院後
リハビリ病院から「安定剤」のような薬をもらい毎日3回飲ませているとのことだった
それを飲むとぼーっとして寝てる時間が多いらしい
病院側から言わせたら、暴力性があるからという事だろうが・・・なんかイヤな薬だ
あんまり飲ませない方がいいんじゃないか?とKの嫁さんに忠告した
今一番大事なことは眠らせる事よりも、たくさんのいい刺激を与える事だと思う

病院側の判断はなんか釈然としない
来週の水曜日は薬をもらいにいくと行ってたから一緒について行こう
色々質問してみよう
親友K夫婦を送った後帰りの車中からKに電話した
「今日は面白かったね。また飯喰いに行こう」
「うん。いいねー!じゃ、気を付けて~、また~」という明るい答えだった
Kの嫁さんに電話変わってもらったら、今上機嫌でよく喋ってたらしい

やっぱ、自宅に戻れた事はKにとってもよかったんだろう
今日はあとでKに電話して昨日の話をする予定だ
覚えてくれてるかどうか・・・?
記憶さえ少しずつくっついていけば、明日は明るい


2003年09月13日(土) 経過をまとめてみた

7月17日 出張先の広島のホテルで朝食後、親友のKが倒れる 脳卒中(脳内出血)
  血管がちぎれて大量に出血したという事(左脳側)

7月25日 意識が戻る
  が、右半身、言語に障害が残るだろうと言う医者の話を伝え聞きがっかりする

7月30日 広島までお見舞いに行く
  もう食事をしてた(食欲は昔から旺盛)
  目に力が無く、私や私の嫁さんの事はわからないようだった
  そして食事後5分足らずで疲れたのか眠ってしまった
  会話は少し出来た(Kも喋った)がこちらの話は理解してないようだ

8月12日 福岡の病院に移送される  
  
8月13日 お見舞いに行く
  車椅子に乗ってリハビリ室で体のリハビリ開始
  そこの病院は理学療法しかないのでとりあえず、歩きのリハビリから始まった
  横になってるKと目が合うと私の名前を呼んでくれた  
  目の力も広島の時よりもかなりいい感じだった
  しかし平行棒のようなところで立つだけが精一杯のようで歩けなかった
  昼から夕方までいたが帰りがけには疲れたのか私の名前は口から出なかった
  しかし、あぐらをかいて1時間くらい話は出来た
  グーチョキパーも出来た(この時以降、右側の後遺症は治ると思った)

8月20日 お見舞いに行く
  理学療法士さんが手を添えて歩けるようになるまで回復してた
  トイレにはまだ付き添いが必要
  車椅子で病院を出て外の空気を吸わせた
  よく喋るが意味がまったくわからない話ばかりだ
  私の名前も出たり出なかったりの状態
  しかし昔の上司が見舞いに来た時には大声で挨拶してたから現金なやつだと思った
(意識ははっきり戻ってなくてもそこらへんの感覚はあるのだろう)
  夕飯は全部平らげてた(右側が意識がないのか食べるのを忘れそうになってた) 
  マジックを手に渡すと口にくわえたりする(スプーンと思ってるようだ)

8月24日 お見舞いに行く
  私が軽く支える程度で歩けるようになってた
  字を書かせてみるがよく書けない、本も渡したが読めないようだ
  しかし右手右足はほとんど正常に動いてるようだ
  体の後遺症の心配はなくなった
  会話もすこしずつだがかみ合うようになってきた(少しは理解出来てるようだ)

8月26日 リハビリ病院に転院(理学、作業、言語の各療法士さんが揃ってる)

8月27日 お見舞いに行く
  もう一人で歩いている
  字もたどたどしく時間はかかるが書けるようになってきた(誤字はあるが・)
  私の名前はかなり呼んでくれるようになった
  会話中、持ってるバックの中をずっと何か探してる事がある
  (ひとつの事に熱中するとずっと続く事がある)

8月29~9月5日 お見舞いに行く
  だいぶ話が出来るようになるが、モノの名前はまだ出ない
  記憶力もない
  ちょっと前の事でもすぐ忘れるようだ
  掛け算の九九はほとんど出来た  カレンダーや時計はわからない  
  一日の内でも波があるようで調子のいい時と悪い時では全然違う
  しかし、よく笑うし、笑うタイミングや冗談のツボは正確に合ってるから
  会って話をすると楽しい  

9月6日 お見舞いに行く
  看護婦に暴力をふるった事でこの日から病院を出てKの嫁さんの実家に行く  

9月8日 お見舞いに行く
  強制退院が正式に決まる
  Kはのんきに見舞い客と喋っている
  自分の状況はまだよくわかっていない

9月10日 実家に連れて行く
  倒れてからはじめてKの家に連れて帰る
  家の付近の道路などはよく覚えている
  家の中のこともほとんど覚えていた
  ただトイレの流すボタンがわからなかったようだ
  夜は焼肉屋で外食、よく食べてた  

9月11日 電話してみる
  電話で昨日の事を聞いてみた(家の事、食事の事など)
  口では覚えてるとは言ってたがどうも覚えていない模様
  Kの嫁さん曰くこの頃「覚えとうよ」って言葉はよくでるらしい(笑)  

問題点は絞られてきた
一番の問題は失語症の症状の中でも「記憶保持」と呼ばれているものだろう
もちろん失語症全般の症状はそれぞれに障害があるからそれの回復も大事だ
(聞く、話す、読む、書く、計算)
体の後遺症はほとんど大丈夫なようだからこれからは言語専門のリハビリだ
言語障害のあるリハビリ病院は少ないのが現状のようだ
ひとつは病院側が儲からないからだろう

そして言語療法士ってのもまだ新しいものらしく手探りの状態の分野らしい
ならば、オレが・・!!って気にもなるよね
というか、もう「オレが治す!!」って気だけどね(笑)
来週からはKの嫁さんと一緒に新しい病院探しに行く事にしてる
いくつか候補はあるのだが・・・・どうだか?
結局自分らの事は自分らでしなくちゃいかん世の中って事やね
病院も無責任なものだ と思った
病院を探すのも、自分の健康を管理していくのも自己責任の時代ってことですね


2003年09月15日(月) オレ流

親友の病気の復活を念じて書き始めたわけだけど、
見てくださる方が増えるという事はそれだけ励みにもなるし、
なんとか継続して親友を応援していくという行動の源にもなったりします
有難い事です 感謝

世の中にはもちろん、様々な病気や事故などで大変な思いをしてる方が多いと思う
まして、それが身内の方だったりしたらその心労は計り知れない
私の場合は親友という事で、その方々に比べると直接的な心労は少ない
24時間一緒にいる身内は、ホントに大変だと思う
将来の設計や夢や希望も現在の生活もすべて180度変換せざるを得ないのだから・・・・
ある方から激励メールを頂いたのだが、その方も昔、身内が同じような病気で倒れて
心ゆくまで看護できなかった後悔があるというような事を書いてらっしゃった
ひとつはその病気に対しての知識が少なかったというのもあったということだった

確かに「知らない」という事はどうする事も出来ないということにもつながる
幸い、今はインターネットを含め、情報の量は多い
キーワードを絞り、ピンポイントで知りたい情報が手に入るのは非常に助かる
だから私のような素人でも、おこがましくも
「オレが直す!」なんて事を軽々しく口に出していえるわけだ
もちろん根拠も自信もないし、またその可能性も容易なものではないのは百も承知だ
ただ、無策よりも何か最善の一手は何かないかと考えて行動しているだけだ
通院で週に一回、それも30分足らずしかない言語療法では心もとない
病院内の親友担当の各療法士さんはいい方ばかりだったのだが・・・

それをまとめる担当医、あるいは病院の方針がよくないと今回のように強制退院になる
リハビリ病院がある意味、親友を見放すなら、「オレが・・・」と思うよね
昨日も親友と電話で話した
以前は流暢に喋っていたのだが昨日、一昨日はちょっと違った
流暢といっても私が聞いているのとは関係のない単語や会話を
ベラベラと流暢に喋ってたので私にはよく意味は通じない会話だったのだが・・
昨日の会話は、単語を探すような感じで言葉が止まるのだ
もしかしたら言いたい言葉、伝えたい言葉を捜している状態に進歩したんじゃないか?
きっとそうだ! と思う

明後日の私の休みの日また親友と会う予定だ
親友の嫁さんにもちゃんと言って、本格的に「オレ流リハビリ」をさせてもらおう
「オレ流リハビリ」はなんと完全無料で(笑)そして決して見放す事はないのだ
調べるだけの事は調べた
親友の嫁さんにもキツイ体調だろうがなんとか頑張ってもらおう
まずは「障害の認識」
彼に自分の病気と後遺症について自覚させる事からだ
まだ彼は自分の病気に気付いてないからネ
ガンバッゾー!!


2003年09月18日(木) 一瞬の人生って・・

親友Kと昨日は半日いっしょに行動した
まずはKとKの嫁さんと私ら夫婦の4人でKの家に一番近いリハビリ病院に見学に行った
Kの嫁さんは家に近いこの病院がいいようだが・・・・
言語療法士の方とソーシャルワーカーの方に色々質問したりした
Kの嫁さんの具合がちょっとよくなかったのでほとんど代わりに私が聞いた
言語療法士の方は若い女性でまじめでいい人そうな感じだったが・・
どこの病院もだいたい同じようなリハビリをするんですよね?と言う私の質問に
そうですね、と軽く答えていたなぁ・・

それじゃぁ困るというか・・・頼りないと思うんだがねぇ・・・
今、通院してるリハビリ病院に近いKの嫁さんの実家を来週には出て家に戻る予定らしい
そこでKの嫁さんが無理なく連れて行けるできるだけ近場の
リハビリ出来る病院を探すわけだけど・・・
来週、今日の病院よりはちょっと遠いけど
HP上では感じのいいリハビリ病院を見学してからどっちかに決めるという事にした
どちらにしても専門家がいるいずれかのリハビリ病院には通院した方が安心感はある

それからKの自宅に帰っていよいよ私のリハビリの時間だ
今回はKのためにかなりの資料を作った
まずは「Kの自分史」
自分史を知ること、思い出す事もリハビリにいい効果があるらしい
今が過去の延長線上にあるという連続性の認識を深める事があるという事だ
それからKの人生に関わる過去の色々場面を単語化した表・・・他
それと時間の流れや時の流れがわかる表や、スケジュール表・・
そして今後の為の行動表(メモ帳を必ず肌身離さず持つようにとか・・)の計10枚
Kの病気の事もわかりやすくしてまとめた資料も作った

【広島の病院で高血圧による 脳内出血 と診断される
約1週間、意識不明の状態
平成1515年8月12日 福岡の病院に転院する
この時の状態は・・
歩けない、喋れない、トイレに一人でいけない・・・他いろいろ
平成15年8月26日 リハビリ専門の病院に転院する
その後9月8日退院
脳出血という病気の後遺症として・・
Kには現在、失語症という言語障害がある
失語症とは、聞く・話す・読む・書く・計算するといった、
言語に関係する障害が認められる状態の病気です
あるいは記憶がなかなか出来ないこと事もあります

Kが自分の病気に気付き、そして直したいと思ったとき時に必ずその病気は治る。
病気を治して、また元のような 元気なKに戻ろう
まずは自分は病気だから、治さなくちゃいかんという事を忘れないこと事から・・】

全部Kに読ませた
フリ仮名も打ってたから全部声を出して自分で読んでた
ひらがなはたどたどしいが、だいたいほとんど読めるようになってた
この時はかなり時間もかけて説明もしたから、真剣に聞いてくれていた

何せ、私の「腕時計」を見せてもまだ「トケイ」と言えないのが現状なのだ
昨日も時間を置いて数十回は聞いた
ノートに「トケイ」と書いてメモさせてわからない時は見る癖をつける練習もした

あるいはヒントとして「三文字だよ、最初の文字は「ト」・・次は「ケ」・・最後は・・・?」とかやった
繰り返し根気よく練習するしかない
帰りがけにはヒントを「ト」・・「ケ」とまで言うと「とけい」と言えるようになった
会話は昔のKの80%くらいの雰囲気でよく喋っている
私との会話も、モノの名前が正しく出ないことを除くと昔となんら変わらない
だから、よくお互い笑ったりもする

しかし、今のKの人生は「一瞬の人生」の繰り返しなのだ
1時間前の過去が無いのだ
その一瞬を一生懸命生きてるって感じ・・・・
つながらない記憶というものは周りからしてみればツライ
だからKには辛い事も楽しい事も残ってないわけだ
しかし、元来の性格か、それともこういう後遺症のせいなのか、
一瞬一瞬を生きてるKは誰かが側にいる時は、楽しそうにしている時が多い

話すはしから忘れていくと言う状態・・・・・
聞いてる順に忘れていく状態・・・・
秒単位で生きてるという感じだった

というように、思い出してみると、ちょっと前までは数秒前の記憶すらなかったのだ
昨日のKを見てるとちょっと前の過去の話がちょくちょく出てた
しきりに「これは忘れたらいかんね!」と言ってノートに書き込もうともしてた
しかし、後でノートを見てもまだうまく何の情報を自分で書いたのかがよくわからないようではあるが・・・

しかし、自分が忘れる事が多いと言うのは少しずつ自覚し始めてるようだ・・・
少しずつ過去の記憶を保持する時間も長くなってるという事かもしれない
いや、確かに昨日のKはちょっと前の話を覚えていた
少しずつ・・少しずつ・・繋がってきてる  記憶が!!
間違いない

記憶をつなげるという作業は周りの人の愛情こそが一番のリハビリだろう
今日は今から「電話リハビリ」だ
昨日の事をどれくらい覚えてるか・・・?
厳しいよ、ぶいっちゃん療法士は(笑)


2003年09月19日(金) 一進一退

親友Kの様子は一進一退
まさにそんな感じ
電話で水曜日の事を聞いてもあまり覚えてないようだった
食事した店の名前や料理の名前など・・
ただ、ヒントを出すとその名前は少しずつ出るようにはなったが
さっきKの嫁さんに電話かけた
嫁さんは具合が悪いようで今日は一日横になってたらしく、
あまりKの相手は出来なかったらしい

今日、Kはティッシュを取り出して「これを水に濡らして食べたらおいしいよ」と
Kの嫁さんの妹に言ってたらしい
こういう行為も高次脳機能障害のひとつであるらしい
入院した最初の頃は結構あった
リモコンを耳に当てて「もしもし」と言ったり
マジックをスプーンのように口に入れたり写真に向かって「もしもし」とか・・・

この頃はあまりなかったらしいが・・今日はあったらしい
そして嫁さんを強くでは無いと思うが、叩いたらしい
自分の言った事をちゃんとやってくれなかったという事で怒ったという事だ
それも実は何も言ってないことで
記憶がゴチャゴチャになってるんだろう

しかし、嫁さんの方はたまったもんじゃないわなぁ
こんな事では来週Kの家に帰るという予定も考えざるを得ないか・・・

明日はKの実家に泊まりに行くという事だ
Kの嫁さんに頼まれたのもあるが
私も夜、Kの実家に行ってKの両親に病状を詳しく話してこようと思う
ある意味私の方が病院の人より詳しく病状を把握してるし、資料も豊富に持ってる

そしてKとも電話で話した
「後遺症を軽くする為にはお前が頑張らないといかんのぜ!」と
「嫁さんに怒ったらいかんぜ!」
「味方は嫁さんだけなんぜ!」
「ノートに必ず書いて記憶をつなげる練習せれよ」
「今、真剣にリハビリしとかんと治るものも治らんぜ」・・・・と
返ってきた答えは「大事な事やけん、考えさせて・・」だった

少しは伝わっただろうか?・・
わかってくれただろうか・・・?
復活への道はなかなか楽な道ではなさそうだ


2003年09月22日(月) 高次脳機能障害

親友Kと前日、電話で話した時の
「大事なことやけん、考えさせて」  は実は何も考えてなかった(笑)
電話を切った後にKは嫁さんにこう言ったらしい
「ぶいっちゃんが大事な事を言ってたから、お前、書いといて」

土曜日夜、私の仕事が終わって、Kの両親のいる実家に行った
Kの家の車庫に車を入れてると玄関からKがやって来た
迎えに来てくれたようだ
私の到着を9時くらいから、ソワソワして待っててくれたらしい

更に家に入ってから話を聞くとその日の夕食の時も
「今日はぶいっちゃんが来るからおかずを取っといてやろう♪」といって
自分の分の皿の料理から少しずつ小皿に移してたらしい
嬉しいじゃあ~りませんか!!
色んな障害はまだまだ残ってるけど、こんなところは昔と変わらない

しかし、食べ残しみたいにグチャグチャになったから両親がこれはあんまりやろうという事で、別に私の分まで料理を作ってもらっていただいていた
その夕食の頃から私が来るという記憶がずっとつながっていたという事になるね
これは記録じゃないか?
2~3時間も忘れずに覚えてくれてたってのはスゴイことだ

それからKの両親にKの症状と見られる書類を全て渡して話をしたのだが・・・
なんとか症状はわかってもらえたようだ
まぁ、Kの家族自体が楽観主義なんだろうなぁ・・・
Kが私の横にずっといるので又、色々喋りにくいってのもあった
あんまり役に立たない訪問だったかもしれない
Kの両親は凄く喜んでくれてたのが救いだけど・・・

しかしあくる日電話してみると父親が資料に載ってるリハビリ方法を早速Kにやってたらしい
少しは効果があったか・・・・
Kの嫁さんの体の調子も悪いようなので今週家に戻るという予定は難しいかもしれない
ただでさえ、Kは嫁さんのいう事はあまり聞かないらしいし・・
病気になっているという自覚がないのと
自覚がない分、昔のように振舞う癖だけは残ってるという厄介な状態だからなぁ

そんな状態でK家族だけで過ごせるかというと・・・なかなか難しそうだ
Kが勝手に家を出て行こうとするのを止められるかどうか自信がないと嫁さんは言う
そりゃそうだろう  力だけは相変わらずあるからなぁ
Kの嫁さんはもう少し入院させてもらえる所があればさせたいと思ってるようだ
とりあえず水曜日、もうひとつの病院に連れて行ってみるが・・どうだかなぁ

Kの症状は脳出血後の後遺症である高次脳機能障害だ
リハビリ病院で診断されたのは「失語症」だけだったようだが
私が判断するにKには「失語症」の他に
「注意障害」 「記憶障害」 「遂行機能障害」 「失行症」「地誌的障害」「失認症」
の症状が見受けられる

高次脳機能障害というのはまだまだ医師が個人的に関心を持って勉強しないと知識を得られないというのが実状らしい
という事は・・・・

ちゃんと治療と言うかリハビリが受けられるそういった病院を探すことが大事だ
今通ってる病院で紹介してくれないもんかなぁ
患者の今後の事はまったく考えてないもんなぁ・・・あの病院は
横のつながりくらい、ないのか? 聞いてみよう
それまではとりあえずはやっぱ、Kの素人主治医のオレが治さないといかんな!!


2003年09月25日(木) 病院見学は大事

昨日は、もう一件のリハビリ病院に見学に行った
HPで見つけたのだが、なんらかの脳障害の後遺症専門の病院とのこと
早速、ソーシャルワーカーの方と面談
親友K夫婦と共に、私ら夫婦も付き添って話を聞いた

質問の中に「なんで以前の病院を退院されたのか」ってのがあった
当然あるだろうと思ってたので、行く前から正直に言っておこうという事にしてた
看護婦に暴力をはたらいた件の話をした
ソーシャルワーカーの反応は[それだけのことで・・・?]という感じだった
やはり、あれくらいの症状で強制退院という処置はおかしいのだろうと感じた

いい感じの女性のソーシャルワーカーだった
私も友人のために色々と彼について知ってるかぎりの病状のことを伝えた
ソーシャルワーカーの方がビックリしてたネ(笑)よく知ってるから
Kも私に負けじと何か色々と他人事のように喋っていた(笑)

部屋を出て、私はKに言った「さっきはお前の入院の為の話しよったとぜ」
「うそ!!(笑)オレの話やったと??」という答えには笑った
なかなか自分の状態というか病状に気付く道のりはまだまだ遠いようだ

その後、医師の方に簡単な診断を見てもらう事になった
結果、もしかしたら入院が出来るような気配に・・・
前の病院から「紹介状」をもらわなくてはいけないので即入院とういう処置は
出来ないらしいが、通院後入院出来るかも?という形になるかと言ってた
はっきりとはわからないがとりあえずはよかった
来週中には通院をはじめて、そしてはっきりするだろう

Kの知り合いの身内の人がこの病院に入院しており、その方の話によると
この病院は待ちが多くて、なかなか入院できないという話だったのでよかった
これでKの嫁さんの負担も当面は軽くなりそうだ
Kの嫁さんが「最初からこの病院やったらよかったね」と言ってた
しかし、実を言うと私は最初、福岡の病院にいた時からKの嫁さんに言ってたのだヨ
自分でいくつかの病院を見学してから決めた方がいいよ・・と

私が今回の病院も含めて4つほど候補の病院を調べてたし、その資料も渡していた
しかし、Kの嫁さんは福岡の病院のリハビリ医師(理学療法士)が薦める病院を選んだ
それもしょうがないと思う
私も今回の病院がいいという絶対の知識は無いし、確信もない
ましてリハビリ医師が薦める病院ならば・・・と思うのは当たり前の事だ
ここらへんが私の限界というか身内じゃないものの力の限界だろう

ましてKの嫁さんの体も調子悪かったので、当時は見学も無理だったかもしれない
もちろん、今更そんな事はKの嫁さんには言わない
しかし色んな資料を見てるとやはり自分の目で病院を見学する事は大事な事らしい
医師といっても専門外の事はそうそうは知らないのが現状なのだから
今回の場合で言うと理学療法士は理学の事しか詳しくは知らないという事だ
自分の身は自分で守るということだ

その後、電話があり、Kが昔世話になった元上司のところに行く事になった
その家でもKの状態は非常に良かった
そのKの元上司も驚くくらい日常会話ならほとんどスラスラ話せる
偶然かもしれないが、時計を見て今の時間も「3時30分」とピタリ当てた(笑)
結局昨日はそういった事情で私の素人リハビリはあまり長い時間出来なかった
移動の車の中くらいしか出来なかった
しかし、今日も私が来る事を朝から覚えてたようだし、少しずつ記憶の容量が
増えてきてるような気がする

しかし、まだ「時計」を見せても「とけい」という名前が出ない状態には変わらない
今度の病院は私の店から、わりと近いのでまた私も毎日のように病院にも行くだろう(笑)
通院にしても入院にしても早くよくなって欲しいもんだ
まだまだオレもKに「親友素人リハビリ(無料)」を続けるのには変わらない
もちろん今から昨日の事を色々聞いてみる「電話リハビリ」の時間だ


2003年09月27日(土) 焦らずのんびり

木曜日、親友Kに電話したがやはり前日の事はよく覚えていない
Kの嫁さんとしばらく話したのだが・・・・・
明日の日曜には自分らの家にようやく帰ることにしたらしい
Kの嫁さん曰く「焦らずのんびりとやっていこうと思う」と言う

私自身もKの回復には時間がかかるだろうなぁとは思っている
でも私の方からはKの嫁さんに
「一生かけて少しずつ回復させていかないとね」とかは軽々しく言えないでしょ
やっぱり、少しは希望を持たせるような事を言いたくもなるのが人情です
ただ早くどうにかしてやりたいとはずっと思ってる

正直、焦って治そうとは思っていない  かえってよくない事だし・・
1週間に1回、それも数時間しか会えないから集中して一生懸命にはなるけど・・
発症後の半年~1年くらいが急激に回復する時期だという事で今頑張ってるだけだ
頑張ってるといっても素人リハビリの真似事しか出来ないのだが・・・

Kが自分自身で病気や後遺症の自覚を持ってくれて、
記憶を少しずつ出来るようになってくれたら回復が早くなると思ってるだけだ
最初の病院があまり当てにならないとわかった時点でそう思った
Kの嫁さんから聞く、病院の担当医の話よりも私の方がKの症状を理解してると思ってた
実際はそんなもんではないだろうが、治してやりたいという気持ちは医者よりも持ってた

可哀想なのはKなのだ
一瞬、一瞬しか生きていないKの人生を思うと泣けてくる
5分前の記憶が無い人生
医者に自分の病気の話をされてるのにピンと来てないKの人生
脳出血後のKの人生はまったく止まったままなのだ

失われた人生の記憶も多い
焦ってはダメだけど・・・・
出来る事、した方がいい事は自分たちの力で今!!・・・ということ
しかし、私なんかより一番苦労してるのはKの家族だ
焦らずのんびりという言葉をいいように解釈しておこう
今はなんとか今度の病院がいい病院であるように願うだけだ




2003年09月30日(火) 電話リハビリは順調

日曜日から親友K家族がようやく自宅に戻って新生活を始めた
今度の病院の方はとりあえず通院からという事になったようだ
まだいつからという日にちは決まってないようだ
しかし以前の病院の紹介状を持っていかなくてはいけないというのはねぇ・・・

ろくな事書かれてないんじゃないか?とか、また心配だネとKの嫁さんと話した
今回のような事務的な担当医に見られた日にはたまったもんじゃないネ
大げさにKの病状が書かれてたり悪いように書かれてない事を願う
なんとか今度の病院ではいい先生にあたる事を願うばかりだ

Kの電話の雰囲気はかなりよくなったように感じる
電話リハビリは集中しやすいのではないかなぁ?Kの場合は
元々電話好きな奴だったからいいのかもしれない

自分から時間系列の話も増えてきた(昨日とか明日とか午前中はとかの話)
それと自分の調子がどうもおかしいという事にも気付きだしたようだ
昨日の電話ではゾクゾクするくらい的確な事を2度ほど言った
自分が病気らしいということと、ちょっと変なんだということを話してた

高次脳機能障害の一番大事なポイントだ!!この自己認識は!!
自己認識は、
①障害に全く気づいていない状態から、漠然と気づく、部分的に気づく、
②実際の場面の中で生じる問題を具体的に述べることができる、起きそうな問題を予測することができる、というように段階的に進み、障害を実感として捉えられるようになるということらしい

「オレが色々勉強してKのことは何でも知っとぅけん、任せといて♪」と言うと
「あ、そう。じゃぁぶいっちゃんに頼むけん、なんかおかしいっちゃんねぇ、オレ」
まだまだ時間はかかるとは思うが、いい方向には、いってる
昨日今日の電話では手応えがかなりあった

Kの嫁さんとも電話でじっくり色々と話した
「焦らず、のんびり」というのはやはり心底、本心ではないようだ
気をつかう人だから私にも気をつかって言ったのだろう
オレのことは気を使わんでいいけん、お互い協力し合って治していこうと話した

明日の水曜日は私がKを預かって私の家に連れて帰る予定だ
Kの嫁さんには24時間つきっきりで疲れてるだろうから、ゆっくりしてもらおう
半日だけだけど私の家で「楽しいリハビリ」だ
その為のリハビリも色々考えた
明日はやりがいがありそうだなぁ


2003年10月04日(土) 自覚

「この頃、オレなんか馬鹿になったごたぁっちゃんねぇ」
水曜日、車で私の家に行く途中Kが言った
「なんで?」
「ちょっと前の事も覚えきらんし、名前もよう出てこんし・・」
「心配しとったと?」「うん」
「なーんも心配せんでよかよ、そりゃぁ治りよう証拠やけん」
「ホント!!?治ると??」

「うん、大丈夫!ちゃんとリハビリすりゃぁ治るって!!ちゃんと調べたけん」
「よかったぁ~~!!どーなる事かと思っとったよー!よかったー!!」
Kは大きな声で安堵の声を出していた

自分の症状に対して、かなり自覚しだしてきてる証拠だ
以前は無頓着に、毎日気楽に過ごしてたからスゴイ進歩だ!
記憶が少しずつ繋ぎ出し始めてるのかもしれない
自分の状態が普通じゃないと自覚する所から
この「高次脳機能障害」の回復は始まるということだ

昨日、今日の私とのリハビリ電話でもしきりに症状を言うことが増えた
「頭の中がポッカリ抜けてしまってるみたいなんよ」とか言う
いい傾向だ
電話で私の事をうっかり「先生」とか言ってたし(笑)
頑張ろう私も♪友人主治医として(笑)

自覚さえしてくれれば、自分で一生懸命治そう、リハビリしようという気にもなる
まだまだの状態ではあるが少しずつ自覚しそうな雰囲気だ

しかし、Kの嫁さんとのリハビリは一進一退らしい
どうしても嫁さんには昔の生活のように威張ってしまうらしい(笑)
だから途中で飽きたりして「後はお前がやっといて♪」とか言うらしいし(笑)
そんな記憶はしっかり残ってるんだから困ったもんだ

私との間ではよく言うことを聞いてリハビリしてくれる
この間の水曜日は「計算」や「漢字」の練習など3~4時間頑張ってたし
しかし以前に比べるとリハビリに対する気持ちも前向きに変わってきてるようだ
これで来週から行く、新しい病院でのリハビリにもやる気が出るかもしれない

先は長いだろうが友人が自分から進んでリハビリするようになるまでは
今のペースで応援していこう

2003年10月09日(木) 少しずつ

10月1日にKに渡した『メモファイル帳』が少しは役に立ってるようだ
これはKの嫁さんも喜んでた
毎日の出来事や会った人なんかを書き留める日記のようなものを作って渡してた
プラスそのファイルには、Kの病状や行動表やカレンダーなどもつけている優れものだ(笑)

昨日会った時、確認したらちゃんと毎日何がしか書いていた
それもだんだん字が上手になってきてて、読みやすくなってる
毎日Kの嫁さんが側について書かせてるようだ
継続は力 なりだ

昨日は他に時計の見方を理解するソフトや計算、漢字の練習できるソフトも
ダウンロードしたのを持っていき、私がやったノートPCで出来るようにした
今日電話したら、早速やって練習したらしい
「なんでこんな簡単な問題が・・・?」と疑問に思ってきたらしい
「お前に出来て、オレが出来ないって・・・?」とKの嫁さんに愚痴ってたらしい

そうやって自分の障害の現状を自覚する事が今のKには一番大事
昨日は私がKを病院に連れて行った
その間、Kの嫁さんは自分のメニエール病の治療に行ったり、
Kがいたらなかなか落ち着いて出来ない雑用をやれるから助かると喜んでくれた

今度の病院も言語療法士の先生は若い女性だった
そこのリハビリルームも不謹慎だが・・大盛況だ
見た目はKなんかは健常者と全く変わらないだけに場違いな感じもする
しかし、現実はKの症状もそうそう一筋縄ではいかない厄介なものだ

夕食は私の家で食べた
途中Kがトイレに行った時に何か大声で私を呼んだので何事かと思って行ってみたら
手を洗おうとしてうっかりウォシュレットのボタンを押してしまったらしく
飛んでくる水を両手で受け止めていた(笑)
止めてやると自分で散らかった水をティッシュで拭いてた
色々、Kにとっては大変なことが日常では起こるんだろうなぁ
Kの嫁さんの苦労を思うとやっぱ、身内は大変だ

しかし、記憶は少しずつ少しずつだが・・・・つながってきてるように思う
今日は病院に行く道を私がうっかり行き過ぎたらKに教えてもらったもんなぁ
少しずつ・・少しずつ・・


2003年10月13日(月) 一瞬から連続性の人生へ

電話リハビリを毎日やってる
なかなかKの嫁さんにも好評のようで
私も調子に乗って仕事の合い間に毎日だいたい夜の7時半~8時くらいの間にかけてる
Kの嫁さんによると家族には相変わらず威張ってるというか
言う事をあまり聞かない事が多いらしいが
友人、知人に対しては態度が違うらしい

昔から外面(そとづら)のいい男だからね(笑)
特に私にはいいようだ
失われた記憶の話やモノの名前の話をこの頃はよくする
どうやら自分が病気になっておかしいというのは、ほぼ自覚してるようだ
問題はその自覚してるという事をすぐ忘れてしまう事

考えてみよう
モノの名前が出てこないということは、話を聞いても理解度が半減するだろう
記憶容量が小さいという事は覚える端からこぼれていくという状態だ
昔の記憶も断片的に切れているようだ
この頃の記憶に至っては病後のことはほとんど覚えていない状態だ
リハビリを頑張らないかんと、その場は理解してもすぐ忘れてしまう
その事をノートに書いててもどこの部分に書いたのかを忘れる
書いてある場所を見つけてもたどたどしく読んで、なんの意味だかよくわからない

例えば私とKが水曜日にやったこと
Kの前に時計とメガネをおき、名前を覚えてもらう
1~2分以内だったらほとんど間違えない
4~5分たって聞くと両方とも名前が出てこない
そこで紙に「トケイ」「メガネ」とKに書いてもらいその紙を一緒に置く
わからない時は、この紙を見たら答えが書いてあるからと教える

そしてその紙の側に置いている、時計とメガネの名前を聞いてみる
わからない・・答えられない
そこの紙に書いてるよ と教える
紙に書いてある「トケイ」と「メガネ」とい文字は読むのだが何のことだか覚えていない
という状態だ

こんな病気があるのだ
TVや映画でよくでてくる記憶喪失とは全然違う
記憶のシステムというのは多岐にわたっているらしい
ただ、たんにモノの名前が出てこないということだけではないのだ

例えば時計で言うと
「時計」という名称の記憶だったり、どういう時に使うかという記憶だったり
時間の概念の記憶だったり、時計の見方の記憶や、時計にまつわるエピソードだったり・・・・・
それらが一瞬のうちに脳の中で絡み合って普段の生活ができるわけだ
私らはそれらを無意識のうちに毎日何気なく行動しているわけだが
Kのように脳になんらかの損傷をちょっとでも受けると・・・・大変ということだ

この頃Kは喋る途中に止まる事が増えてきた
言いたい言葉が正しく出ていないことに気付きだしたのだ
最初の頃は思いつくままによく喋っていたのだが、この頃はそれが減った
意味不明とまではいかないが勝手な話をよくしてた
この頃は、たまにしかそういった喋りはしない
少しずつ自分で気付いていっているのだと思う

まずは今日の記憶と昨日の記憶を繋ぐことからだ
その繰り返しがKの人生を連続性のある実りのあるものにしていく
その場限りの一瞬人生ってあまりにも寂しい
やっぱ、人間というものは、人生というものは
悲しいことも楽しい事も辛い事も面白い事も含めた記憶の中で生きてこそ、だ

一瞬のKは昔のKそのままなだけに、何とか繋げてあげたい
一瞬の人生を、連続性のある人生に戻るまで頑張れK


2003年10月19日(日) き・お・く

Kが倒れてから約3ヶ月
体の方は今週の水曜日に一緒に病院に行った時に
理学療法士の先生からも、もう心配ないだろうとの事だった
ただ股関節がちょっと固いというか開いてるような事をおっしゃってたので
「それはKが元々、がに股だったからでは?」と言うと納得してた(笑)

今週も電話リハビリは毎日やった
毎日7時半から3~40分
7時半の電話は私からだからという事でKに受話器を取ってもらってる
そろそろ「毎日毎日よく飽きずに電話かけるね」くらいKに言ってもらいたいもんだ
毎日私が電話かけてるという認識もまだまだKにはないようだし
しかし会話はだいぶしっかりしてきた
こちらから昨日や一昨日の話題をふれば、その日の出来事も覚えてる事が多くなった
回復は少しずつ,少しずつだ

電話の会話の間に必ず、今日の日付と今の時間は?の質問は2~3回は、いれてる
カレンダーも時計も落ち着けばだいぶ当たるようになってきた
昨日は友人の名前を言わせて見た
だいたい私を含めて8人くらいの飲み友達がいるのだが、昨日は5人しか言えなかった
「なんでかいな?ねぇ・・おかしいねぇ」としきりに言ってた
「そうなんよ、それが今のお前の状態というか力なんよ」と私

「そう・・・こんなもん」とK
「だから、今のお前のキーワードは『記憶』ということなんよ」
「き・お・く」
「そう!記憶。記憶さえくっついてくれれば、よくなるのも早いよ」
Kの嫁さんに頼んでホワイトボードに、Kのキーワードと書いて
「記憶」と言う文字を大きく書いてもらい部屋のTVの横に置いてもらった
毎日見る事によって記憶という文字から覚えていってもらおう

なんせ、覚えなくちゃいかんという事を忘れるんだから大変だ
その時、その時はリハビリの重要さもわかるみたいだけど、すぐ忘れる
忘れてる事も忘れるという状態だから

しかし、倒れた最初の頃を思うとすごい回復だ
その頃の写真をこの間、渡した
集中治療室に入ってる頃だから、まだ意識が回復してからすぐの写真だ
私がデジカメで看護婦らの目を盗んでこそっと写したものだ
今の表情と比べると明らかに病人という感じの写真だ

Kの回復が思わしくなかったら誰にも見せずに封印するつもりだったが
もういいだろうと思い、Kの嫁さんに渡した
自分の記憶に無い病人の姿を見てKもビックリしてた
Kが何か機嫌が悪くなったり、言う事聞かなかったらこの写真見せりぃと言ってやった

「こんなになりたくないやろぅ?」とKの嫁さんが言うと効果があるらしい(笑)
近い将来に、完全回復したK夫妻と共にその写真を見ながら笑って食事でもしたいもんだ


2003年10月20日(月) 待つこと

高次脳機能障害
当初、Kが脳出血で倒れた時には想像もしてなかった後遺症が残った
脳出血=片麻痺 
のようなイメージで、体の後遺症&リハビリが大変だろうという感じだった
もちろん体のリハビリも想像を絶する闘いだと思う
今日、漫画だが、井上雄彦氏の「リアル」という漫画を読んでもそう思う
歩けない 体が動かない というのは大変なこと
障害に、大きい、小さいという判断はなかなか難しい

私のイトコに二人障害者がいる
一人は歩けない、喋れない が頭はしっかりしてる障害
だから将棋をすると私が負ける事もあるし、喜怒哀楽もしっかりある
もう一人は、歩けるし、動けるが、脳性まひなので知能が遅れてる障害
どちらも生まれた時からの障害なので親戚の方々は大変だったと思う
二人とも治る見込みの無い障害だけにどちらの親が大変という判断はもちろん出来ない

普段は気の短いせっかちな私にも小さい時から歳の近いそういったイトコ達と
過ごしてるおかげか、そういった面で一部分、大きな心が育った
大きな心とは『待つ心』とでも言うのだろうか、焦らないという心・・
相手が伝えたいことを読み取る、感じ取るとでもいおうか?
必ず手を差し伸べる事だけが「やさしさ」ではない
あえて、お互い、不自由だけど「待つ」ことも必要だ
時には「怒る」ことも大事

Kの場合は誰が見ても脳出血から回復してよくなったというイメージがある
体に何の障害も残ってないのだから見た目は前と全然変わらないのだからそりゃそうだろう
だからKの嫁さんと近所をリハビリをかねて散歩してて近所の人と会っても
「よかったですね」と声をかけられるらしい
K自身「どうも~」とか答えて、ニコニコしてるので他人目には普通だろう
しかし、今後の生活を考えると今現在では仕事復帰は難しいのは事実だ

家族からしてみればKの自覚を『待つ』というのはしんどいことだ
でも「待つ」ことは何事においてもやはり大事だ
Kが自分自身で何かを気付くことを待つしかないのだ
そのための有効な手助け、リハビリを毎日根気よく続けるしかない

少しずつだが本人が自分の障害に自覚しだし始めてるからそこが救いだ
Kが自分で自分のリハビリを考えて、自分で自発的に何かをするようになるまでは
私もなんとか応援してやりたい

今はまだどこか他人事のようなことを時々言ってるからなぁ(笑)
自分が病院に行くのもそうだが途中までは私やKの嫁さんが
どこか悪いところがあるから自分が付き添いで行ってると思ってる時もあるし
自分の置かれてる状況を認識させてやりたい
そして、自分との闘いをさせてやりたい

そこまでKに自覚させてやるまでは応援を続けたい
そしてそれが、今の一番の私の目標でもある


2003年10月23日(木) 忘れても思い出せばいい

昨日は朝からずっとKと一緒にいた
まず、Kの家から車で5分くらいの近所の公園に行って、二人で散歩
Kに案内してもらい車で行った
場所も間違わずに行けた
私は行った事ないところだったが想像以上に大きい公園だった

男二人で散歩ってのは生まれてはじめての経験だ(笑)
山道ありの、階段ありの、木々は生い茂って散歩にはもってこいの公園だ
私の方が疲れたくらいよく歩いた
ちなみに運動不足の私は今日、足がこった  私のリハビリになったようだ(笑)
Kがちゃんと公園の道も覚えてたのもよかった

それからファミレスで昼食
ランチを食べ店を出た時にKがメガネを店に忘れたのに気付く
スゴイ!!こんな事は初めてだ
私はKがメガネを忘れてた事に気付かなかったんだからビックリした

そして本屋に行った
本屋でKはトイレに行くと言って店を出ようとしたので
「場所知ってる?」と聞くと1週間前にも来た本屋だから覚えてたようで
「うん、右やろ?」と答えて、スタスタと歩いていった
それでも心配だからちょっと後をつけてみてたら違うドアのところまで行ってたので
「K、そこじゃなくって、その手前のドア」と声をかけて教えてやった
それから再び店内に入ってきた時、

「あれ?俺、バッグ持ってたよね?」と私に聞く
「うん、持ってたね、あ・・トイレに忘れたっちゃない?」と言うと
Kが急いでトイレに向かった ・・・ 無事あった。
今回も私はバックが無いことに気付いてなかったのでKが気付いてよかった
私もあまり役に立たない男だ(笑)

しかし、メガネにしてもバックにしてもよくぞ気付いた!!K!!
忘れるところはまだまだだけど、それを思い出すという事はスゴイことだよ
忘れた事を思い出す
一般人なら、当たり前の事でも病後のKにとってはスゴイ快挙だ!!
忘れても思い出したらいいんだよネ・・少しずつ

今までにはなかったKの記憶に喜びつつ、それから病院に行く
今日のリハビリは作業療法と言語療法
作業療法では、最初、輪投げをやっていた
赤系の輪は右手で取って右側に入れる
青系の輪は左手で取って左側に入れるというルールを先生が説明してた

Kは座ったままで先生が投げる
投げた・・・・・・・!!右側に・・・・!!

Kは輪をくぐらせようと、思い切り右足を挙げていた(笑)
そこにいた他のリハビリ患者さんも他の療法士の先生も私も思わず爆笑した
「K!!足じゃないって、手、手! 受けを狙わなんように(笑)」と言ってやった
次からは出来てたが、一度間違うと混乱するようでミスが連発する事もあった

これは持続といって、前の事が頭に残って次の事が出来ないといった後遺症のリハビリになるらしい
簡単にいうと、ひとつの事に集中するとそればかりが気になるという後遺症だ
あるいはそのことがしばらく頭に残ってしまうような状態
なるほど・・・輪投げひとつとってもリハビリとはよく考えられてる

次は言語療法
Kのバックから、私が作ってた「スケジュール日記帳」を先生が見つけて感心してた
Kの日記やスケジュールやカレンダー、他色々をひとつのファイルにしたものだ
「これはスゴイですね、ご自分で作られたんですか?」
「よかったら、コピーさせてください」ときたもんだ♪
なかなかやるな。オレも(笑)

そして私の家に帰り「オレ流リハビリ」
調子良かった・・昨日は
Kから見えるリビングのモノの名前を私が指差しして言ってもらったら
「テレビ」「パソコン」「エアコン」「時計」「メガネ」「携帯」「バッグ」「イス」「ハサミ」・・

連続10回、モノの名前が言えた!!
記録です
昨日は好調の波の日だった
話しても色んなことをよく覚えてた
Kと2週間ぶりに会った私の嫁さんも驚くばかりの復活ぶりだった

「仕事に戻る日も近いね、この様子じゃ?」と言ったらKが
「その前にオレ自身が完全復活せないかんね」と言ったもんだ
もっと色んなことがあったのだが・・・さすがに長くなったのでこのへんで
充実した1日だった
今日のKの復活度は今までで最高だった


2003年10月25日(土) 千里の道も記憶から

昨日の電話リハビリ
※時間=「ところで今何時?」=1回目不正解、2回目で正解
※日付=「あれ?今日は何月何日?」~上記に同じく
※Kのキーワードを言わせること=ヒントを教えて正解
キーワードってのはこれはKにとって大事な事だから覚えとくようにと言ってる単語

「記憶」という言葉だ
ホワイトボードに大きく『記憶』という文字をKの嫁さんに書いてTVの横に置いてもらっってる
普段から目に付く場所に置いてもらってる
「記憶」という言葉の次は「リハビリ」という言葉の予定だ

この3つを電話しながら何気に聞いてリハビリをしている
他の会話はだいたい昔の話とかこの頃の話を思い出しながら話してる
時間の感覚や日付の感覚はだいぶ戻ってきたように思う
たまに夜なのに「今3時半」とか言う事はある
しかし、最初の頃に比べると間違いのパターンもわかってきた
一番多いパターンは逆の時間を言う事が多い

鏡で時計を見たような・・
例えば40分なら20分というように
これも脳の配線というか失われた脳の一部の影響なのだろう
昨日は病院が終わった後、昔の上司と食事に行ったようだ

「どこ行った?」
「ん・・寿司喰いに行った」
「回る寿司?それとも回らない方?」
「そりゃぁ、回らん方よ~」と言ってた
「今度はぶいっちゃんにもご馳走するって話はしといたから♪」とK
後でKの嫁さんに聞くと確かに今度は私も一緒にと言ってくれてたらしい

病院では記憶力の小テストもあったらしい
30点満点中10点だったらしいが、ちょっと前のことを思えば素晴らしい点数だ
Kの嫁さんと私は、今までのリハビリの効果だと大喜びの結果だった

Kは先生に「回復までの期間はどれくらいかかるか?」との質問も自分でしたらしい
先生から少なくとも1~2年はかかると言われてガックリしてた(笑)
自分ではもう少し早く治ると思ってたのだろう
「まっ、病院側は少し大目に言うから気にせんでいいよ」と慰めてやったが・・

こうやって書くとだいぶ良くなってるような気もする
確かによくなってる

読む=漢字はたまに間違うが、以前よりも早いスピードで読む
書く=ひらがな、カタカナはだいたいOK、漢字が難しいようだ
聞く=日常の簡単な会話ならだいぶ理解しているようだ
話す=モノの名前が出てこないので苦労してるようだが昔のように話せる
計算=一桁の計算なら出来るがそれ以上は難しいようだ
記憶=昨日の事など、こちらが言えば思い出すが自分からは言えない
病気の自覚=自分に後遺症がある事を少しずつ理解してきているようだ

よくはなってるが、まだまだ社会復帰というとまだ道は遠い
一人ではまだどこへもいけないし、何も出来ないといっても過言ではないレベルだ

しかし、最初の頃を思うとよくぞここまで回復したとも思う
もう少し自分で色々と自覚できるようになれば回復も早くなるだろう
この間、昼ご飯一緒に食べた時にKの嫁さんから言われてたのを覚えてたようで
「今日はオレがおごるよ」と私に言ってくれた

しかし私は言ってやった
「まだいいよ、おごってもらわんで♪ 
お前の病気が治った時にこれでもかというくらいガッポリご馳走してもらうけん」
返ってきた返事は 「マジ?」だった(笑)



2003年11月07日(金) 自覚

久々に・・・書いてます 約2週間ぶり
この間、毎日夜7時半から30~40分ほどのリハビリ電話は続けてる
この頃は前回に書いた方法の他にまた新しい電話リハビリ方法を考えついた
それは前もって親友Kの嫁さんに頼んでおいて、リビングのテーブルの上に
モノをいくつか置いてもらい、その名前をKに言い当ててもらうというものだ
「メガネ」「爪切り」「みかん」「携帯」「時計」って感じで
これが・・意外に・・い・け・る♪

単語カードではあまり、芳しくないのだが・・これだと言えたりする
もう4日くらい、モノを変えてやってるけど正解率はなかなかいい
ここまで書くと、そんな事くらい普段、家族相手に出来るやろ?と思われるだろうが
そうはイカのキン○マで、家族相手だとKはあまり、やらないそうだ
どうしてって・・?  本人に病気の自覚が少ないからだ

そしてプライドや家長としての威厳みたいなのはちゃんとあるから余計難しい
そういった意味で私はKに「電話リハビリの時間ばーい」と言って電話してるから
本人も病院で療法士相手にリハビリしてるような気で相手してくれてるのだと思う
それくらい「高次脳機能障害」ってのは厄介な病気なのだ
本人が自分の状態を自覚できないから(瞬間的には出来るのだが・・・)
リハビリを自発的にしようとはなかなかいかない
ここが一番の問題なんだなぁ

あるいは、今現在K自身が仕事に行ってない事に対してもそんなに違和感がないのだ
自分が毎日家にいる事すらおかしいとはそんなに思ってないというのもある
瞬間的には気付くのだ・・・・こりゃおかしい状態だと・・・
そしてその気持ちをノートに書いたりもするのだ(書かせるのだが・・)
それすらどこに書いたのか忘れるし、またそれを後で読んでも
一体、誰の事でどんな意味で書いたのかすらわからないという状態だから

波はある(いい時、悪い時の差は大きい)が、以前に比べるとなんとなくだが自分の状態に気付いてる時間が増えたようにも思う
記憶というのは膨大な経験や知識の積み重ねが複雑に絡み合ってるものだ
そう思うとKの復活も少しずつなのはやむをえない
「時計」という名前を言える事だけが記憶ではないという事だ・・・・

それはどういう使い方をして、今までそれによってどんな経験があって
種類も腕時計、目覚し時計、置時計・・・その他すべても時計であり
それを使う事によってどんな利点があるか、あるいは金額は・・・・・・・
そういったすべてが一つにまとまって「時計」という名を、記憶を
本当の意味で思い出していくのだと思う

人間の頭(脳)ってすごい  改めてそう思う
健常者は私も含めて一瞬のうちに苦労なく様々な生活ができるんだもんなぁ
無意識の内に色んな事を一瞬で判断してるんだよね、私らは
そのすごい脳に期待を込めて、Kの回復を応援していこう
その手助けはまだまだ続く


2003年11月08日(土) ターニングポイントかも?

一昨日の木曜日のリハビリ電話は1分だった
というのも歯が痛いらしく横になってたからあまり喋れなく、きついとの事だった
Kの嫁さんに聞くと、一日中、横になってたりして寝てたそうだ
前日の水曜日の病院でのリハビリが絶好調だっただけに・・・ちょっとガッカリだった

どういう風に絶好調だったかというと・・・・
言語療法士さんとのリハビリにて、質問が20問程度あったのだが、その内容は
「洋服を洗濯するのはどうしてですか?」
「友人からお金を借りるよりも銀行から借りた方がいいのはどうしてですか?」
「税金は何故納めなくちゃいけないんんですか?」
といった感じの問題で結構、私でもちょっと詰まりそうな問題もあった

そこで、1問目のKの「洋服を洗濯するのはどうしてですか?」の答えは
「臭いから」だった(笑)(笑) 私も言語療法の先生も受けてしまった
「他にはないですか?」と聞かれ
「匂いがついたり、汚れたりするから」と答えてた
次の「友人からお金を借りるよりも銀行から借りた方がいいのはどうしてですか?」のKの答えは
「返さなくてもいいから」だった(笑)(笑)  私だけ受けてた

確かによく、友人同士で飲んでる時はそんな話は皆でしてたことはある(笑)
「他には?」と聞かれ「借りやすいから」と答えてたが・・・

そんな感じで全ての問題を間違う事無くすべてよどみなく答えてたのだ!!
言語療法士さんも「今日は調子いいですね、今までで最高ですね」と言ってくれてた
他の違う課題も間違う事無くすべて答えてた
Kのリハビリ史上最高の出来だったのだ

しかしその日の夕方にはそんな事があったのは忘れてたんだけどね(笑)
「勿体無い!!せっかくスゴイ絶好調だったんだからそんな時こそ覚えとかにゃ」
「そうやねぇ・・聞けば聞くほど勿体無い話やねぇ」
「そうよ!覚えておけば自分で自慢話が出来るやん!」

そしてその日はカセットテープに私とKのリハビリ中の会話を録音したりする
リハビリ法もやってみた
自分で聞いて再確認するというやり方だ  意外にいい感触だった
自分の状態が認識できるのではないかとも思う
そんな絶好調のあくる日だったのでちょっと期待してただけに・・ガッカリしてた木曜日

・・・・・・・・・・・・・・・・しかし!!!!!

昨日の金曜日のリハビリ電話で吉兆の兆しが遂にあった
K本人の方から色々と自分の記憶の状態の事を話すではないか
「昨日か一昨日くらいからね、なんか繋がったというかわかるような気がするよ」
「ぶいっちゃんがいつも言ってる記憶とリハビリが大事という事がよくわかる」
「キーワードがすぅっと頭に入って留まるような感じがするよ」
「頭の中が整理されてるような感じがするよ」・・・

キーワードってのは今は「記憶とリハビリ」という二つの単語の事だ
こんなことは初めてだった
自分から記憶の大事さの話をわかりやすく話すのは!!
感動した

Kの嫁さんに電話を代わってもらって喜び合った
聞くと、今日は初めて単語カードも全部やったらしい(100枚以上ある)
「今日はKのターニングポイントの日かもね♪」
「きっと今日を境にまたひとつ上のステップに行くのは間違いないよ」
ちょっと興奮して喋りあった

何かで読んだのだが、人間の脳は寝てる間に整理したり再構築したりするらしい
水曜日に疲れた分、翌日よく寝てそれが好結果に繋がったのかもしれない
まだまだ安心は出来ないレベルだがようやく
リハビリの「はじめの一歩」が踏み出せたような気がした
う~ん・・・。
また次会う時は、翌日疲れるくらいガンガン鍛えてやるかな♪



2003年11月10日(月) 友人療法士

昨日の電話リハビリの感触もなかなかよかった
固有名詞が出ない時もまだまだ多いが、話のおおまかな流れはほとんど合ってる
昨日の話題、今日の話題も、こちらがヒントを言うとだいたい覚えてて話が出来る
以前と違い、言いよどむ事も大分少なくなってきた

時折、
「ちょっと待って・・何かぶいっちゃんに言いたい事があったんだけど・・・」と
考え込む事もあり、なかなか思い出せない事もあるが、それもいい傾向だと思う
思い出そうとする姿勢は脳神経を刺激してることだろう

昨日は友人と日帰り温泉に行ったとか食事を奢ってもらったとか言ってた
その友人Uは私とも共通の友人で時折Kに会いに行ってる
私と一緒にKが倒れた時広島までお見舞いに行った友人だ
福岡の病院に転院してしばらくは毎日仕事帰りにお見舞いに行ってくれていた

その頃はまだまだKもひどい状態だったので会話もほとんどまともに出来ない時だ
毎日のように見舞いに来てくれるUが見舞いから帰る時
車椅子で動けるようになったKがエレベーターまで看護婦さんと見送りに行った時
Uが「じゃぁね、また来るばい」と言って
エレベーターに乗り込んだ時、看護婦さんの声が聞こえたそうだ

「毎日来てくれてるね、あのお友達の名前は?」と・・・
「あぁ・・あいつはね、・・M」と言ってたのを
静かに閉まりゆくエレベータ内でUは聞いたらしい
「あん時はガックリきたばい」と当時Uが言ってたなぁ(笑)
Mというのは東京にいる友人の事だった
それを思うと今はそんな事もだいぶ少なくなった

しかし昨日の電話ではまたまたその友人Uの名前はすぐには出なかったが(笑)
「えーっね。ぶいっちゃんは第1グループなんやけど・・今日温泉に行ったのはねぇ・・・第2グループの奴なんよねぇ・・」とか言ってた(笑)
しかし、私はUから電話で温泉行きの件を聞いてたのでヒントを言うとなんとか言えたけどね
Uも私が電話リハビリを毎日やってる事を知ってるから前もって教えてくれてたのだ
でもまた落ち込むからUには黙っておいてやろう(笑)

Kには友人も知人も多い
時折、食事に誘ってもらったりと色々してもらってるようだ
一昨日の両親との食事会や昨日の温泉も嬉しかったようだ
人と会う事も非常にいいリハビリだ
家族や私だけではなく色んな人との会話の中で蘇ってくる記憶の種類も違うようだ

私はKとは水曜日の私の休みの時中心に会ってるのだが、メインは病院に連れて行く事だ
その間、Kの嫁さんには自宅でゆっくり休憩時間でも取って欲しいと思ってもいる
24時間、大きな子供のお守をしてるようなもんだから疲れも相当あるだろう

だから私はKと会う時は友人同士の会話ももちろんするが
会ってる間はほとんどなんらかのリハビリをしている
どっかに連れて行ったり、食事したりだのの、おいしい所は他の人に譲ってやろう
私は縁の下の力持ち的に友人療法士としてリハビリ中心に接していこう
というとなんだか、カッコイイと思う今日この頃であった(笑)

2003年11月13日(木) 報われる日まで

昨日はKとリハビリ病院に行ってきた
昨日書いた友人のUも水曜日に休みを取ったらしく一緒に行く事になった
Uが来る前にKに「Uもいい奴やねぇ、これをきっかけに第1グループに昇格させたら?」と笑って言うと
「そうやね、Uは第1グループにしようかね♪そしたらNを第2グループに落とさないかんね」
「Nを?・・Nを落としたら何かとうるさいちゃない?(笑)」と私
「いいいよ、いいよ」とK
Nは体重100キロを越える巨漢で体も大きいが言う事も大きい友人だ(笑)
Kの中で友人、知人をグループ分け?というかそんな風に分類してるってのを
しれたのも面白おかしい事だ
悪気があるのではなく、「人」が好きなKの心の根本的な部分なのだろう
多分、今は病気後のぼんやりと記憶にある人間関係を基準に言ってるのかな?

結局昨日は男3人で病院に行き、私とUは2人でリハビリ中、見守ってた
Uも私とKのことを色々話してるうちになんだか燃えてきたようで
「ぶいっちゃんが水曜担当ならオレは金曜担当になろう」とまで言ってた
毎週、水曜は私、そして金曜日の病院の日をUが行くようになれば
Kの嫁さんの負担もまたちょっと軽くなるかな?

リハビリ後私の家に行き、晩ご飯は私の嫁さんも含めてすき焼きを食べた
私の家ではUが一生懸命,携帯のメールの使い方をKに教えていた
第1グループ昇格の話をUにも伝えたからよけいに燃えているようだ(笑)
今日からは携帯メールを私も送って「携帯リハビリ」もスタートだな
昨日、私の家でやった単語カードは半分くらいは言えていた
ヒントを出せばもっと答えられるようにまでなっていた  すごい回復だ
1~2ヶ月前はほとんど言えなかったんだから・・

それから、食後にKには内緒でカセットに録音しながら自分史のリハビリをした
家族の事や友人のことを話してもらったが、ほとんど正しい記憶だった
Kの嫁さんの話題では、普段言わないような事まで言って誉めていた
今日あたりそのテープを聞いてKの嫁さんも感動して泣くかもしれない(笑)
夜、Kを家まで送った

Kの嫁さんはちょっと疲れてたようだ
普段から気を張り詰めてる分、昨日の様に気を抜ける日があると逆に疲れがどっと出るのかも知れない
Kの嫁さんの方が体力的に参ってるようだ  
元々Kが倒れる前から、嫁さんの方が入院してたわけだし
出口が見えそうだけど、まだまだ見えないというか先行き不安な気持ちは一杯あるだろう
いつの日か報われる日がくるのを信じて頑張ってもらうしかない
必ず報わせてあげよう


2003年11月15日(土) 必然

親友というキーワードで検索されて来る方が日に1人くらいいらしゃる
親友についていろいろ考えたりしてるんでしょうね
私も普段は「親友」という言葉は使わないし。照れくさいと言うのもあり宣言したりはしない(笑)
私は偉そうだが親友とは無償の行為ができる友人関係の事ではないかと思う
今、復活に向けて頑張ってるKはガキの頃からの付き合いだからもう30年来の友人だ

そして今回の病気の事でこんなに応援できるのもひとつは
私がKの家族の事をよく知ってたからだと思う
Kの両親、兄弟、嫁さんや子供、知人関係も多分私が友人の中で一番詳しく親しいだろう
今でもKの母親や妹さんには「ぶいっちゃんマン」とガキの頃のあだ名で呼ばれるし
親しみやすい仲の良いKの家族だからこそ、私がずけずけと入っていけるのだと思う
そういった意味でKにとっても、私は必然的な友人だったのかもしれない
その妹さんは今、大阪にいるのだが今回の事でメールのやり取り等してるし、
この日記の事も恥ずかしながら教えたもんだから、ちょくちょく見に来てくれてるようだ
妹さんからも感謝されたりするとその分まで益々Kを応援しなくてはいかんと思う

復活したらこの日記を見やすくコピーにでもしてKに渡すつもりだ
Kには復活の記録の本にでもして、Kと折半で儲けろうかとか冗談を言ってる
わかっているのかどうなのか(笑)Kはそりゃぁいいねぇと言ってくれている
どちらにしても現在は傷病手当を貰っている状態だから家計も大変だと思う
傷病手当は、だいたい以前の月収の6割だから生活するには足りないだろうし
それも倒れてから1年半しか支給されないらしいから以降は収入が全く無いわけで・・・
障害者年金にしてもKのようなケースの場合は障害等級も低く支給も少ないらしい
詳しい事はよくわからないが、暗く考えると心配の種は尽きない

結局はなんとかKに頑張ってもらって社会復帰してもらうことが一番だ
期限は1年半
それまでになんとか元のようにとまでは贅沢はいわないから
社会復帰できる程度に回復して欲しいと切に願うばかりだ
幸い元いた会社も3年間はKの復帰を待ってるとの事だったので希望はある
新しい事を覚える事が難しいようなのでやはり長年努めていた会社の方がいいだろう
いずれにしてもまだまだKの復活に向けての応援リハビリは続く


2003年11月17日(月) 記憶の線

電話で会話するその時その時の会話はほとんどかみ合うような感じだ
一瞬の会話だけならなんの支障も無いような気もするくらいのな感じだ
ところが一ヶ月くらい前から言ってるキーワードの言葉
「記憶」と「リハビリ」は質問してもなかなか思い出せないとか
カレンダーはまだうまく読めないとかの記憶の部分がまだまだ不確かだ
あるいは自分の病気と後遺症に対してどう取り組んだらいいのかとか
今、自分は何をどうしたらいいのかってのが、まだ漠然としている
本人の自覚症状がまだまだ不十分なのだろう

私が「だいぶよくなったね、会話もよく合うし記憶力もだいぶ付いてきたみたいで」と言うと
「そんな事ないよ、前からこんなもんよ」という答えが返って来ることが多い
本人の状態を本人が一番わからないって事だ
特別どこが痛いとかの病原が目に見える部分で無いからというのもある
昨日の記憶力より今日の方があると、私ら傍目からは見えても
本人にとっては、別に昨日とさほど変わらないって感じなんだろう
昨日の自分の状態が自分でうまく記憶できないので把握できていないと言う事か
しかし自分から聞いてくる事、質問してくる事は確実に増えてきている
少しずつは確実に『記憶の線』が紡ぎあってきてるのは間違いない

人生で一度記憶したものの一部が機能しなくなった事で起こる後遺症
高次脳機能障害
一度失われた脳細胞は元には戻らない
外見では全くわからないだけに大変な後遺症だ
自分の人生で年齢に応じて体験、経験してきた記憶を
リハビリや日常生活によってランダムに繋ぎ合わせ再生するようなものだ
体で覚えている記憶は比較的早い段階で思い出してきたようだ
歯磨きや洗顔、他日常の色んな動作などでは支障は少ない

ひとつの事柄の記憶がひとつの配線でいいのなら記憶する事も簡単なんだろうが
人間の脳ってのは複雑にまた緻密によく出来てる
すべてが繋ぎあわないと正しい行動、言動が出来ないように出来てるようだ
毎日1本ずつでもいいから本人のリハビリと周囲の応援で繋いでいくしかない
そうやって失われた脳細胞の部分を補い、新しい『記憶の線』で繋いで再生していくのだ
記憶の線と線が今は一生懸命くっつこうとしているのだろう
いい刺激をたくさんあげて、線と線が限りなく繋ぎ合わさっていくように応援していこう


2003年11月19日(水) 復活への階段

今日は水曜日
普段ならKと一緒に病院に行く日だが、今日は休みにして温泉に行ってきた
Kの嫁さんは自宅休養日という事で私ら夫婦とKの3人で行った
原鶴温泉の中の旅館温泉だったから、期待はしてなかったが
案の定、Kと二人でたいした事ないねと言いながら軽く温泉に浸かった
温泉に浸かった後には秋月を散策し、Kが一番元気に歩いてた
城跡の昇りたくないような急な長い階段もKはスイスイ歩いていた
私ら夫婦の方が体力ナシ(笑)私らは休憩しながら昇ったがKはノンストップ
体はもうほぼ心配はないな

そして帰りの車の中で私がKに脳出血前後の話しながら帰っていた時のこと
遂にKが脳出血で倒れた前の日の事を思い出した
広島で倒れる前日は四国の高松で讃岐うどんを食べてたってのを
「そうかぁ。。あの次の日に広島で・・」と確かめるように言っていた
何十回目だっただろう・・・Kが脳出血で倒れる前後の話をしたのも・・
Kが倒れる前はKの嫁さんが1ヶ月近く入院してて家にいなくて
Kが嫁さんの代わりに家事や子供の弁当のしたくなどしてて疲れてて
そんな中で出張で高松・広島と行って倒れた・・・・・・というくだりの話

やっと話が噛み合った!
やっと思い出してくれた!
たいした温泉ではなかったけれど・・・温まった効果はあったのか?(笑)
もちろんすべてを思い出した訳ではなく、
前日に一緒にうどんを食べた人数とかをボヤ~っと思い出した程度の事だ
しかし倒れる以前で今年の話題はほとんどKから出た事はなかったので
家に送ってKの嫁さんにも報告したら、驚き、そして喜んでくれてた
何回も諦めずに、そして飽きずに同じ事を語りかける事も大事な事だと
今回改めて感じました

子育てにしても何にしても「いい繰り返し」は続ける事が大事なのだろう
しかし、Kの家に帰って「今日の事をもういちど話してみて」と言ってみると
微妙~に覚えてたり覚えてなかったりだった・・・・ガックリ
でも倒れる前日の日の事を思い出したことは、しっかりと覚えていた
思い出す順番はバラバラだけど、記憶力もまだまだだけど、
今日Kが休まずに昇ってた階段のように、
一歩ずつ復活への階段を昇っているのは間違いない


2003年11月23日(日) 応援

木、金、土と電話リハビリは順調に進んでます。
簡単なメールを送ったりするメールリハビリもボチボチやってる。
昨日の電話ではつい、私が熱心にリハビリの重要さを言い過ぎたりして
ちょっとよくなかったなぁと反省したりもした。 焦ってはダメだ。
毎日、無駄なくリハビリをやった方がいいと私らはわかってても
Kにはまだまだリハビリの重要さと継続の大切さが深くは理解できていない。

手や足という体の後遺症がある脳出血の場合は、
頭がはっきりしてる分、苦しいながらも自分でリハビリの計画も
ある程度は立てられるし、自分で回復の度合いもわかる。
Kの場合は計画も立てることは難しいし、自分の回復具合も自分では
なかなかわからないというのが現状だ
もちろん体の後遺症が残った方がよかったという事ではない。
それはそれで大変な事だし、苦労もまた多いだろう。

ましてもっとひどい状況だって考えられるので、簡単にはどれ程の
後遺症だったからよかったとは比較は出来ない。
脳出血後に意識が戻った時に、手足が不自由という後遺症が残る事を苦に
これからの人生を悲観して自殺する人もいるという話を聞くと
やはり体の後遺症は少ない方がいいに決まっている
幸いKには最初医者に言われてたような右半身側には後遺症はほとんど見られない
その代わりリハビリの計画性や継続性や
そもそも何故リハビリが重要なのか、その意味などがなかなかわからないのだ。

そんな中、Kの嫁さんの毎日の苦労が実り少しずつリハビリの時間も増えてきてるようだ。
週に2回の通院でそれも行く度に1~2時間のリハビリ時間も大事だが
もっと大事なのは普段の家庭での過ごし方(リハビリをどれだけやるか)だ。
ただKの疑問はこれだ。
「オレの方が嫁さんより上なんだけどなぁ・・・」
これはこの頃よく聞く。
私と違い(笑)亭主関白のKにとっては
嫁さんに教わる、指示されるのがどうも腑に落ちないらしい(笑)

昨日はっきり言ってやった。
「病気になる前のお前は人間的にオレよりもレベルが上やったよ」
「そんなことないよ~」と謙遜してくれるK
最初に持ち上げておいてから(笑)
「でも今のKならオレの方が上かな?・・キツイ言い方かも知れんけど
はっきり言って今のレベルではお前より嫁さんの方がすべて上だよ。
お前を助けてくれるのは嫁さんと家族だけなんやけん、言う事聞かにゃ」
「・・・そうみたいやね」と納得してくれたようだった。

Kの嫁さんが家庭でリハビリしやすいようにしていく事は
これからの私の応援の大事な役割だと実感した。
Kの嫁さんは自分もKが倒れるのとほぼ同時期に一ヶ月くらい入院してたのによく頑張ってる。
気が張ってる分、自分の体はなんとか二の次なんだろう。
しかしたまに睡眠薬とか飲む事もあるらしいから・・綱渡りな健康状態だ。
そのKの嫁さんの苦労をKが考えられるようになった時、Kの回復も早まるだろう。
Kだけでなく、K夫婦を応援していく事。これが大事だな。


2003年11月25日(火) ホットライン

昨日の朝、Kの嫁さんの携帯から私の携帯に電話がかかった
ぶいっちゃんホットラインだ!!>緊急か??
KがKの親父さん所有の土地を見に行こうと言って聞かないと言う事らしい
かなり怒っているらしい
たまたまこの前の水曜日にその土地の前を偶然私と通り、思い出してたのだ
「この右側に親父が土地持ってるんよー」とか言ってた
どうしても今行きたいと言ってきかないらしい
お前が運転しないのなら誰か呼んででも行くといってるらしい
こういう事が今までも度々あった

突然何かを思い出して衝動的に行動しだすのだ
これも高次脳機能障害なのだろう
嫁さんは典型的なペーパードライバーで地図もわからないし
そのうえ体調も自信がないから見知らぬ場所にKと行くのは不安のようだ
Kがちゃんとその場所を覚えているかどうかという保証もない
Kは高次脳機能障害の中の記憶障害がまだまだの状態だ
嫁さんにしてみれば途中まで行ってまた怒られるのも・・・・いうことだ
普段は高2の長男がなだめるとなんとか納まることもあるらしいが今回は駄目だったらしい

電話をKに代わってもらった
なんと言ったのか・・・夢中で忘れたが説得した
記憶がしっかり戻ってないから行けない  とか
Kの嫁さんの体調もよくないやろう  とか
誰かを呼ぶと言っても会社の人間は呼べない  とか
今度の水曜日にオレがつれて行く  とか
Kは怒っていた
私もキツイ口調で断定的に言った
口ゲンカのような状態にもなった
「悪いけどもう電話切るよ」 と言われた

「こういう話をぶいっちゃんに電話するってのも頭に来る」と言ってる
そこをなんとかぶいっちゃんスペシャルトークで話し続けた
ちょっとオーバーな表現もした
「病院の先生から勝手な外出は禁じられている」
「現在社会的に責任を負えないKが勝手な行動をして
もし何かあったら罰せられるのは嫁さんだ」  ・・・・等など
もし頭にくるなら病気が治ったらオレを殴っていいけん とまで言った
正直言ってオレの頬は高いんよ・・・と冗談を言うと少しずつだがほぐれだしてきた

「わかった。今回はやめとくよ」
「でもこの頭に来た気持ちはわかるやろ?」とK
「うん。よ~くわかる。逆の立場やったらオレも怒ってると思う」
なんとかおさまってよかった
結局それからしばらくして、近くの公園を夫婦で散歩してその日は事なきを得た
しかし夜のリハビリ電話の時もまだ少し怒ってたが・・・(笑)
それを覚えているだけでも「よし」とするか
Kの嫁さんが「あれからぶいっちゃんに謝らないかんって言ってたのよ」と言ってた
そういう優しさもある男でもあるのだ

元々行動力のある男だったからこういう事も予測してはいた
もし何かあって、手に負えない時はいつでも電話して!と言ってたのでよかった
このホットラインは今までに数回活躍した(笑)
Kにしてみれば
何故外出してはいけないのか?
何故オレはこんな状態なのか?
何故したいことが出来ないのか?
わからない事だらけだと思う
自分でキチンと自分の置かれている状態が整理できてないからだろうが・・・

バラバラに記憶が繋がっていく事の難しさ
自分から社会復帰に向けてのリハビリ計画を立てられるようになるまでの道のりの遠さ・・
夜の電話でKに言った
「今度一緒に病院に行った時に先生に聞こう」
「今現在Kがやっていい事と、やってはいけない事を」
「そしたらKも納得してくれるやろう・・」
「先生達はおまえのような患者さんをたくさん見て色々知ってるだろうから」と
病気を自覚する事がこんなに難しい病気があるなんてホント知らなかった

100%でなくてもいいからKに病気を治すという強い自覚が芽生える事を祈ろう
これからもこんな事はあるだろうなぁ・・・
病気が良くなる為のステップなのかもしれない
自分が出来ない事柄にぶつかっていく度に、
自分の病気の重さを自覚していってくれたらいいのだが・・・
しかし、ガキの頃以来の口ゲンカっぽい会話が出来たなぁ・・・今回Kとは(笑)
明日は病院帰りにその大宰府にある親父さんの土地に連れて行ってやろう


2003年11月27日(木) ぶいっちゃんの名にかけて・・

昨日の水曜日、病院に行く為にKの家に迎えに行くと友人Sがいた
電話でKの様子がいいから、たまには寄ってやってと言っておいたら早速
仕事の途中にケンタッキーを持ってきてくれていた・・・私の分もあった(笑)
病院のリハビリは作業療法と言語療法

作業療法をしてるあいだに言語療法士の先生をつかまえて昨日の件をちょっと話をし頼んだ
「それで、今日私が先生にKはもう一人で自分が思うよう勝手に行動してもいいくらいになってますか?と聞きますから『まだまだ奥さんの指示が必要ですね』と言ってくれませんか?先生からの言葉の方が重みがあって言う事聞くでしょうから」
言語療法士の先生は快く引き受けてくれた
そして言語療法の時間に私がしらじらしく聞いてみた
言語療法士の若い女先生も上手にKに「今はまだまだ」と言う内容の話をした
Kの反応は・・・「寂しいねぇ・・・」だった(笑)

それから言語のリハビリをしたがモノの名前はだいぶ言えるようになってた
ただ、普段使わないモノ(例えば門松とか太鼓とか)の名前とかは比較的でないようだった
作業のリハビリでは今日は計画して行動する記憶の検査をやったという事だった
まだまだひとつふたつの指示は理解できるが3つ以上になると混乱があるらしい
要するに「今着てる服をあちらで脱いで、そこの棚に置いてください」はできる
しかしそれにプラスして「そして棚の上にある時計を持って帰ってください」が間違うと言う事だ
しかし、以前に比べると考えて行動しようという態度が増えてきたので徐々には
よくなっていくのだと思う

そして病院を出て「さぁ、どうする?」と聞いてみた
「決まってますよ~、例の場所に行きますよ~」とご機嫌だ ちゃんと覚えてた
「もしかして大宰府?オヤジさんの土地?」と言うと
「そうそう、大宰府だけどオヤジの土地ではないよ」とK
「あ・・そうなの」と私
それから大宰府に行き、Kの指示どおり駐車場に車を止めて大宰府天満宮に入る
Kが昔社長と共に年に一度この時期に必ず来てたらしい

色々、当時の事を話してた
参拝した後に「でこれからどうすると?」と聞くと
「これからいい場所があるんですよ~」と上機嫌だ
大宰府名物の梅ケ枝餅を一個ずつ食べながら天満宮を出て細い道をちょっと歩いていくK
「ここ♪ここ♪ここに来たかったんですよー」とゴソゴソと200円を用意してるK
そこは 光明禅寺 だった

私は大宰府にこんな所があるって恥ずかしながら知らなかったよ
しかし私らが着いたその時間に丁度、門が閉まったような音がした
道行く人が「今日はもう終わりなんだねー」と言ってた
Kが慌てて走って門のところまで行ったが確かに閉まっていてビクともしない
私が裏に回って聞くと今日は特別な法事があるとかで早めに閉めたらしい
Kはガックリきてた
「ここをぶいっちゃんにも見せたかったんだけどねぇ・・・」
「今の時期がギリギリいいんよねぇ」と
しきりにその場を立ち去ろうとしないで残念がるK
「今しかないんよね、紅葉のキレイな時期は」

気を取り直して車に戻り、どうする?と聞くと次のポイントがあるらしい
それからどうにかKの不確かな記憶を頼りに車を走らせた・・
なんとか行けた 竈門神社 (かまどじんじゃ)だった
ここも私は知らなかった・・・・福岡県人として恥ずかしいよ
「ここもポイントだったんだよね、今の時期は」とK
ここで私も気付いた
「もしかしたら、この間行きたいって嫁さんと言い合いになったのはここの事?」
「うん、そう。もちろんここだけじゃないけどここもメインのひとつやった」
そうだったのか・・・・ここを見せたかったのか

ぶいっちゃんの名にかけて謎はすべて解けた(笑)
「さっきの石庭のお寺やここに嫁さんと一緒に行きたかったわけやね」
「今の紅葉の時期が一番いいって事で」
「ま、そうやね♪」とK
結局モノの名前がうまく出てこないという障害や計画や記憶の障害が邪魔して
うまく伝える事が出来なかったんだろう
親父さんの土地はただ単にその近くにあるという事だったようだ
しかし、Kはとりあえずは私と行けた事で前日の不快さは解消したようだった

夜、Kを家まで送った際にKの嫁さんにもそのことを伝えた
Kはまるで勝ち誇ったような顔をしてたもんだった(笑)
しかしそれもKの嫁さんの体調が万全なら行けたってことなんだけどねぇ
勝ち誇るのはちょっと早いよK(笑)
その自分の嫁さんの体調の事もしっかりと記憶されてて
それを思いやるというやさしい記憶もしっかりとあったら問題ないんだけどね
しかし日に日に記憶の量は増えていってるのは間違いないね


2003年11月29日(土) 友人達

モノの名前がだいぶ出るようになってきた
とはいえ、水曜日に病院で言語療法やった時にこういう課題があった
今から1分で言えるだけの動物、生き物の名前を言ってください
「いぬ、ねこ、さる、・・・・・・・・・・たい、・・・・・・・・こい」
5つしか言えなかった。  これは悔しかったようだ
帰りの車の中でも話題を振ったらちゃんと覚えてた
「オレが作ったあの単語カードでも象やキリンやらたくさんあったのにね」
「1分と制限されるとやっぱ、焦る?」
「でも魚はオレよりも詳しいやろ?あれだけ釣りしよったっちゃけん」
「そうなんよねぇ・・・出て来んっちゃんねぇ・・」
あくる日もその悔しさを覚えてたらしく知り合いの釣り仲間に
魚の図鑑を貸してもらおうと電話してたらしい
これはいい傾向だ

今までは病院内でのリハビリは家に帰ると忘れている事が多かった
こうやって覚えていく事によって病院と家とのリハビリ関係がうまく機能しそうだ
昨日の金曜日は以前書いてた友人Uが休みを取ってKを病院に連れて行った
今週は2回Kの嫁さんは自宅休養が出来た
前の日に電話があって病院までの道とかの確認電話が私にあった
Uは燃えてるようだ(笑)
そのUの提案で来月中にはUと私とKでハウステンボスに泊りがけで行こうかって話もある
何でも知り合いのルートで安く泊まれるらしい

昨日の夕方、私の店にそのUとKが来た
病院帰りに寄ってくれたようだ ビックリした
「病院帰りやろ?遅かったね、どこか行ったと?」と聞くと
「大宰府に行ってこの間の例の寺を見て温泉に入ってきたよ♪」とK
「また行ったと?大宰府(笑)」
「うん。今日は入れたよ」
よっぽど残念だったんだろうね、この間閉まってて入れなかったのが(笑)
温泉は竈門神社のすぐ近くにある500円で入れるところに行ったということだった
それからKはUの家に寄って晩御飯をご馳走になるという事だった
今日は鍋にしたよとUが言ってた
この間UとKと私の家ですき焼きをしたので自分も!!と考えてたようだ
Uもいい奴だ

明日の日曜は水曜日にKの家に来てたSと他の友人3~4人で志賀島に行くようにになってるようだ
Sも燃え出したようだ(笑)
私に電話で「Uを追い越して第1グループにオレも入るよ」とか言ってた
今週はUやSをはじめKの飲み仲間の友人らとほとんど会うような雰囲気だ
私は仕事で行けないが友人がこうやって集まってくれるってのは話を聞くだけでも嬉しいもんだ
色んな刺激をまた違う友人達から浴びてまたレベルアップして欲しい

今週はKにとって「友人リハビリウィーク」になるようだ(笑)
結局、これはKの人徳でもある
昔から人を大事にするKだったからこうやって皆が集まってくれる
今の友人関係もほとんどがKを中心に繋がってた様なもんだし
これが倒れたのがKでなく私だったら・・・・・・と考えてみた

人徳・・・・・・・!!??
これは、はっきり言って私にはない!!断言できる(笑)
私の嫁さんしか側にいないという・・・寂しい状態になるなぁ・・・・
と簡単にそしてリアルに想像でき、ゾッとしました(笑)
あるいは嫁さんも側にはいないかも??(笑)(笑)
こりゃぁ、私は意地でもゼッタイに倒れるわけにはいかん! 
寂しすぎる!!
切な過ぎる!!
と改めて思う今日この頃だった(笑)


2003年12月01日(月) 気を使ったり使わなかったり

昨日の日曜は友人ら3人と志賀島方面にミニゴルフや食事に行ったとのこと
夜、電話で聞くと1日の出来事をかなり覚えてた
新しい道が出来て、そこを通った事や、ゴルフを時間が押して途中でやめた事・・
ちょっと前までは、その日の出来事も夜になるとほとんど忘れてた
こちらから話題をふるとボンヤリと覚えてる程度だったが
この頃は自分から出来事を話したり感想を言ったりするまでになった
この記憶力の回復が今日、昨日、一昨日・・・と強く繋がっていけば嬉しい

そして過去の記憶と明日以降の未来への計画や目標に結びつけば言う事ない
友人たちが車で迎えにくるまでの間、自宅で一生懸命、Kは道路地図の本を見てたそうだ
どの道を通っていくかとか色々頭に入れてたのだろう
昔から道には詳しくて、どの道が近道とか、犬のように詳しかったもんだ(笑)
当時は犬のようにマーキングでもしてるんじゃないか?とからかってたくらいよく知ってた
病気後、自分が道を間違ったり勘違いしてたりする事がちょくちょくあって
ここ1ヶ月は道路地図を眺めるのもKの日課のひとつになってるようだった
自分が得意な道がよくわからないというのがよほど悔しかったんだろう
私と一緒に車で移動する時もいつも道路地図の本は持ってるくらいだから
友人たちの車が来た時、Kは片手に地道路図を持って車に乗り込もうとしたらしい

「K、カーナビがあるから地図はいらんよ」と友人のAが言った
「あ、そう」とKはその地図をKの嫁さんに渡し車に乗り込んだらしい
という話をKの嫁さんから聞いた  
「あんなに楽しみに見てた地図なのにあっという間に無用にされちゃったよ(笑)」
「Aクンも悪気がなく言ってるんだからしょうがないけどなんだかKが可哀想に思えてね」
「私やぶいっちゃんみたいに病気の最初の頃からKを見てないからね、しょうがないね」
嫁さんの気持ちは私にもよくわかる
Kのリハビリを兼ねた地図本読みが終わったその瞬間の気持ちは私らしかわからない
しかし、Kはその事にあまり気にもとめてないってのが救いではある
Kにとってはリハビリしてるという気で読んでる訳ではないからね

Kのことを知る者だけが傍目で見てて思える気持ちだ
確かにカーナビという便利なものは役に立つが、そうじゃないんだよね
今日きた友人たちはKが倒れた頃に見舞いでKに会ったくらいで
それからの3ヶ月くらいの間のKのリハビリや現状や回復具合はあまりわからない
だいぶ、良くなったって情報くらいだからしょうがないわな
「でもそういった普通の会話がまたKを刺激するからいいんじゃない?」
「オレ達みたいにKの事がわかってる人よりも世の中には知らない人のほうが多いんだから」
「これからもこんな事はしょっちゅうあるだろうね」
「見た目はもう昔と変わらないから尚更だよね」

変に気を使われないってのも、またKには刺激があって効果的なリハビリだろう
気を使う事もKのためになるだろうし
逆に気を使わない事もまたKのためになっていく
その光景を見て胸がキュンとなるのはKの嫁さんと私を含めて数人か(笑)
今、Kから携帯に電話があった
昨日のお礼を電話するから友人らの携帯番号を教えてくれとの事だった
病前に使ってた携帯がないからわからなかったらしい
そうか・・・お礼の電話か・・偉いよなぁ・・K
・・・ってオレにはそんなの一度もした事ないやん(T_T)(笑)


2003年12月04日(木) 温泉

月曜、火曜と夜の電話リハビリの会話のレベルが非常にいい
病気前とほぼ変わらない口調にもなったし、自分から話す内容もしっかりしてきた
細かい記憶やモノの名前は相変わらず出てこない事もあるが合格点の会話レベルだ
昨日の水曜は私と一緒に病院へリハビリに行く日だ
思い出せば2ヶ月間毎週水曜日は一緒に病院に行ってる
2ヶ月前の様子を思い起こすとすごいスピードで回復に向かってる
あの頃はまだ、ボゥっとした雰囲気だったし、会話もちぐはぐで5分前の記憶もなかった
字も下手だったし、本を読むなんてまず無理の状態だった
それが今ではちょと前の日の事も覚えてるし、顔立ちもしっかりしてきたし字も読みやすい字になってきた

本も私の家に来た時に何冊か借りて帰って読むくらいよく読んでる
毎日つけている私が作った日記スケジュール帳もこの頃は充実してきてる
日記を書きやすくするために3行単位に変更してくれと頼んで来たのもKだった
Kは面白い文を書く
いずれ紹介するが、Kの嫁さん曰く「癒される~♪」って感じの文章もたまにある
今日の言語聴覚士さんとのリハビリでは4コマ漫画の組み合わせなどがあった
セリフのない4コマのマンガの順番を合わせて物語を語るというものだ
なんとか出来てたようだ

さて昨日はリハビリ後先週行った大宰府の光明禅寺に再び行った
前回は入れなかったのでリベンジだ  今回は入れた
紅葉のピークは終わってたがなかなかいい風情のある寺だった
それから竈門神社(かまどじんじゃ)の近くにある温泉に行った
ゆっくり1時間くらい入ってた いいお湯だった
温泉を出て脱衣場で帰り支度をしてる時、Kが人のタオルを持って帰ろうとしてた(笑)
側にいたオジさんに静かにやさしく注意されて(笑)私も気が付いた
自分のよりいいタオルを持って帰ろうとするあたり、なかなかやるなと思った

そして温泉を出て車に乗り、帰ろうとしたところでKがメガネを忘れたと気付いた
二人で急いでもう一度脱衣場まで戻り探したが・・・無かった
不覚!! これは私の不覚だった
一緒にいると昔とあまり変わらない雰囲気のKにすっかり油断してしまった
私自身がメガネをする習慣がないってのもあり全然気付かなかった
係りの人に頼んで帰ったが・・・誰かが盗ったのかなぁ・・盗ってもしょうがないだろうに
確か温泉に入るまではつけてたもんなぁ

まだまだ一緒にいる私がしっかりとしなくちゃいかんなぁ
元々、あんまりしっかりしてないもんだから(私がネ)
次回からは私も自分のリハビリという気持ちでいっしょに行動しよう


2003年12月09日(火) 行ったり来たり

リハビリ電話はまだ毎日やってる
何気ない普通の会話をしてる時はKも機嫌がよく私も楽しい会話になる
一昨日の電話の時にメモ帳の重要性をコンコンと説得してみた
「記憶の容量が後遺症で今は小さくなってるみたいだからその代用として
脳の代わりにメモ帳に記憶を記録しておくといいよ」
「何か大事な予定や約束事とかは必ずそれに記入して置けるし」
「ちょっとした外出時や散歩中、あるいはオレとの電話の時も手元に置いておくんよ」
「常に肌身離さずメモ帳を身につける習慣が大事らしいよ」 と
Kは「そうやねぇ。オレもそう思う」とその場はわかってくれる

電話を切った後でそのメモ帳の事でKは嫁さんとけんかになったらしい
来年の分を買わなくちゃいかんとか、嫁さんには意味がわからないことで怒ってたらしい
言いたい事がうまく出来ないから嫁さんとの会話の場合怒ってしまうようだ
Kの嫁さんが「ちょっとぶいっちゃんに聞いてみるよ」と言うと
「そんなこと聞かんでいい!!オレがバカみたいやないか」とK
それでKが2階に上がった隙にKの嫁さんから困った声で私に電話があった
Kの嫁さんに今日のリハビリ電話で話した内容や事情を話した
今日はKの嫁さんも疲れてるようだ

この頃訪れてくれる見舞いに来る会社の人達から皆、回復ぶりを褒められて
これなら会社復帰も近いですね~とか言われ
「うん。来年早々には戻るよ」とKは軽く答えてるらしい
確かに見た目は昔と全く変わらないし会話もその場限りでは違和感はない
しかし、ちょっと経つと色んな事を忘れる事の方がまだまだ多い状態だ
本人は自分の自分の症状をたいした状態ではないと思ってる時も多い
昨日の会話の中で決定的に気づいた
「先週の水曜日にあった出来事覚えてる?」
「そうね・・・水曜日・・・・・?ぶいっちゃんと一緒やった?」とK
それから先はほとんど覚えていなかった・・・というより言えなかった

「病院帰りに温泉に行ってメガネ無くした日だよ」と私が言うと
「あぁ・・・そうかぁ」とK  そして
「しかし、先週の水曜日の事やらみんな覚えてないやろ?普通?」とKが言った
どうやらKの思考回路の中では自分の今の状態が通常の人と比べて
どれくらいのレベルなのかがよくわかってないようだ
記憶が少なくても自分は普通とそんなに変わらないんじゃないか  と
リハビリが大事だから今頑張らねばと言う事がわかる自分と
そんなに大した事はないとから大丈夫と思ってる自分との間を行き来してるようだ

自分の今の病気の状態がいまいち理解できない
昔の自分の状態と今の自分の状態を比べる事もうまくできない
自分の今の状態がしっかりと認識できない事には本格的なリハビリは無理だろう
自覚できてれば自分から色々とリハビリを考えるようにもなるだろうし
真剣に、そして今よりももっとマジメにリハビリするだろう
そこまでの状態になんとか今年中に行って欲しいもんだ
明日の水曜日は私も気合を入れてKと共にに今後の展開を考えよう


2003年12月13日(土) 覚醒

ここ何日か、自分の病気に対しての自覚のレベルがぐんと高くなったような気がする
水曜日、病院に行く為にKを迎えに行った
時間があったからKに紙に書いて脳出血の話や高次納機能障害の話をわかりやすくした
理解度もかなりいいような気がする
それから一緒に病院に行く前に新しく注文してたメガネを受取りに行った
私は側で見てただけだが自分で店員さんにお金を渡したり、
メガネをかけてみて調整をさせたり。質問したりと、なんとか出来ていた
日常生活の部分ではあまり大きな心配は無いような感じになってきた

この頃は病院に着くとKを先に玄関でおろす
受付に行ってからの段取りを車の中で何回も話しておいて
「先にリハビリ室に行っておいて、オレも駐車場に車置いてからから行くから」
と言ってKだけ降ろす
最初は心配だったから急いで車を止めて走ってKの見えない場所から見てたもんだ
まるで「はじめてのおつかい」をさせてるような気分だ
4Fのリハビリ室を間違って3Fや5Fに行く事はあったが
この頃はどうにか一人で出来るようになった

思えば3ヶ月前では病院のトイレの場所さえ覚える事が出来なかったんだからなぁ
・・・・・・もう随分昔の事のような気がする
最初に作業療法のリハビリがあった
3つの物(マジックやエンピツなど)を広いリハビリ室内の色んな場所の棚に入れて
しばらく後でそれを探しに行くというリハビリだ
リハビリ室内の見取り図を持って歩くのだが・・・結構手間取ってるようだ
終わった後、次の言語療法まで20分くらい時間があったので色々話した

「早くあんな簡単なリハビリを卒業して次の段階にいけるように頑張ろう」
「その為には病院で週2回リハビリするだけじゃ駄目ぜ」
家であまり効率よくリハビリをしてないとKの嫁さんに聞いてたのもあり
「病院以外の時間をいかに家でちゃんとリハビリするかどうかが大事なんよ」等と
Kを励ましてる時にタイミングよく理学療法の先生が来てくれた
そしてもう理学療法はとりあえず先週で終了したと伝えてくれた
私は言った
「ね!頑張ればこうやってひとつずつ卒業できるんぜ」
「もうKの体の方は心配ないという事で理学は卒業したんぜ」
「早くこのリハビリ病院の残りのリハをすべて卒業しようや!!」

そしてリハビリが終わりその日も温泉に行った
温泉を出てそこでゆっくりと食事をした
そしてKが言った
「オレ、勘違いしてたよ」
「病院にはチェックしに行ってるだけかと思ってた・・血圧とかの・・」
「さーけん、リハビリが何で大事かよくわかってなかったみたい」
「ぶいっちゃんの話を聞いてよくわかった」
「明日からは気合いを入れて家でもリハするよ」
今回の決意は真剣でそして頭にしっかりと叩き込んで言っているのがよくわかる

それにしても高次脳機能障害という病気はなんと難しい病気だろうか!
本人に自覚をさせないという病気って・・・
しかし今回こそ、Kははっきりと自覚できたように思う
「で、リハビリは何をどうしたら一番効果があるか教えてくれん?」
「でも、ぶいっちゃん、もっと早く教えて欲しかったよ、こんな大事な事は」
「いやいや、K、もうこの話も何回もした事あったんよ(笑)」
「えっ?そうなん??」
「うん。でも今日みたいに、はっきり自覚してくれたのははじめてやけどね」
「それだけKの病気が治ってきて、自覚が出来るようになったという事なんやろうね」
「またひとつレベルがあがったね」と帰りの車では大いに二人盛り上がった

そして昨日今日とリハビリ電話をしてるがかなり感触がいい
自分で記憶が混乱してくると「ここんところが今の病気なんよね」とまで言う
話しながらメモをとる習慣も練習してるようだ
そして、ここ2~3日は意識して会話が出来るようになってきた
Kは覚醒してきたようだ
やっとゴールに向けてのスタートラインに立ったとでも言おうか
そしてスタートさえすれば案外、Kならばゴールは近いかもしれない


2003年12月16日(火) 明日は復活(仮)忘年会だ

自分の年令や日付、時間などがこの頃、だんだん合致してくるようになってきた
こういった障害を高次脳機能障害の中で見当識障害というそうだが、
簡単そうでこれはなかなか回復には時間がかかるそうだ
毎日リハビリ電話でこれらは確認しているがこの頃は間違う事は少ない
とはいっても日付はTVの横に置いてるホワイトボードに大きく書いている
これはKの嫁さんと相談して毎日の日付や大事な事柄を記入している
「今日の日付は?」と一ヶ月ほど前に電話で聞いてた時はまだまだそこに
日付を記入しているホワイトボードの存在すら忘れてたりして言えないことも多かった

だから「その部屋のどこかに日付が書いてあるよ」とヒントを言って教えたりしてしてた
しかし、この頃は日付=ホワイトボードを見ればいいという事をなんとか
覚えているので自分で「12月15日」と言えるようになった
たまたま昨日電話してた時、Kの母親が来てて電話で話をした
Kのお母さんから感謝の言葉を頂き、そして「どうですか?Kの具合は?」と聞かれ
すっかり主治医になったような気分で(笑)
「かなりよくなってきてると思いますよ」と言うと
「でも今、日付聞かれてた時、ホワイトボード見てたのよ」と言われるので
「いやいや、そこに日付が載ってるホワイトボードがあると言う事を
忘れないようになったのがここ半月ほどなんですよ」と言うと
「あぁ・・そうなの」と感心してた

少しずつ失われた脳の記憶の回復手段の代償方法を覚えてきてる時期なのだ
だから今からはメモ帳の有効活用が必須になってくると思う
予定や大事な用件などをこまめに書き留めていき
それを見る習慣を身につけること・・・・これが大事だ
今までは大事な事や日記を書いてても
いつ書いたのか?
どこに書いたのか?
どんな意味で書いたのか?
後でK自身で見つけ出す事がなかなか出来なかった
また自分で見つけようという気も書きとめようと言う気も少なかった
しかし先週の水曜くらいから少しずつ意識するようになってきたと思う

大事な事は書き留めようとしているようだ
その記憶の代償方法がうまく自分の生活習慣として身についた時
Kの生活はだいぶ楽になるのではなかろうか?
そして会社復帰の道も近づくのだと思う
明日は私とKを含めた中学高校時代からの飲み仲間の友人7~8人で
Kが倒れて以来約半年ぶりくらいの集まりがある

Kの復活祝(仮)忘年会だ  >まだ(仮)が付くのはしょうがない
人が好きで、人が集まって遊ぶのが好きなKの事だからいい刺激になるだろう
Kにはあまり飲ませないように注意しとかなくては・・・・
Kの嫁さんから怒られる(笑)
と言う事はオレも酒は飲めないな(笑)


2003年12月23日(火) 男に尽くした今年後半(笑)

復活(仮)祝い忘年会は無事に終わった
Kはビールをゆっくりと飲んでいた
都合3杯くらいか・・・自分の状態はわかっているようだ
焼酎を飲むとか言い出したらどうしようかと思ってたが言わなかった
病気前は早く酔えるからという事で焼酎のビール割をしてたからなぁ(笑)

煙草もこの頃は全く「ちょうだい♪」と言わなくなった
病院にいる頃は話の合間にしきりにポケットをまさぐったりバックの中を探してたりしてた
「何しよーと?」と言うと「ん?タバコがないっちゃんねぇ」と言ってた
その動作を卒業した頃には私や誰かが側にいると
「悪いけど1本ちょうだい♪」とよく言ってた
だからKと会う時はタバコは持っていかなかったもんだ
それがこの頃は全く言わなくなった
自分で酒は少しはいいけどタバコは駄目だという事を理解したようだ

昨日の電話でKに言われた
「来年からはもう一人で病院に行くけん、ぶいっちゃんはもういいよ」
「しかし、車はまだ運転できんやろ? 一人では無理ばい」と言うと
「あ・・そうか・・・・・じゃ、今のはナシってことで(笑)」
Kの嫁さんからぶいっちゃんは、毎週自分の休みの度に来てくれてるのよと言われ
ようやく悪いなとでも思ったのだろう(笑)
しかし、Kに来なくていいよと言われた時は妙に寂しかったもんだ(笑)
かれこれ7月17日に脳出血で倒れてから5ヶ月以上・・・
8月に入ってからはかかさず私の休みの水曜日にKに会ってる

今年の後半はKづくしだった
男にこれだけつくしたのは初めてだ(笑)
この間、Kと話してた時に
「お前は幸せもんよ、たくさんの人がお見舞いに来てくれて、応援してくれて」
「これが倒れたのがオレやったら誰も来んかったよ」と私が言うと
「いや、ぶいっちゃんが倒れててオレくらいの状態だったらオレが見舞ってやるよ」と言ってくれてた
オレくらいの状態っていうのをどれくらい理解してるかがポイントだが・・・

リモコンに向かって「もしもし」と言ってた頃
写真に向かって「おーい」と言ってた頃
自分の名前や家族の名前が書けなかった頃
友人の名前を間違って言ってた頃
5分前の事を全く覚えていなかった頃
病院の先生がKとKの嫁さんに病状を話してる時に
全然聞いてない顔で、ボーっとよそ向いて鼻をほじってた頃(笑)
すべて懐かしい風景になってきた

全てこの時のことはこの頃笑いながらKに話した
懐かしい風景になってきたという事はもう今はその情景はないという事だ
この約半年で日常生活はほとんど問題なく過ごせるようになってきた
後は会社復帰が最大の重要課題だ

昨日電話でKの嫁さんと話した
「倒れてしばらく意識不明だった頃を思えば、よくぞここまで回復したって感じやね」
「とりあえずは良しという事にせないかんね」と
来年はいよいよ会社復帰に向けての厳しい自分との闘いが始まるだろう
色々とその時その時で問題は起こるだろう
一気にすべてが良くなるという病気ではないだけにこれからも大変だろう
明日はKと今年最後の病院行きだ
病院リハビリ後は、また温泉にでも浸かって来年の展望でも話そうかな


2003年12月28日(日) 誰かの為に

今年のKへの応援リハビリはとりあえず終わった
水曜日、病院でのリハビリはかなりいい成果だった
まだまだ要領が悪かったり、時間がかかったり、
複雑になってくるとわからなかったりはあるが今年最高の出来だった
この頃は病院に行く意味もK本人がしっかり自覚しているので成果があるのだろう
病院後、温泉に浸かりゆっくりして我が家で私ら夫婦とKで食事をした

途中、Kの希望で大きなスーパーに寄った
来年の正月はKの家族恒例の食事会があるのだそうだ
毎年料理好きのKがすべての料理を作って親兄弟ら親戚一同をもてなすらしい
それで野菜等の食材を見ておきたいという事だった
私の知らない野菜の名前も言っていたし、店内を回るKの姿はもう昔と一緒だ
一日一緒に居ても以前の様に私も疲れなくなった
というのもKの記憶保持力などがだいぶ多くなってきたからだ
同じ会話を何回もしなくて済む分、気楽に過ごせるようになった

先週やった友人らとの忘年会の話も
私が「全員来てて楽しかったね」と引っ掛け問題を言うと
「いや、Aだけ来てなかったやろ?」とちゃんと引っ掛からずに覚えたり
記憶の容量や回路がだいぶ回復してきたように思う
金曜日の病院リハビリで今年のKの病院通院は終わった
来年の7日まで病院は休憩だ
それと同時に毎日夜にかけているリハビリ電話も金曜日でとりあえず終了する事にした
「K、半年間よう頑張ったね、
正月が終わるまでリハビリは休憩してゆっくり好きなようにして過ごし~」
正月の三が日のぎっしり詰まった予定もKはしっかり覚えている
楽しい事は覚えやすいのだろうね

かえってこの正月をはさんだ10日間の間にもっと良くなるかもしれない
先日Kの親から私ら夫婦とKで来年、温泉旅行に行ってこないかと言う話をKから聞いた
その時がKの復活記念旅行になったらいいなぁ
今年後半はKが倒れてからKを中心に私ら夫婦の休みの日はあった
ほとんど毎水曜日はKと過ごした

私の嫁さんにもそういった意味で少しは迷惑はかけた
誰かの為にここまで自分がするとは自分でも思わなかった
途中からは半分、意地にもなった(笑)>途中でやめられないという
Kと若かりし頃に出会ったお陰で私の人生がいい様に動いたと思ってる
多分Kと出会わなかったら、私は今よりつまらない人間になってたと思う
そんな若かりし頃のつまらない私を変えてくれたきっかけがKだった
その恩返しの意味も含めて今回はKの復活に向けて応援した
Kを応援する事は私の人生の中で決められたことだったのだと思う

誰かの為に生きるというのはいいことだ
少なくとも自分のためだけに生きるよりは楽しい


2004年01月08日(木) 同じペースで裸に(笑)

昨日、今年初めてKと会った
正月は色々と楽しんだようで、忙しかったようだ
去年と同じように病院にリハビリに行き、温泉に浸かった
見た目も、話してる感じももう、病気前のKとほとんど変わらない様子だ
ただ、ちょっと前の記憶等の具体的なことになると思い出すのが難しいようだ
リハビリ後に車の中で今日の言語療法でのリハビリの話をしても半分も覚えていない
かと思えば正月のことやちょっと前の事は意外に覚えてたりする
記憶の配分みたいなのがバラバラだ

記憶の容量は以前に比べるとだいぶ増えてきたようだが、まだまだだ
温泉で一緒に風呂に入る時、以前に更衣室でメガネを無くした事があるので
ロッカーに服やバックなどを入れ終わって鍵をかけるまで私は待っている
先に裸になって待ってるのも間抜けなので、Kのペースに合わせて服を脱ぐ
Kはまだ動作が若干、遅いのでゆっくりとしたペースで服を脱いでいく
その間、私はKの様子をチラチラ見ながらKに合わせて裸になっていく
元来せっかちなので、ゆったりとしたペースはニガテなんだけど
そしてKが自分のバックはロッカーに入れた、時計も入れた、メガネも入れた
パンツも脱いだ、そしてロッカーの鍵をKがちゃんとかけた
その間、横で私がKの方をチラチラと見ながら裸になってる
そこまで確認して、大丈夫?全部しまったよね?と聞いて
Kの周囲をもういちど確認してから私も鍵をしめて一緒に風呂へ行く

・・・・・・・・・・・・・・・!!??
なんだかホモになったような気分だった(笑)
知らない人(といってもほとんどが知らない人だが)が見たらオレの行動はおかしいやろう(笑)
チラチラ男の様子を見ながら、横で少しずつ裸になっていくオレって(笑)
温泉に浸かった後、知り合いから紹介してもらった地鶏のおいしい店に行った
メニューを見るのが難しいようだったなぁ
字の羅列が把握するのが難しいようだった

それでも店主が挨拶に来るとKは堂々と挨拶してたなぁ
でも店員に何度も同じ質問してたりもしてた
何を注文したかってのをすぐ忘れてしまうようだった
しかし、積極的に店の人らに喋る姿勢は偉い
今年もKの復活応援日記、ボチボチと書いていきます


2004年01月18日(日) 記憶と記録

今週の水曜は病院のリハビリ訓練の後に私の家で単語カードの試験をやった。
思えばこの単語カードを私と私の嫁さんで作ったのが去年の8月の終わり頃
Kが脳出血後の後遺症として失語症が残ると聞いた時にネットでいろいろ調べ
今できる事は?と考え嫁さんと二人で6~7時間かけて作ったものだ
色んな画像をネットからダウンロードして印刷して切って作ったものだ
絵よりも写真の方がいいとあったので分かりやすい画像を探すのに苦労したもんだ
単語カードの中には、食べ物や日常品や家族友人の写真も入れ込んでいた

しかし最初の頃は見向きもしなかったなぁ・・・Kは
興味が無いというか、全然わからないからだ
かろうじて何枚かできる程度だった
9月の終わり頃になってようやく数枚が出来るようになった
しかし時計や靴などの簡単な名前が出てこないんだから大変なもんだった
友人の名前も出ないし、子供の名前も間違えるし・・・・の状態
10月半ばに私の家でやった時には150枚のうちノーヒントで出来たのは10枚もなかった

今回の結果は・・・・・!
ノーヒントで出来たのが8~90枚だった
ちょっとヒントを言って出来たのが4~50枚
そのヒントを言ってやっと言えた中にTという友人の写真カードもあった
友人の中ではこのTだけがなかなか名前が出ない事が多い(笑)
以前このTにその事を話したらガッカリしてたもんだ
その時はTは忘れられたら困るとか言って慌ててKに電話してたなぁ
しかし、かなりの成果ではないでしょうか?

あとは、メモ帳を上手に使う事が出来るようになればかなりいいのだが・・・
まだまだどこに何をどういう意味で書いたのかを覚える事が出来ないから
よく字は書くのだが、書いてもうまく活用する事が出来ない段階だ
しかし、以前に比べると字もうまくなったし、漢字も誤字が減ってきた
私との電話リハビリもメモ帳に書く練習しながらとか
あるいは人の名前やモノの名前を聞くリハビリをしている
病気後の新しい記憶が特に覚えられないという症状があるので今だに
自分が何ヶ月も行っている病院の名や各療法士の名前も覚えていない
それをこの頃は自覚できたようでメモ帳の重要さがわかってきたようだ
メモの有効活用が出来た時、かなり生活が楽になるだろう
そしてしばらくはメモ帳はKにとって必需品になる筈だ

これで治ったというはっきりと終わりがある病気ではないので
Kの記憶と記録の代用としてこれからは、メモ帳は脳の代わりにもなるだろう
仕事復帰はまだ焦らなくてもいいかも知れない
Kの嫁さんも慎重に考えてるようだ
復帰したわ、仕事が出来ないわで、迷惑かけたでは何にもならない
会社もそうそう甘い対応はしてくれないだろう
この病気、高次脳機能障害を理解してる人は会社には一人もいないだろうから

救われるのはKが前よりまして明るいことだ
明るすぎるくらいかな?(笑)
しかし明るいところには必ず幸運は舞い戻ってくるだろう


2004年01月27日(火) 病後半年

この頃は電話リハビリも週休2日制だ
土日は電話しないようにしている。
1週間のくぎりみたいな感覚を身につけて欲しいということだ
毎日、自宅に居るKにとってはメリハリも少なく曜日とかの感覚も難しいだろうから
その電話リハビリが、この頃は素晴らしい!
昔は今の時間や日付の話だけで2~30分かかってたのに・・・・・
今日なんてもう昔と全く変わらない雰囲気で明日の事など楽しく話してた
会話もかなり流暢になってきた

特にメモ帳を手元においてるからわからない時は見てるようだし
どこに何を書いたのかを探し出すのもかなり早くなった
この頃は病院の名前や療法士さんの名前を聞いたり、私の血液型を聞いたりしてる
すぐには出ないがメモ帳を開くと数秒で答えられるようになった
メモ帳の重要性がようやく理解でき有効に活用できつつあるようだ
最初の頃は時計を見せてノートに「時計」と書いておいても
5分も経つと時計を見せて、これは何?と聞いても
時計という名すら答えられなかったし、時計という字の意味もわからなかったのだから

先週の水曜日は作業療法士さんからかなり良くなりましたよと報告を受けた
今まで時間がかかりよく出来なかった事がこのところは大分出来るようになってきたらしい
病後、通院して療法士さんからハッキリと言われたのは初めてに近い
それくらいこの頃は良くなってきた・・・・という印象がある
しかし、自分の年齢をまだ間違う事もあるくらいだから、油断禁物だ
過去の記憶もかなりのところまでは回復してきている
昔の記憶よりもこの頃の・・それもたった今の記憶の方が覚えるのが大変のようだ
脳の記憶を留める部分がまだ上手に機能してないのだろう
これが今からの課題だろうなぁ

脳卒中で倒れて約半年
これからが本当のK自身が自分で考え工夫していくリハビリの始まりだ
人からの指示だけではなく自分で創意工夫していくリハビリ
それが少しずつ出来るようになってきたように思う
さて、明日はKの両親からプレゼントされた一泊二日の温泉旅行の日だ
私ら夫婦とK夫婦にとの事だったのだが、Kの嫁さんが行けないので
私とKともう一人の友人Uと男3人で行く事になった
嬉野温泉だ
計画はすべてKに任せている

ここ2週間くらいこの話題はKと話してるのでKのリハビリにもかなり良かった
先の予定を計画したり考えたりするのはリハビリにいいようだ
その計画も聞いてみたがなかなかしっかりとしている
昔のKのようだ
Kは私ら友人仲間の中では幹事役だ
Kがいないと始まらないという存在だからKのプランはなかなかいいのだ
朝も早くから出発するようだ(笑)
ここ半年、もともと行動派のKが自宅でリハビリ三昧の生活だから
今回の一泊旅行は、よほど嬉しいに違いない

昨日電話で言っていた
「ぶいっちゃんは自宅で待ってていいよ。Uがオレを迎えに来てそれからぶいっちゃんの家に行くけん」
「おぉ!!そりゃぁ、いい!助かる~」と私
Kの家が逆方向になるからその方が無駄がなく、いいのだ
そのことにKが気付き、思い出し、言えるようになったというのに感動した
明日はお金もすべてKに預けて、名幹事Kの指示どおりに温泉旅行を楽しもう


2004年02月04日(水) Kからの伝言

皆さんこんにちわ
ぶいっちゃんの日記に出ている K です
いまぶいっちゃんの家で書いています

私の病気はだいぶ良くなりました。
最近では海に出たり旅行に行ったりして出来
るだけ外に出ています。

私も高次脳機能障害が早く治ってくれる
ようにリハビリを頑張りますので応援してください。皆さん宜しくお願いします。

2004年02月07日(土) パソコンはリハビリにいいネ

この間の水曜日は病院後Kを自宅に呼んだ際にPCを打ってもらった
まだまだぎこちないが、30分くらいかけて書いてもらったのが前回の日記だ
パソコンの方が漢字の変換も選択肢がいくつか出るのでリハビリにはいいようだ
今までも再三、パソコン使った方がいいよとは言ってたのだが
なかなか文字を打ち込む段階まではいかなかった
しかし、この頃、病院の言語療法の宿題などで文字を書く機会が増えたのもあって
自宅のPCも引っ張り出して日記をPCで書くようになったようだ
途中で何を書いたらいいかいな?と聞くので思ったままでいいよと言った

オレの病気の名前は何やったかいな?とも聞いてた
しかし、とにかくPCに文字を打つところまでは回復した
Kの家では今現在インターネットが出来ないからBBSに書き込みがあったことも
電話で教えた。 ついでにFAXでその内容を送った
そしてその日はチャレンジ部門で1位やったよと教えたら喜んでた
皆さんどうもありがとうございます
BBSの返事は皆さん一緒にここに書きます。

「応援ありがとう
この頃は私の体が毎日のように元気になっていきます。
今日は近くの公園で1時間くらい散歩をしました。
これからもリハビリに力を入れて早く復帰できるように頑張ります。」

昨日の電話でKから聞いた内容をそのまま書いてます。
会って、話してる時はもう昔と全然変わらないところまで直ってるだけに
今行ってる病院の名前がわからないとか
さっき食べた食事の内容を覚えていないとかの症状は冗談じゃないか?と思うくらいだ
今のKにとっては一生懸命思い出そうとしても無理なのだ

しかし、この頃は自主的によくリハビリをやってるようだから期待大だ
小学校4年生の漢字の書き取り練習で、この間は憤慨してたなぁ
「なんで出来んとかいな!!」って
意地になって、1日中やってたそうだ
その悔しさがきっといつの日か実る日が来るだろう
だって、半年前、自分の名前を1字も書けないところからスタートしたんだから


2004年02月19日(木) 現況

1月28日に佐賀の嬉野温泉に一泊旅行にKと友人のUと三人で行ってきた
ホテルの受付などもすべてKにやってもらった
後ろで見てたら、名前、住所を書くまでは良かったが、職業の欄で
自分の名前をまた書いていた
「そこは職業バイ」と言うと「あ!」としまったという顔をしてた
「名前の後に(自営)とでも書いとき」とアドバイスした
後は風呂に入ったりバイキングで食事をしたりは全然問題なく過ごせた

風呂に入る時の部屋のキー管理もKに任せた
ロッカーがあると思って風呂場に行ったら見当たらず(実はあったのだが)
しょうがないからキーをカゴの奥に入れていいよと言ってた
するとKは風呂場にキーを持って入ってきてた
しばらくして私が気づいた
「あれ?キー持ってきたん?」
「うん。念のためにね♪」
風呂から出るまでのあいだ、Kはずっとキーを持ってた
そんな感じで以前よりは注意深い行動が増えてきたように思う

自分の症状もかなり理解してきてるようだ
私にも、よく今どんなリハビリがいいかいな?と聞くようになった
さっき聞いた名前がどうしても思い出せない
この頃お気に入りの地鶏の店の名前が思い出せない
半年近く行っている病院の名前はまだメモを見ないと出てこない
しかし、Kは明るいのだ
どうして?と思うほど明るい
根っから楽天家ってのもあるかもしれない

この頃以前の会社の同僚に迎えに来てもらって2~3時間会社に行ってきたらしい
社内の同僚は喜んで迎えてくれたと言う事だ
何せ入院中に千羽鶴を2束も折ってくれるほどの人気者のKと会社の同僚達の仲だ
しかし、K曰く
「全員の名前が出ないんよ~、一人も思いだせんのには自分でも驚いた~」
顔は思い出せるけど名前が全然出てこないとの事だった
そうやって違う環境に触れる事によってまた自分で気づく事も増えていく
家族と身内と私ら友人のあいだだけの刺激よりもいいかもしれない
かといって会社に戻ってもまだまだKにはするべき仕事・・いや
出来る仕事はほとんど無いだろう
戻るタイミングも難しい
電話リハビリも明日からは話しながらメモを取るリハビリをする予定だ


2004年02月27日(金) 電話リハビリメモ帳編

電話リハビリメモ帳編はなかなか順調だ
電話しながらメモを取ってもらって次の日にその内容を聞いたりする
あるいは翌日の何時に私に電話してくれとメモしてもらったりする
そしてその時の合言葉は「別に用はないっちゃろ?」だ(笑)
そうやって、新しい記憶の量や繋ぎとめておく力を回復させてもらうのが狙いだ

今現在のKはこんな状態だ
2時間前に食べた食事の種類はよく思い出せない
しかし次の日になるとスラっと出たりする事もある
嬉野(うれしの)温泉に先月行った時もその前後1週間くらいは
「どこの温泉に行くと?」、「行った?」と何回聞いてもなかなか出なかった
こんなヒントを私は電話で言ってた
「答えが出ないのは、『かなし~の~』「さびし~の~』・・・これヒント♪」
「えっ!そんなのがヒント??」と当時Kは言ってた
悲しい、寂しい、楽しい、嬉しい・・・とヒントを言ってやっと出るくらいだった
それが昨日電話で聞くとスラっと「嬉野温泉!」と答えが出たりする

多分、この病気の特徴として
最新の新しい記憶よりもちょっと古い記憶の方が取り出しやすいのだろう
それもその日その日をちゃんと日記やメモなどで記憶を留める訓練をしてこそだが・・
今週の水曜はKの嫁さんがKを病院に連れて行った
Kの嫁さんも「もう、毎週ぶいっちゃんはいいよ。忙しいやろぅ」との事で
私も約半年ぶりくらいに久しぶりに休みが取れた

しかし、その日も私の嫁さんを連れてKがリハビリしてる時間帯に病院まで行った
最初のリハビリが終わったすぐにリハビリ室の前で会って、二人ともビックリしてた
そしてイスに座って話していると作業療法の先生が通った
私が来ているのでビックリしてた様子だ
Kが言った
「あっ!そうだ!さっき作業療法の先生に聞かれたんよ」
「なんて?」
「今日はぶいっちゃんさんは一緒じゃないんですか?って」
「何て言ったと?」
「ん・・・『首にした』って言っといたよ(笑)」
「はぁ~?オレ首やったと(笑)(笑)さーけん、ビックリしてたんか(笑)」


そんな冗談がいえるくらいまでは回復してるのが嬉しい
昨日の電話リハビリメモにはその事もちゃんと書いてもらっている
くだらない事、どうでもいい事もメモしていくのだ
何が大事で何が大事でないかは関係ないのだ
どんな事でも細かくメモしていって脳の記憶の代わりとしてメモ帳を生かしていくのだ


2004年04月10日(土) 久しぶりに

しばらくぶりです。
仕事が忙しくてなかなか書く暇がないのです
しかしKとは相変わらず、毎日リハビリ電話もしてるし週に1度くらいは会ってる
このごろ病気で倒れてからはK以外で使う人もいなかったので
解約してたインターネットをKの家でも復活させたので
メールの仕方やパソコンの使い方を教えに行ったり電話で教えたりしてる
メールのやり取りなどもしてるし、Kのホームページも私の指導で(笑)現在作成中だ

ただ、文字を打ったりするのは体が覚えてるのか結構打てるのだが
Yahoo!のように画面に文字がいっぱい出てる画面など見ると大変そうだ
何がなんだか情報がいっぺんにはいってくるのか整理できないみたいだ
お気に入りのボタンをクリックしてといっても
Yahooのなかの画面の文字を一生懸命追ってる状態だ
画面の上の方にあるよといっても見つけることがなかなか出来ないことが多い
やはり高次脳機能障害というのは大変だ

以前なら私と変わらないくらいネットもパソコンも出来てたのに今では
覚えてもすぐ忘れてしまうのでなかなか前に進めない。
ゆるやかに回復はしていると思う
記憶の面などでの自覚症状もかなりのところまで出来ていると思う
メモに取る習慣も以前よりはだいぶ多くなってきた
その成果か、以前はメモ帳を見て答えてたことも今では時々
メモ帳を手に取った時点で中を見ずとも思い出すこともある
記憶の線は確実に太くなっているし、繋がっていってるのだと思う
Kの嫁さんはこの頃、私の嫁さんと同じ仕事を始めた

そのためのHPも私が手伝って作りにいったりもした。
最悪、Kの仕事復帰が遅れたとしてもKの嫁さんに仕事があるのはいいことだ
この頃は1日のリハビリメニューも充実している
Kの大阪にいる妹さんからのアドバイスを元に頑張っているようだ
Kのホームページがもうちょっといい感じに出来たらリンクしたいと思ってます。
今はまだまだ、誤字脱字も多いし、インターネットではタブーの
私の本名を書いたり、固有名詞をバンバン書いてますの修正が多いですから。
そういったことを覚えるのも大変なんです。Kにとっては。

最後に今現在Kが作ってる自分のホームページのKの昨日の日記の一文をそのまま引用↓
(今は私だけが毎日読んでる日記です)

「お疲れ様です、今日は漢字の練習をして読み書きドリル3をしましたがまだ納得がいくような結果は出ていません。勉強は熱心に時間をかけてやりましたが少しガックリデス。
明日も同様な方法で攻めたいと思います。
ああー。びっくりするような結果が欲しいけどそういうことが無理みたいです。
こじんまりに生きて行きなさいと言うことなのですか。」


2004年05月15日(土) 卒業

電話リハビリが遂に今週はじめで終了した。
月曜日夜にいつものようにKと電話していた。
「もうこの電話もどれくらいになると思う?」
「そうねぇ・・半年くらい?」とK
「おぉ♪・・そう10月くらいからだからだいたいそれくらいやね」
それから色々と最初の頃は「今何時?」の会話だけで3~40分かかったと話してたらKが言った。
「ぶいっちゃんも仕事忙しいんじゃない?リハビリ電話もそろそろいいよ」
「そっかぁ・・・。実はその言葉を待ってたのよ」
「そうなん?」
「そう。あんたが自分で自発的にリハビリ出来るようになるまで!って
決めてたんよ。よし!じゃぁ電話リハビリは無事円満卒業って事で締めますかね?」
「いいですねぇ・・オレ卒業できた?」とK
「OK♪OK♪卒業認定書を授与するよ(笑)

確かにこの頃は電話で話す内容も昔と変わらないくらいになったしね。
あとは自分で効果的なリハビリを見つけてコツコツと頑張っていくことやね」
倒れてから10ヶ月。
どうやら私の役目は終わりそうだ。
あとはKが自分で計画を立てて社会復帰へ向けてリハビリを頑張っていくことだ。
去年の10月20日の日記で書いてるように
「自分との闘い」が今から始まるのだと思う。

そこまでの状態になるまでが、私が当初決めていた目標であった。
最後はKが自力で頑張って、そして治して復活した方がカッコイイからね。
もちろん、これからもちょくちょくメール送ったり電話したりはする。
今週の水曜日はKのオヤジさんからもらった券で二人で温泉にも行ってきた。
その日、Kを迎えに行った時に「リハビリ卒業認定書」を私が勝手に作って持っていったらKの嫁さんが喜んでくれてた。

水曜日、Kを見て思った。顔が引き締まってきている。
「なんか、いい顔になってきたよ」
「そう?嬉しい事を言ってくれるねぇ」
倒れてから半年くらいはなんだか自信のない顔をしてた。
焦点が合ってないような頼りない、しまりのない顔をしてた。
それが今は昔と変わらない顔つきになってきた。
水曜日は温泉に入ってKと将来のことをいろいろ話した。
Kは料理屋さんがやりたいようだ。
自分の今の症状を考えてのことだ。

今の状態では忙しい会社勤めではなかなか大変だと思っているのだろう。
高次脳機能障害の中の「失語症」と「記憶障害」
これが今のKにある症状だ。
まだまだ、出てこない言葉(ヒントを言えば出る時もある)もある。
記憶も自信を持てるところまではまだまだ先だ。

この高次脳機能障害の情報を今後、Kにメールで送っていくのが次の私の応援だ。
この頃はKの文章力もかなりのものだし、文の理解も前よりはだいぶいい。
電話リハビリではなく、メールリハビリの開始だ。
社会復帰(仕事)まではまだまだ時間がかかるかもしれないが
人間Kは完全に復活したと私は思っている。
苦労した分、以前よりもほんの少し、やさしさを増やして。
この日記もそろそろ終わりを迎えるいい時期かもれない。


2004年05月20日(木) 一生続く応援

Kが脳卒中で倒れたのが去年の7月17日だからちょうど10ヶ月過ぎた。
色々あった。
しかし最初の頃を思うとよくぞここまで・・という感じだ。
もう何回も書いてきたが、時計を見せても「トケイ」という言葉が出ない状態だったのだから。
またそれを教えても5分後には完全に忘れている状態が長い間続いたのだから。
家族や友人らの名前も出てこない時期もかなり長かった。
MRIによると脳出血で記憶を司る部分がやられてしまったためだ。
それがこの頃は少しずつだが回復してきている。
いや回復と言うのは適切ではないか。
一度やられた脳細胞は元には戻らないと言う事だから。

と言う事は新しい記憶する場所が出来ているのだ。そうに違いない。
病後に出会った場所や人の名前などは間違いなく新しい記憶だ。
例えば今行ってる病院の名前や各療法士の名前は病前には知らなかった記憶だ。
それがかなりスムーズにKの口から出てくるようになってきた。
昔の残っている記憶の部分と新しく作られていってる記憶の部分が
融合し、繋がってきてるのではないかと思う。
もちろん私は素人なので、あくまでそう思うだけなのだが。
社会復帰は・・というとまだ先の話だ
それを本人がこの頃は自覚してきている。

自分で自分の病気のことが理解できないのが
この高次脳機能障害という病気の難しいところなのだから・・。
自覚してきている・・・・というのは実はすごいことなのだ。
自分が治すんだ!自分で治そうという気持ちが一番大事だと思う。
それがやっと出来るようになってきた今からが正念場だろう。
私は一歩引いて見守っていくようにしたいと思ってる。
もちろんこれからも電話で話したりメールを出したりはしょっちゅうするしおせっかいも焼く。
来週の私の休みの水曜日は一緒に遊びに行く予定だし、
(今日Kから電話があって病院が休みだからどっか行こうと言う事になった)
月末はKも含めた友人7~8人との久々の飲み会の予定も入ってる。

会ってしまうと私流リハビリは色々するんだけどね(笑)
Kが自分を取り戻し、自分の状態を理解し
そして自分でこの病気と闘い、頑張るという気持ちになるまで・・・・
それが私のKという友に対しての応援だった。
少しは役に立てたのではないかと思っている。 ホント少しだけどね。
私の人生の中でも女以外にこんなに一人の男のために頑張った記憶はない(笑)
自分のためだけに生きる人生も悪いことではないけれど
誰かを応援するって人生も結構いい経験になるものだ。

そういった意味で今回は応援しがいもあったし、結果もよかったと思う。
私の中ではKは復活しました。
しかしKの嫁さんをはじめ、Kの二人の息子たち、そしてKの親兄弟・・。
私なんかよりも身内の方が大変だったのは言うまでもありません。
まだまだ大変な事も多いかと思います。
私の中で復活しましたとはいってもまだまだ現実は厳しいですからね。

あとは今後、仕事をどうするかということだけです。
それも楽天家のKならばなんとかなりそうな気がするから不思議です。
友人としての応援は一生続いていく事は間違いありません。
今日の日記で「親友が復活するまで」は終了します。
メールを下さった皆さん、BBSに書き込んでくださった皆さん
そして読んでくださった皆さん、本当に有難うございました。

感謝 

K個人の本当の意味でのリハビリは今からスタートです。


※その後この年からKは会社に戻り仕事に戻り元気に生活しています。

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